お題「役者」「人形」「心」
深々と頭を下げる。
まばらな拍手。
横では私に抱かれた人形が、同じように九十度を超えた角度の礼をしている。
暗転――
一、二、三。
暗闇の中、三秒待ってから音を立てないように
人形とコミュニケーションを取りつつ進む一人芝居。
人形は言葉を発しない。役者である私の言葉と反応で彼女が何を話しているか想像してもらうスタイルだ。
音効※が客出し※の曲を流す中、衝立ての向こう側から客の会話が飛び込んでくる。
「雰囲気は好きかな」
「脚本はよかった」
そんな言葉と同時に、
「人形がな〜、何をしたいのか伝わってこないんだよな〜」
「あれって、腹話術師の腹話術しないやつ?」
など、批判も伝わってくる。
演じ切った充実感に混じって、痛感している力不足を体の外からもねじ込まれた。
ストリートパフォーマンスから、ようやく小さなギャラリーのような小屋※で『公演』として演じることができるところまで漕ぎ着けたが――
私は、片腕に抱かれた身長一メートル程の、黄色いドレスを纏った人形に目を落とす。
まだ。
まだまだだ。
まだ人形は生きていない。
稽古を。
稽古を重ねなくては。
その日から私は、本番近くしか箱から出さなかった人形と常に稽古を共にした。
私はちっとも人形の――『彼女』のことをわかっていなかった。
徐々に『彼女』が俯いたり、つと視線を逸らすときの心の内がわかってきた。
同時に、徐々に小屋は大きく、お客様は増えていった。
「あの人形、生きてるみたいだったねえ」
「中に子どもでも入ってるんじゃないか」
「いや、袖で別な役者が演技してるんだ」
お客様の驚きの声が舞台袖まで聞こえてくる。
『彼女』の生き生きとした姿を見せることができて、誇らしさがこみ上げてくる。
と同時に、湧いてくる別の感情。
まだ。
まだまだだ。
もっと『彼女』のことを理解せねば。
私は生活のほとんど全てを、彼女と共にした。
彼女の瞳の奥にある心が伝わってくる。
動かぬ唇が何を語りかけてくるのかも聞こえてくる。
「きこえているよ」
囁やきかけると、彼女の瞳の奥が嬉しそうに揺らぐのがわかった。
私はもう、バスや電車でも彼女を箱に入れることはなくなっていた。片腕で抱きしめた彼女を見て、すれ違う人がぎょっとした顔をするが、構うものか。私は彼女が横にいてくれれば、それで満たされた。
私は彼女だ。
彼女は私だ。
今度の公演は、演劇に特化した小屋だ。収容人数は二百。
照明が点き、私たちは袖から舞台中央へと向かう。私の目には、収容人数一杯に入れられたお客様のシルエットが映る。彼女の目にももちろん、その影が映っているのを知っている。
軽妙な会話。
私が問いかける――
彼女が答える――
彼女が呼びかける――
私が返事をする――
お客様たちが目を見張り、私と彼女に釘付けになるのが感じられる。その顔には一様に「彼女の声が聞こえる」と書いてある。
当然だ。
彼女はきちんと話しているのだから。
彼女が――
私が――
私が――
彼女が――
心は溶け合い、いつしかどちらが話しているのか曖昧になっていく――
終幕。
絶え間ない拍手が波音のように二人を包み込んでいく。
深々とした礼。
いつの間にか私は彼女に片腕で抱かれ、その陶器のようになめらかな美貌を見上げていた。
彼女の唇が――動かないはずの唇が開き、微笑みを湛えながら私に囁やきかけてくる。
「キコエテイルヨ」
暗転――
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
※音効……音響効果またそのオペレーター
※
※客出し……お客様に退場してもらうこと
※小屋……劇場のこと
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