93話『悪霊祓い《エクソシスト》の真髄』

 礼拝堂の中で、二つの視線が交差する。

 一つは、人ならざる悪霊に憑りつかれた青年。

 もう一つは、腕から蒼白い火花──雷を迸らせる、銀髪の魔術師。


(来る……!!)


 ルキウスは傍にあった茶色の長椅子を素手で掴み、アウラに向けて

 尋常ならざる怪力が、ルキウスの細い腕から発揮される。

 対するアウラは避けることなく、詠唱せずに「強化」の魔術を行使し、その手にヴァジュラを顕現させ────、


「────ッ!!」


 投擲された長椅子を縦に一閃し、両断する。

 この狭い空間では、あまり権能──雷霆の出力を上げることはできない。

 可能な限り基礎的な身体強化と体術に絞り、悪霊に身体を乗っ取られたルキウスを無力化しなければならなかった。

 普段の依頼よりも、人間を相手に細心の注意を払わなければならないが────、


(余計なことは考えなくていい。……無力化することだけに集中しろ)


「──── ──── ──── ──── !!」


 咆哮と共に、悪霊憑きはアウラとの距離を一気に詰める。

 剥き出しの敵意には、淀みない戦意を。

 意識を研ぎ澄ませ、振り下ろされる怪力の拳を最低限の後退で避ける。


 床に軽いクレーターができる程の一撃。


「っ────!!」


「────!?」


 ヴァジュラを使うワケにはいかず、長椅子を処理してからは徒手空拳だ。

 直後、アウラは僅かな硬直を見逃さず、悪霊憑きの脇腹に回し蹴りを見舞った。

 斧に等しい一撃を、ルキウスは寸でのところで手を割り入れて受け止める。

 だがその衝撃が、たかが手で相殺されることはない。


「ふッ────!!」


 気合いを込めて、アウラは悪霊憑きを真横に蹴り飛ばす。

 対してソレは空中で一回転して体勢を立て直し、壁を再び蹴ってアウラに最接近する。

 明らかに常人を越えた動きと身体能力。

「強化」を行使した魔術師に匹敵する膂力と速度。


 人を殺すには十分すぎる程の凶器だが、その一撃がアウラに届くことは無い。


(肉体の強度そのものが底上げされてる……人に人外が取り憑くとこうなるんだな。だったら────)


 冷静に、目の前で起きている状況を分析する。

 底上げされた動体視力を以てすれば、悪霊憑きの動きを見切ることは十分。

 多少手荒な真似になるのは承知の上。

 アウラは、飛び掛かろうとするルキウスの拳を半身で避け、掴み取る。


「────っ!?」


「少し痛いけど、悪く思うなよ……ッ!!」


 ルキウスの腕を掴み、礼拝堂の奥にある、聖壇の壁に投げ飛ばす。その衝撃は肺の中の空気を一気に吐き出させ、鈍痛がルキウスの身体を駆け巡った。

 だが、それだけではない。


「……っ!」


 呼吸を整える暇も与えず、アウラはルキウスの両手目掛けて二本の刃物──否、刃物のように整形した雷霆を投擲する。

 それは掌を正確に貫き、ルキウスは壁に縫い付けられる形になった。


「これしきの魔術……ッ!!」


「生憎、それは魔術じゃないし、俺が解除しない限りは消えない。人に取り憑いた悪霊如きには到底敵わないモノだよ」


「チッ……」


「一つ聞く。なんでルキウスさんに憑りついた?」


 カツカツと、少しずつ距離を詰める。

 冷静かつ冷徹な声色で、アウラは悪霊に問いかけた。

 あとはセシリアの仕事ではあるが、その一点だけは確認したかったらしい。


 悪霊はルキウスの喉を動かし、人間に憑りついた理由を語り始める。


から、ただそれだけだ」


「ハナから自分が人間じゃないみたいな口振りだな。っ────」


 刹那、アウラの脳裏に映像が浮かび上がる。

 モノクロの記録は今の時代ではなく、遥かな過去──神の時代の記憶だった。


(これ、コイツの……)


