第16話:防衛網
――備えよ、備えよ、戦に備えよ。
――武器を磨け、鎧をを磨け。
――敵は待ってはくれないぞ。
――急げ、急げ、隊列を組め。
――武器は持ったか、鎧は付けたか。
――敵はどんどん迫りくる。
――来たれ、来たれ、戦よ来たれ。
――武器は万全、鎧は万全。
――敵が見えたぞほらそこだ。
声にならぬ、うめき声のような歌が貴族議会議事堂、いや、吸血鬼の城に響く。意思なき屍人が、腐った喉で、蛆の湧いた舌で。崩れた唇で歌を刻んでいる。混沌の同胞には心地よく聞こえるのかもしれないが、秩序に生きるものにとって、それはまるで呪詛であった。
鎧下は腐肉と血で汚れているが、その鎧や武器は光沢が曇ってこそいても欠けなし、
平原でも、洞穴でも、城塞でも、迷宮でも、装備の良い敵がいるだけで、攻め込む側にとっては
「父上、外に兵を配置しないのですか? 」
にやけ顔の吸血鬼に、彼の息子から茶々が入る。吸血鬼はその表情を不満に歪めて、優しくもそれに答えた。
「お前が手練の冒険者ならそれも考えた。」
手練の冒険者なら、冒険者の勝手を知った冒険者なら、どこからどう攻め込むかを予見して兵を配置できるが、このバカ息子はそうではない。だからこそ城をダンジョンにしているのではないか。そういったことを噛み砕いて丁寧に説明しなければならなかった。
「兵を散らしてしまっては個で勝る冒険者共に突破されますからな。それに屍人は足が遅い故、待ち受けるにしか使えますまい。」
死霊術師が補足するように言った。屍人は正直言って、弱い。それこそ
「おや、そろそろいらしたみたいですな。」
「歓迎してやれ。」
死霊術師の使い魔が、貴族街に冒険者一党が入るのを見たようだ。かつんと長杖が打ち鳴らされると、地響きにも似た重低音が鳴り響いた。石造りの壁や天井から、ぽろぽろと小さな石塊がこぼれ落ちるのを、執事服の屍人がのろまに片付け始める。
城の屋根に座する
遠見の鏡で見たあの
「どれ、
使い魔の視線を遠見の鏡に映し出す。空から見下ろすそこには、六人の冒険者の姿があった。
獅子飾りの大剣使い、みすぼらしい軽装の剣士、碧鈷鋼の重戦士、白ひげの老魔術師、術士の狼少女、そして仏頂面の女神官。
統一されてない思い思いの装備を身にまとった、お手本のような冒険者の集団。全く、全くもって忌々しい。外見から能力が把握しにくいのもいやらしいものだ。
忌々しい神官が来るのはわかっていた。浄化の奇跡は
「おい。」
「なんですかな? 」
「神官の力量が見たい、どこか広場に出たら死体の山を
「かしこまりました。」
この死者の街には死体の山には事欠かない。事に気づいた冒険者や、もともと貴族外にいた貴族とその使用人、訪れた旅商人等、十年も溜めた死体だ。山はいい具合に腐って
「さて、力量を見せてもらうぞ。」
吸血鬼の王は、楽しそうにその肘掛けを指で叩いた。
しかして、その実力は、想像を上回り眼を見張るものだった。魔石像など物ともせずに打ち砕き、群屍巨人を一度の詠唱で土塊に返した。そして今はずかずかと、嵐の結界を踏み進んでいる。
吸血鬼の表情は、冒険者が近づいてくるにつれて、陰りを見せ始めた。
敵は予想を遥かに上回り強大だった。敵情を十分に把握できたとは言えず、ただ徒に兵を疲弊させただけだ。これではまるで無能ではないか。
それに忌々しいことに、敵は閂を欠けた正面大扉を蹴破って真正面から城に侵入した。吸血鬼の膂力に、肘掛けの鷲の装飾が握りつぶされる。わざと扉を開けた裏口から導入し、待ち伏せしつつ波状攻撃を行うという当初の戦術が早くも潰れた。
今から隊列を組み直すには遅すぎる。大失敗、
勝ち目があるとすれば、わざと死体のままにしてある衛兵の死体を屍人に戻してこの議会ホール前で足止めをしつつ挟み撃ちにすることくらいだ。左右の部屋にはこれでもかと死体を用意してある。しばらくは持ってくれないと困る。
だが、願いもむなしく、剣戟の音が止んだ。研ぎ澄まされた吸血鬼の聴覚は、冒険者どうしが交わす軽口を、いやでも聞き取れてしまう。
そして、次の瞬間、嵐の雷鳴をかき消す轟音とともに扉が内側に吹き飛び、燃え上がる瓦礫が屍肉喰らいの一体を押しつぶした。吸血鬼は目を真っ赤にして叫んだ。
「礼儀知らずが!」
「悪いな。礼儀を知らない平民で。」
冒険者の一党が現れた。
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