第10話 先輩! 先輩には僕しかいません!
「--新田、なのか?」
幻でも見ているかのように、西森が言った。
腕まくりした無地のロンT、ジーパン、サンダル。ふらっと出てきただけのような服装だ。
髪の毛も、いつも見ている姿と違って、セットされておらず、そのせいか顔つきも日頃のそれではないように思えた。
新田は何も言わず、ただ微笑むと、唖然とする西森に、一歩、二歩、とゆっくり近づいてゆく--両手で胸ぐらを掴むと、スーっと息を吸った。
「西森先輩!どうして、何も言わず消えたんですか!」
境内に、新田の大声が響いた。
「ばか--この距離で、そんな大声出すやつがあるか」
西森は言い、掴んだ新田の腕を片手で掴みあげるが、かたくなに握られていて離れない。
「質問に答えてください--もう一度、言いますね」
新田はふたたび息を大きく吸い込む。
「新田! わかった、わかったから--少し、落ち着いてくれ」
西森は慌てて制止しようとする。
「僕は今、いたって冷静です。落ち着きがないのは、西森先輩のほうです」
新田は、両手を離して西森を解放した。
西森は少し見おろすかたちで、新田は少し見あげるかたちで、両者が目を合わせていた。
西森が正面から見すえる新田の瞳は、揺らぐことなく真っすぐと西森を見返している。
ふいに、西森が笑った。
「お前、なんか変わったな」
感慨深そうに西森が言った。
「はい--おかげさまで、前よりもずっと強くなりました」
「--みたいだな。なんだか、ヘビに睨まれたカエルになっちまった気分だ」
「西森先輩」
新田がその名を呼んだ。
「僕のこと、嫌いですか?」
「いきなりまた、なにを--」
「それとも、好きですか?」
「--」
西森は声を失った。
「なぁ、新田。オレはその--」
「僕は、西森先輩のことが好きですよ」
再び言葉につまる西森へ、新田は続ける。
「好きで好きで、もう、どうしようもありません。突然いなくなったので、それはそれはたいへん傷つきました。あれから僕は、西森先輩に会うためだけに、生きてきました」
そこまで言うと、笑顔のまま、新田は少しだけ涙ぐみ、そして両腕を広げた。
「西森先輩を見つけた、ご褒美をください」
新田のすがたを見て、西森は、自分の意識とは関係なく体が動いていた。
胸の中に一瞬で生じ、そして溢れ出たエネルギーのようなものが、西森をそうさせていた。
「まったく、お前ってやつは--」
新田は、痛いほど、西森に力強く抱きしめられていた。
西森の頬と新田の頬が少し触れており、新田は西森から熱い液体が流れているのを感じた。
「西森先輩--」
言って、新田は西森に唇を重ねた。
拒否はされなかった。
しばらくのあいだ、そのまま二人だけの時間が流れた。
それから--
二人は、神社の階段の1番上の段に並んで座っていた。
いつの間にか、夕方近くになっていた。
空が赤く染まりだし、そこから見下ろす風景もまた焼けていた。
「すまなかった、新田」
「--いいえ」
西森が言い、新田が答える。
二人とも、静かに遠くを眺めていた。
「お前がそこまで、オレを想ってくれてるとは知らなかった。別れるのが辛くて、何も言わずに出ていってしまって、すまない」
「木下さんから退職する意向だった話を聞きました。でも、本当は僕のせいでもありますよね?」
「--ああ」
西森は言い、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「タバコ、吸われてたんですね」
「やめてたんだけどな--まあ、聞いてると思うが、オレも生きてきて色々あったんだ」
ふぅっと、西森は深く煙を吐いた。
「昔、嫁を亡くした」
朧気な眼差しで、西森は続ける。
「自動車での交通事故だった。オレが運転していた。注意不足で、脇から迫る車の存在に気がつかなかった」
赤焼けの中、新田は西森の横顔を見つめた。
「オレのせいだ」
「、、、」
「そもそも、あの日、オレが出掛けようなんて言い出さなければ--」
「西森先輩--」
「オレのせいなんだ」
西森は、再び同じ言葉を口にした。
「オレは、もう、何も失いたくないんだ。もしもまた同じ目に遭ったら、そのときこそ、オレは頭がイカれちまう。それが恐いんだ、新田--」
「--辛い思いを、されたんですね」
新田には、それ以上のことは言えなかった。
「悪いな新田、だからもう、オレは恋愛をする気はないんだ。いずれ無くすとわかってまで、大事なものを手にしたくない」
「、、、」
「お前のことは好きだ、新田--でも、ダメなんだ」
急に出てきた風が、二人の髪を揺らしていた。
「--どのくらい、好きですか」
「どのくらいって、そりゃお前--」
西森は言い、新田の方を見る。だが、目が合うと、二人はなぜか互いにすぐ目線をそらした。
「あー、そうだな。まあ、オレの知る人間の中では一番だな」
「そ、そうですか--あの、その、、、僕も同じ気持ちです」
ここに来て、急に恥ずかしさが出てきていた。新田は頬を赤く染め、西森とは反対の方を見つめている。同様に、西森はあさってを見ていた。
「ああ、くそ! くそ!」
西森は自身の髪をわし掴みにしてクシャつかせた。
「オレは、もう、恋愛をする気はないんだよ。それなのに--ちくしょう! これもすべて、新田。お前のせいだ」
その様子を見て、新田は笑った。
「ハハハ--さんざん自分を戒めておいて、今度は、僕のせいですか」
「--ハハハ」
二人は顔を見合わせると、大声で笑った。
「--西森先輩、僕だけはどうか、例外扱いにしてくれませんかね」
少しまだ余韻が残ったまま、新田は尋ねる。
「--うーん、悩むなぁ」
「お願い。そこを、なんとか」
お茶目な感じで、新田は両手を合わせて頼み込む。
「本当--変わったよな」
西森はしみじみとつぶやき、空を見上げた。
「オレも、お前みたいに変われるだろうか」
「べつに、無理に変わらなくても大丈夫ですよ」
新田も空を見上げる。
「今までどおり、西森先輩のことは僕が支えます。ただ--その、できれば、以前よりももっと近くで。おそらくですが、それを出来るのは、この世で僕しかいないと思います」
「--」
西森は静かに目を閉じた。
二人とも口を開くことをやめ、しばらく沈黙が続いた。
やがて、それを破ったのは、
「じゃあ--ひとつ、頼むわ」
西森のポツリと言った、その言葉だった。
「え--」
新田は西森を見て聞き返す。
「ということは、その、つまり--」
「ああ」
穏やかな顔で、西森は新田を見つめた。
「新田、オレと付き合ってくれ。これはその、、、一生のお願いだ」
「う--」
新田は急に立ち上がり、
「--うおおおおぉ! とうとう、やったぜー」
そして叫んだ。
「ハハハ、そんなに嬉しいか」
新田のその思いがけない行為に少々面食らったものの、西森は笑った。
「もちろん」
断言すると、新田は西森に乱暴に飛びついた。
「わ--ばか」
勢いあまって、西森は新田に押し倒されるかたちで、後方に倒れた。
「おい、まだタバコに火がついてるんだぜ。お前はそもそも--」
西森の言葉を途中で、新田の唇が塞いだ。
空にはうっすらと星が見えはじめ、彼方から闇が迫ってきていたが、夜が訪れるには、まだいくらか時間があった。
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