赤頭巾とドラゴン

@poesienuit

第1話

赤頭巾とドラゴン


不思議と体に痛みはなかった。ただ体中が熱くて、心の臓の音が煩かった。倒れ伏した先の地面の匂いは湿った濃い苔の匂い。目に映るものも暴力的なくらいに鮮やかな草木の緑。

―畜生。

しかし胸の中には怒りだけがあった。

―畜生、畜生!何も守れなかった何一つこの手には残らなかった!ここでくたばるのか。こんなところで、何もなせずに死ぬのか

焼けるほどの怒りに膝を奮い立たせ腕を突っ張って起き上がる。

こんな風に無様に寝転がって死ぬことへの精いっぱいの悪あがきだった。

くらりとした眩暈と耳鳴り、畜生畜生と声を振り絞り呻く。吼える事さえ出来ない自分に笑いすら零れた。

「!」

その時、気配を感じすぐさま腰を落としたのはこれまで積み重ねた鍛錬のたまものだった。じっとそちらを見やれば、そこから現れたのは、赤い外套を纏った幼い少女だった。


ぱちぱちという火の燃える音でアレクシスは目を覚ました。

体の節々が痛み、鉛のごとく重たかった。

目に映るのは木をそのまま削り取ったような天井と、玻璃の嵌った明り取りの小窓、そして鮮やかなタペストリー。それには彼には馴染んだ創世神話が織り込まれている。漠然とした不安の中で、彼は不安であることにも気づかないままぼんやりと見知ったタペストリーを眺めていた。

そのままうとうとと、微睡みかけていたアレクシスの耳に控えめに戸を叩く音が届く。億劫ながらも音の方に首を向ければ素朴なつくりの戸が開かれた。

「あ」

そこから現れたのは幼い少女だった。年の頃は十歳かそこいらだろうか。その少女はアレクシスと目が合うとニコッと可愛らしく微笑んだ。

「気分はいかがですか?」

アレクシスがほっとしたのは彼女が話したのが訛りのない公用語だったからだ。見たところ、鬼人でも森人でもない、人間の少女だ。だが、そこまで考えて、何故このように「力のない人間の少女がこの森いるのか」と血の気が引き、そして一つの可能性にたどり着くと彼は衝動のままに上体を乱雑に起こし、叫んだ。

「魔女殿!」

びくっと少女は体をこわばらせ後退るがアレクシスはそれに気づかない。

「魔女殿!どうか我らをお救い下さい!」

「あ、わたし、ちが…違うの」

少女は困り切った声音で否定するが彼は気づかぬままに少女の肩をつかみ詰め寄った。

「虫のいい話であることは重々承知しております。されど!我らにはもはや魔女殿に縋るより他に術はないのです!」

彼は必死だった。文字通りに死を覚悟しての嘆願だった。この願いを聞き届けてくれなければどれだけの犠牲が出るかを知っている。だからこそ無理を承知でここまで来てしまったのだ。その賢明さは少女にもしっかりと伝わっていた。けれど少女は彼の望む魔女ではない以上その願いを聞き届けることは叶わず、また誤解を解くことも現状では難しい。困り果てた彼女の耳に「戻ったぞ」という男の声が聞こえた。

「ナガル!」

少女は心底ほっとしたと声の主を呼ぶ。

「おう、どうした?…ってなんだ王子様が起きたのか」

再び開いた戸から差し込んだ大きな影にようやくアレクシスは我に返った。息を一つ吐く。

視線を上げると大きな男が立っていた。引き締まった体躯の、見るからに鍛え上げられた戦士だ。知らず、少女の肩を握りこんでいた手の力が抜ける。

「カヤ。茶をもらえるか?」

「うん」

それを認めた男は少女に声をかけた。カヤと呼ばれた少女は弾かれたようにアレクシスから離れると一度男に抱き着き男の腹に頭を擦り付けまた戸をく

ぐっていった。反対に男はそれを見送ると部屋に置いてあっ背凭れの有る椅子に腰かけ、

「何があったかは知らねえが何が起こったかは大体想像がついている」

にやりと笑った。

男の目は金色だった。頭に巻いていた布を取り払うとジザン族特有の側頭部を編み上げた髪が現れ、彼は背中が寒くなった。

「安心しろよ、あんたんとこの国に対して今更恨みがどうこう言うつもりはねえ」

何かを言いたげなアレクシスに対し、男は「俺のことは置いておけ」と一つ息をつくと口火を切った。

「一つ、十日前にアルビオ王国の方から何十人かの人間が森に入ったという噂を聞いていた。二つ、アルビオ王国に王位後継者は二人いる。正室の息子だが病弱な兄と側室の息子だが心身ともに健康かつ騎士団の副長まで上り詰めた弟。そして三つ、あんたの首から王室の紋章が刻まれていたメダルがあった」