 自分が視た記録の正体を、アウラは察した。

 それは、数多の異形の軍勢が地上を蹂躙するというもの。その中には一際大きな人型のシルエットも存在したが、彼らを率いる長であろうことは容易に検討がつく。


 燃える大地に、人々の悲鳴。

 文明が人ならざるモノによって食い尽くされていく。

 己に宿る神の記憶を、アウラは見ていたのだ。


「……成程。お前、神期に存在した魔神の眷属か」


「まぁ、そんなところだな。俺たちはソレである以上、神々と人間を心の底から嫌悪し続けるだけだ」


 悪霊は、アウラの推測を肯定した。

 悪魔と共に、神々に反旗を翻した「魔神」。人々を庇護する存在でありながら、人間の敵となったモノ。

 ルキウスに取り憑いた霊の正体は、それに準ずる眷属だった。


 続けて、人間を嘲るように笑いながら語り出す。


「俺たちは数百年もこの地に縫い付けられて、天に昇ることも冥界に堕ちることもない……だというのに、お前たちは俺達の地上に文明を築き、増え、のうのうと生きている。それが腹立たしいから。これで十分か?」


「────────」


 その一言に、アウラは言葉を詰まらせる。

 最初から悔恨の念や反省の言葉などは期待していなかった。

 ただ、悪霊の口振りは、以前に聞いたバチカル派の司教の言葉を思い起こさせた。


 ────『理由? そんなもん簡単だ。退屈だったからだよ』


 ────『こればかりはオレの性分だ。幸福と不幸が均等でない世界は望んでいない。だから、オレは望んで理不尽に人の魂を食らうモレクの化身になったんだよ。そのために生きて死ぬことになるんなら、後悔なんてない』


 アウラと激闘を繰り広げた冥界の魔人・ヴェヘイア。

 バチカル派の司教に名を連ねていた男は今際の際、アウラにそう答えた。

 無辜の民を害する理由は、どこまでも利己的なものだったのだ。


 アウラは少し考えて、再び言葉を紡ぐ。


「ただ善良に生きていた人間を恐怖に陥れて、何も思わないのか」


「ああ、何も。こちとら理不尽に封印され続けてきたんだ、たまにはこれぐらい好き勝手しても問題ないだろう?」


「仮にお前のせいで、憑りついた人間が最愛の人や家族を殺すことになっても、か?」


「愚問だな。この地に俺たちを封じ込めたツケが回って来たに過ぎない、自業自得ってヤツだろ。好き勝手暴れたら、俺はまた別のヤツに憑りつくだろうさ」


「────っ」


 反省の様子を一切見せない悪霊を見て、アウラはギリ、と歯を食いしばる。

 人々が苦しむ理由を、自分たちを封印した報いだと平気で語ってみせた。さらに、悪霊はその責任を取ることなく、今後も似たようなことを繰り返そうとしていた。


(ヴェヘイアの方が、まだマシだったな)


