第7話 先輩! どこへ行ったんですか!
あれから新田は当然、西森のマンションを訪ねていた。
予想はしていたことだが、案の定、そこはすでに空室になっていた。
--どうして
--何も言わずにいなくなるなんて
新田は、西森にそこまで嫌われていたのだろうかと思うと、胸が痛かった。
西森が消えてから、数日が経過していた。
日差しが徐々に強くなり、季節は初夏を迎えようとしていた。
オフィスではクールビズ制度がとられ、男性陣は半袖ワイシャツか、ポロシャツかに二分されている。
新田はもともとスーツ組であったため、白のシンプルなワイシャツ姿だった。
「--はい、こちらですね。そうですね、本日中にタスクに目処を立てておきます」
新田は、人が変わった。
おどおどしていたイメージがなくなり、表情に少し陰りが出ている。初々しくも可愛い新人から、どこかサバサバした印象の人間になっていた。
新田は、人間というものに興味が無くなっていた。
人を信じられない。一番信じていた人間に、いわば裏切られるかたちになってしまったからだ。
今、自分はなんのために仕事をしているのだろう。人生の意味とはなんだ。
毎日のように、新田はそんなことを考えていた。
まるで無意味じゃないか--
何がしたかったんだ、僕は--
パソコンに向かいながら、新田は考える。
西森の所在を会社に聞く手もあった--そして、それはすでに実行していた。引き継ぎ内容の不備を確認したいという名目で、何とか所在地を探り出そうとしたが、会社からの回答はもぬけの殻であるマンションの住所だった。
当然、電話もかけたが、現在使われていないことがわかるだけだった。メールも帰ってこない。プライベートチャットも既読にすらならない。
西森の新田への拒絶は徹底していた。
--キンコンカンコン
終業を告げるチャイムがなる。
考え事をしながら業務しているうちに、いつの間にか時間が過ぎていた。
--時間が経つのが早くなったな
新田は思うと、帰り支度を始める。以前は、周囲を気にして、ある程度付き合い残業をしていたが、そうすることもしなくなっていた。
「お先に失礼します」
無表情に言って、カバン持つと、新田はワークスペースを出た。
何気なしに見た廊下の先に、今まさに給湯室に入ろうとしている木下の背中が見えた。
新田はハッとした。
そうだ、木下ならば、西森のことを何か知っているかもしれない。
新田は、足早に木下を追った。
「--木下さん!」
「--うわっ」
突然の新田の出現に、木下は驚きをあげた。
ちょうど棚からマグカップを手に取ったところで、危うく落としそうになる。
「新田くん--」
少し体勢を崩したまま、木下は新田を見る。
私服組の木下は、生地の柔らかそうな大きめのエリのポロシャツ姿だった。片腕にはミサンガを付けている。七分丈のパンツからムダ毛のない細い足が覗いていた。
「久しぶりだね」
姿勢を正すと、木下は微笑んで言った。
「ボクに、何か?」
新田は正面から木下を見すえる。
「西森先輩のこと、何か知っていませんか?」
「西森さんのこと?」
「はい」
新田は頷いた。
「実は、その--」
いざその話題に触れようとしたとき、新田は自分から木下を問い詰めようとする意志が弱まるのを感じた。
「に、西森先輩のこと、、、僕、何も聞かされていなくて--」
新田の声が震えていた。声を発したときには、ふいに熱いものが込み上げ、ひとつぶ、ふたつぶと涙がこぼれていた。
何も知らないことを木下に告げることが、悔しくてたまらなかった。
「なるほど、そういうことだったのか」
うつむきがちに涙を堪えようとする新田を見て、木下が納得したように言った。
「1ヶ月くらい前に、西森さんから退職の話を聞いたよ。なんてことだ、まさか、きみに話していなかったとはね」
木下は続ける。
「その様子だと、やはり彼と何かあったんだね。実を言うと、西森さんから、きみにひとつ言伝を頼まれていたんだ」
「言伝--ですか」
新田はくしゃくしゃになった顔を上げた。
「うん--もし、きみになにか聞かれた時、こう答えてくれって。新田、お前はなにも悪くない、と」
神妙な面持ちで、木下は言った。
「補足すると、西森さん--彼、もともと退職することを決めていたんだ。何か考えがあるらしく、そのためには、今の会社のままではダメだと」
木下のその言葉を聞くと、新田はさらに胸が熱くなり、涙をこらえることができなくなった。
「どうして--どうしてなんですか。木下さんには、そこまで話すのに。どうして、僕には、何も--うぅ」
「ああ、新田くん」
木下が言った直後、新田は木下の胸の中にいた。木下よりも背の低い新田が、頭を抱き抱えられるかたちになる。
木下の体は、新田が思っていたよりも柔らかな感触をしていた。
「辛かっただろう。でもね、わかったよ。西森さんが、きみのことを大事に思っていたということがね」
「--」
抱かれたまま、新田は耳を傾ける。
「きっと、西森さんも辛かったんだ。だから最後まで言うことが出来ずに、ボクに保険をかけた。きみが耐えきれなくなった時に、ボクを問い詰めるだろうと考えてね」
「木下さん--」
新田は、自分の両手を木下の背中にまわした。
「ごめんなさい。僕、木下さんのことを誤解していました。木下さんは、とても優しい方ですし、僕なんかよりもずっと西森先輩の良き理解者でした」
「新田くん、そんなことはないよ」
「--木下さん」
「なんだい」
子どもをあやす母親のような優しさの声音で木下が応じる。
「--西森先輩に会いたいです。どうすれば、会えるでしょうか?」
それは新田の心の底から出た願いの言葉だった。
「そうだね、きみもそうだと思うけど。ボクの方も実は音信不通でね。でも、待てよ--」
木下は何かを閃いた様子だった。
抱きとめた新田を引き離し、両肩に手を置いて続ける。
「もしかすると、西森さんは田舎に帰っているかもしれない。ボクも詳しい住所は知らないけど、何県かくらいはわかる。今まで聞いた話を精査すれば、大体の目星がつくかもしれない」
「ほ--」
新田の表情に、明らかな期待がみてとれた。
「本当ですか!?」
「あはは--ようやく、以前のきみらしくなったね。きみの様子が気になって、ときどき遠目から見守っていたけど--そうしている方が、大人ぶってるよりも可愛くていいよ」
木下はニッコリと笑った。
「今週の土曜日、うちにおいでよ。新田くん--」
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