と男は目を眇め

「…とここまでくればあんたが誰なのかわかる。そしてちょっと考えれば、でもってあいつのことを『魔女』と呼んだ。もう答えは分かるだろ?アレクシス王子」

にや、と笑った。

全くもって全てが的を得ていた。だが、アレクシスはそれよりも先に尋ねねばならないことがあった。

「…ほかの皆は」

「死んだよ。生き残ったのはあんただけだ」

分かっていたことだが静かなその言葉にずしりと胸が重くなった。

「あんたを見つけて治療して三日だ。あんたは運がよかった。寄生蝿の沼地に突っ込んだせいで魔獣に食われずに済んだ。…ああ包帯の下は見るなよ、穴ぼこだらけで気持ちいいもんじゃねえからな。ほかの連中も探してみたが、生憎と甲冑の残骸がいくつかが残ってた。あの場所はあんまり鬼人も森人も通らんらしいからな。…可哀そうだがそういうことだ」

「…そうか」

悼む声音にアレクシスも目を伏せ、強く拳を握りこんだ。

「ナガル殿…といったか」

「おう」

「まずは礼を。この身をお救い下さり、誠にありがたく存じます」

深く頭を下げる王子にナガルはふぅと肩の力を抜くと立ち上がり、戸を開いた。

「カヤ、悪いな」

「ううん、ナガルこそありがとう」

盆を持った少女がにこっと可愛らしく笑うと中に入ってきた。盆の上には湯気の立つ、素焼きの土瓶と三つの木彫りの器。

「どうぞ、私はカヤです。王子様」

ぺこりと頭を下げ、器を手渡すとカヤは土瓶から花の香のする茶を注ぎ、それを自分とナガルの分も行った。アレクシスは騎士団に所属しており、野営も行うがそれでも原則として毒見をされたものでなければ口にすることはない。彼は今命の恩人への非礼と王子として育った価値観の間で迷っていた。むろん彼の体調は万全ではなく意識も決して明瞭快活で有った訳ではない。

手にしたまま固まってしまった彼にナガルは片眉を上げ、一口自分の椀から茶を飲んで見せ、ずいとそれをアレクシスに手渡すと反対に彼の持っていた器を奪い取った。

「ナガル!」

咎める少女にナガルはひらりと手を振って宥める。

「あのな、こういう位の高い人間は毒見されたものじゃなきゃ口に付けれねえんだ。どんだけ冷めて不味くても安全と確かめられなきゃダメなんだよ」

なあとナガルは視線を向ける。

「…炊き立てのご飯が一番おいしいのに?」

「ああ、まったくだ。焼きたての肉に塩を振って食う以上に美味いもんものなんざないのにな」

信じられないものを見たとばかりに目をまん丸くするカヤと、大仰にうなずくナガル。ナガルはまた椅子に腰かけると軽く膝を叩きカヤはその膝に自然と座った。体格の良いナガルは自身が立派な背凭れになり、カヤの薄い腹に手を回して落ちないように支え、それから忘れていたとナガルは名乗った。

「俺はナガル。後な、あんたを拾ったのは俺じゃねえ、カヤだ。手当もな。礼を言うならカヤに言え」

今度はアレクシスが目を剥く番だった。

「あなたが…?」

ナガルの話を聞くに人の通らない場所と聞く、そんな場所をこんなに幼い少女が?と唖然とするアレクシスにカヤは慌てて首を振った。

「見つけたのはそうだけど、運んだのは別の子。手伝ってもらったの」

「しかし、手当はいったい…」

その問いにカヤはきゅっと唇を引き結ぶとちらとナガルの方を見た。ナガルは首を緩く振り、好きにするようにと促す。

「あの、王子様。私は魔女じゃない。魔女は私のお母さん。それから薬の先生。王子様を見つけたのも薬草を取りに行ったからなの」

その言葉に一瞬目を輝かせるアレクシスに、ダメっとカヤは制した。

「私の大切な母さんに、母さんを利用しようとしている人をすぐに合わせるわけにはいかないの。それに、王子様は怪我をしてる。動けるようになって、私のお手伝いをして。私の治療の対価とあなたを知るために。…これでいいかな?ナガル」