 アウラが相対したヴェヘイアは、自らの所業と選択の責任を取り、足掻くことなく死を選んだ。

 理解することは決してない思想や理念だったが、その生き方は少なくとも筋が通っていた。


 しかし眼前の悪霊は、自分勝手に生きる人々を惑わし、苦しめる。

 まして、その報いを受けようともせずに地上に在り続けようとしていた。


「なんだ、怒ってるのか? 言っておくが、俺を殺しても死ぬのは肉体だけ……お前はただの人殺しに成り下がるだけだぞ?」


「お前……っ!」


 アウラの声に、怒気が宿る。

 この期に及んで人を嘲笑う悪霊の言葉は、彼の神経を逆撫でするものばかり。

 キレていると言わんばかりに、アウラはバチバチと稲妻を迸らせていた。


「落ち着いて下さい、所詮は魔の戯言。コイツを裁くのは私の仕事です」


 トン、と、アウラの肩に手を置いて引き留める。

 かつかつ、と足音を響かせながら、セシリアは深呼吸と共に近付いていく。

 それは、スイッチを切り替えた合図。

 ただの修道女ではなく、一人の異端狩りとして、彼女は自らの力を振るう。


「ただの修道女が俺を裁くって? 冗談だろ?」


「ええ、どうやら魔神の眷属らしいですが、所詮は末端。貴方程度の存在を祓うのは造作もありません」


「なんだお前、神の代行者にでもなったつもりか?」


「ええ、私は敬虔なる神の下僕。その教えを広める者であり、神の摂理に背くモノを滅する使徒です」


 セシリアは声のトーンを落とし、悪霊憑きの男に手を翳す。

 それから、唱える。

 地にそぐわない霊魂を地獄に突き返す、全能なる神の言葉を。


「────主の御名の下に命ずる」


 始まりの文言。教会の聖典に基づく詠唱が始まった。

 同時に、悪霊憑きの男の脚元に、淡く白い光が沸き上がる。


「"神に逆らうもの、罪を隠すものは陰府よみに退く。信仰なき魂に救いなく、主は死なきものに滅びを与える"」


「ッ────あアァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」


 淡々と紡ぎ上げられる聖言。それに呼応するように、悪霊憑きの男も苦悶の形相を浮かべる。

 教会のエクソシストや使徒にのみ授けられる、彼らが行使を許された唯一の魔術──即ち、教典魔術の秘奥である。

 人の編み出した魔術の中で、聖言ほど霊体に効力を発揮するモノはない。


 唯一神の敷いた絶対的なルールを以て、神の摂理に背くモノを世界そのものから引き剥がす。


「"裁かれよ。我らが神は殺戮の武器を備え、硫黄の矢を汝に番える"」


 一度の瞬き。

 次に開かれた目は、迷える信徒を導く修道女ではない。


 この世にあらざるモノを見る目。

 創造主に背く魔に対する、心の底からの侮蔑の視線。

 男の脚元から発する光は徐々に強さを増していき、ルキウスに憑りついた悪霊に苦痛を与え続ける。


 ことこの場において、教会はただの宗教施設ではない。


 教典魔術により作り替えられた教会は、俗世に表出した魔を葬る処刑場に等しい。


「やメロ……やメロ────ォォォォォォォォォォォォォォォォォっ!!!!!!!!」


 血涙を流しながら、ルキウスに憑りついた悪霊は絶叫する。

 呼応するように、彼の身体を青い炎が焼いていく。

 当然、ルキウス本人の身体には傷一つない。その炎が焼き尽くすのは、現世に顔を出した悪霊の魂そのもの。


「悪かった!! もう人間には憑りつかない!! 大人しく墓地で過ごすから、祓わないでくれ!!」


「────黙れ、悪霊」


 悪霊の懇願を一蹴するセシリア。

 その声色には明確な嫌悪が宿っており、悪霊の戯言を聞き入れるつもりは毛頭ない。


「────」


「お前たちのような悪霊は、我らが神に背くモノだ。地獄に行くべきモノが醜くも現世にしがみ付き、あまつさえ敬虔な信徒の身体を蝕むなど──神の徒に、いや、生きる者に対する最大の侮辱だ」


「……っ!!」


「次の生などない。煉獄で罪を濯ぐ必要もない。お前たちのようなモノの魂は、"在る"ことすら許されない」


 絶対的な死刑宣告。

 それ以上、悪霊と交わす言葉はない。そう吐き捨てるように、セシリアは翳す手に力を入れる。

 計り知れない程の憎悪が、そこには込められている。

 セシリアから見れば、悪霊もバチカル派と同じ、敬虔な人々の生活を脅かす排除対象だ。故に、一切の手心は与えない。


 この世の物ではない苦痛を以て、眼前の悪霊を討ち滅ぼすだけ。

 外に出ようとする己の感情を抑え込み、冷静に聖句を紡ぐ。 


「"汝に贖う罪はなく、永劫の破滅をもって主の御心は満たされる。陰府よみにいくべき魂に憐れみはいらず、神の御前に傅くかしず獣に等しく──天の代行者たる私が告げる"」


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!!」


 悪霊はここに来て、己に与えられる「死」を正しく理解した。

 天に昇り、神の国に受け入れられる訳ではなく、対して地獄や冥界で責め苦を受ける訳でもない。


 ────魂の消滅。


 永遠に続く「無」に還ること。

 それこそ、自分に与えられる裁きなのだと。

 正真正銘の今際の際、悪霊は慈悲を求めるように天を仰いだ。


 この瞬間、名も無き悪霊は心の底から懺悔する。──しかし、それは意味を為さない。

 下される審判が覆ることは、万に一つもないのだから。


「ぐッ────ぁ────!!」


 苛烈さを増していく光は苛烈さを増し、炎は魂そのものを燃やす業火へ変じていく。

 真の意味で、悪霊をこの世から消し去る為に。

 与えられる苦痛は加速度的に増していき、それが頂点に達した頃、セシリアは最後の文言を紡ぎ出す。


 悪霊祓いの魔術を結実させる聖句。

 唯一振るうことを許された、悪しき霊を葬り去る魔術の名を。



「……"神の威光は此処にありアド・ルセム"」



 必死の懇願も虚しく、悪霊の最期の絶叫が礼拝堂に木霊する。

 霊を焼き尽くす炎と光は一際巨大となり、人間に憑りついていたモノに止めを刺した。


(これが、教典魔術の真髄……)


 一転して、教会内が水を打ったように静まり返る。

 目の前で行使された教典魔術の一つ──聖言を前に、アウラは衝撃を受けていた。


 主の怒りを代行するかのような苛烈さ。

 教会の異端狩りの実力を、改めて認識させられたのだった。

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