「決めるのはお前だ、カヤ」

突き放した言葉であったが裏には親愛が滲み、ほっとしたとカヤもほころんだ。

「今はしっかり休んで、傷を治してね。お茶を飲んだら包帯を変えるね」

少し冷めた茶は柔らかい花の香りがして、甘く美味かった。


寄生蝿の蛆虫は彼の肌に潜り込み、肉を食って育っていたようだった。ぼこぼこと穴の開いた肌は黒く変色し、硬くなっていた。カヤは先の細くなった金属の棒で穴ぼこだらけの肌に触り、他に蛆が生まれていないかと注意深く探ってから薬を塗り、血膿に汚れた包帯を替えた。その手つきには迷いはなく、手慣れてすらあった。薬を塗りながら、カヤは「あなたは運がよかったの」と告げた。どれだけその沼地で倒れていたのかはわからないが、これでも発見は早かったらしく、また、全身を覆う甲冑を着ていたお陰で顔に産み付けられることもなかったし、僅かな鎧の隙間に卵を産み付けられたことで、痛みやかゆみで掻きむしり傷が化膿して毒が回ることもなかったのだそうだ。

その話を聞くだに、アレクシスは背筋が凍る思いがした。

タペストリーは明り取りの小窓とは別に木戸で開閉する窓のカーテンになっていたようで、よくよく見れば垂れ下がったままでも僅かな隙間が見えた。炭を焚く時には部屋に隙間を開けなければならないからだそうで、治療の際は匂いもこもるためにとタペストリーを除けた為向こう側がよく見えた。

鬱蒼とした森が少し離れたところに見える。どうやら森の開けたところにこの家はあるらしかった。風が吹くたびに少し冷たい風が吹く。そこに花の匂いがあった。季節は初春だった。アレクシスは思う。この森に入ったのは冬の終わりだったと。


兄、リチャードは体の弱い男だった。季節の変わり目には熱を出し、体を鍛えようと剣を握れば必ず怪我をして熱を出す。しかし、頭は良い方で寝込みながらも良く勉学に励んだ。王子としての責務を果たそうとする姿に周囲は彼を王座に付けるためによく盛り立て支えた。反対に、アレクシスはすこぶる健康体だった。そして、兄が好きだった。兄は後継者争いを仕方ないこととしながらもあれこれと気にかけてくれた。身を守るために騎士になるようにと勧めたのも兄だった。そして「それでも勉学には励みなさい」と何度も注意をしてくれた。いまにして思えば一時期苛烈だった後継者争いの中でどちらが命を落としても不思議ではなかった為の忠告だったのだろう。

自分が死んでも良く考え良く学ぶ王が国を統べるようにとの。

それに気が付いた時に、自分には王の器はないと悟った。

その兄が、去年の暮れから熱を出した。いくら高名な薬師を呼ぼうと如何なる治療師を呼ぼうとも一向に熱は下がらず、じりじりと兄の命を削っていく。

アレクシスは兄を救いたかった。この熱が自身の派閥が仕掛けた毒である可能性すらあった。ならば、自らが命を懸けて兄を救わなければ。自分は兄を支える立場でありたい。兄に成り代わりたいわけではないのだと示さねばならない。そうして彼は『魔女』の住む原初の森に足を踏み入れたのだった。


原初の森とは大陸の中央に位置するトレオゥ山脈とその裾野一帯を差す呼び名だ。その為森と名は付くが実態として沼地から山岳まで様々な様相を呈する。一番に広い環境が森であるために原初の森というのだ。

トレオゥ山脈はこの世の始まりから存在し、そこから染み出す水には芳醇な魔力が溶け込んでいる。魔力とは生命の源である。この世の全てに存在するが、魔力が強すぎれば生命は器たる肉体を変化させてしまうのだ。魔力の強い土地では草木が生い茂り、豊作が約束されるが反対に肉体を変化させた獣たち、すなわち魔獣が発生し人々を襲った。この原初の森はそれのもっとも足る場所であり、アレクシスの体を巣食った寄生蝿のように危険な虫も多かった。この森は生が豊富であると同時に死も同数存在するのだ。

そして魔女とはこの森に肉体を適応させた存在である。いくつかの特徴はあるがもっとも足るものは不老長寿であるという事だろうか。自然と年月を重ねた彼女たちの知識は比べるべくもなく膨大であり、彼女たちの作る薬や魔術はそれだけで国を亡ぼせるとも聞いている。

アレクシスは、魔女に兄を治す薬を求めてこの森に入り、そして魔女の娘と名乗る少女に救われたのであった。

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