3話『羅刹の少女』
その少女は、自らを食らわんとする獣達を前にしても全く動じる事は無かった。
声色には余裕すら垣間見え、傍から見た感想を実直に述べるのならば「脅威として見ていない」というのが最も適切なのかもしれない。
彼女を「狩人」と例えるならば、取り囲む獣は「獲物」に過ぎない。
表情一つ変える事なく、魔獣達を見据える少女。
彼女が携えた剣は一見すると通常の剣に見えるが、目を凝らせば異質さが目立っていた。
「……黒い、剣?」
そう呟いたのは、突如として現れた少女に窮地を救われたアウラだった。
彼女が携える剣の刀身は禍々しさを放ち、魔獣の血によるものでは無い、
自分の知る言葉で形容するならば──魔剣。
世界各地の伝承、詩の中で古くから語り継がれるモノ。
圧倒的な力を持ち主に授けると同時に、破滅の運命を齎すと伝承される武器。
本来であれば両手で持つであろう程の剣を、彼女は片手に携え、静かに魔獣達を見据える。
少女はまだ微動だにしなかったが──群れのうち一体が少女に飛び掛かった。
「危ない!」
アウラが声を挙げる。
彼女に襲い掛かったのは、群れの中でも一際大きな個体。
華奢な少女と、凶暴且つ巨大な怪物。何も知らない人から見れば、一方的に捕食されるだけだと判断するだろう。
何年も研ぎ澄ました刃物のように鋭利な爪が、少女に振り下ろされる。
魔獣のその一撃を食らえば、常人であれば肉ごと引き裂かれて確実に死に至る。
たとえ鎧を着ていても意味を成さないとも思わせる程の凶器だった。
しかし、アウラの心配は杞憂。
──狩られるのは彼女では無く、獣の方なのだから。
「────"アグラ"」
姿勢を低くすると同時に、小さく文言を唱えた。
その単語が一体なんの意味を持っていたのかを知る術は無い。
しかし、彼女が文言を言い終えた直後──その姿は魔獣の目の前には無く、その懐にあった。
アウラの目には、さながら瞬間移動でもしたかのように映っただろう。
「──────っ!」
そして、大きく振りかぶった剣を以て、魔獣の喉元を薙ぎ払う。
命中した箇所から鮮血が迸り、巨躯は力なく倒れ込んだ。
一撃必殺。僅か数秒で、獣の命を刈り取ったのだ。
「── ── ── ── !」
続けざまに、傍観していた残りの獣達も一斉に襲い掛かる。
次に襲い掛かったのは、少女の前後にいた二体だった。
後ろなど全く気に留めている様子は無かったが、瞬時に剣を逆手に持ち替えて、迫り来る魔獣を頭から串刺しにする。
彼女は続けて、それを前方から迫り来る片方の魔獣にぶつけた。
「あと三体……」
その直後、真正面から来た魔獣が牙を剥く。
狙うは首元。確実に獲物の命を停止させる事の出来る場所だ。
しかし彼女はそれを一度剣で受け止め、完全に無防備な腹を足で蹴り上げた。
宙に浮く獣の巨躯。それに合わせるように彼女も跳躍し、
「────はぁッ!」
間髪入れずに放たれた二撃目の蹴りで、魔獣の首から上を蹴り飛ばす。
鮮やかな紫色の長髪を靡かせる少女は、瞬く間に四体の魔獣を殺してみせた。
それは圧倒的な暴力であり、「強いモノがその場を支配する」という法則は、既に崩壊していた──それに則って言うのならば、今の空間を支配しているのは彼女である。
一番最初。アウラに襲い掛かった魔獣を一撃で絶命させた「あの瞬間」、序列は逆転したのだ。
残った魔獣は畳みかけるように攻撃を仕掛けるが、彼女は悉く躱し、返しの一撃で確実に息の根を止めに掛かる。そこに容赦や手加減など何一つとして無い。
異臭を漂わせる血をいくらその身に浴びようとも、鬼神の如き膂力を以てその場を蹂躙する。
その剣の扱いに騎士のような清廉さなどは無い。
彼女のソレはただ、自分が敵だと認識した対象の命を削り取る為だけの凶器に過ぎない。
身体が、直観が、モノの殺し方を覚えていて、本能に従ってそれを実行しているだけに見える。
生物としてのレベルの違い。
瞬く間に魔獣を屠った彼女から感じられる異質さと、魔獣達が敗北を喫した理由は、その一言に集約される。
「鬼神……」
その光景を目にして彼の口から洩れた言葉。
自分は勿論、彼女と戦う獣達との力量の差は歴然。
その証拠に、彼女の身体には傷一つ無く、一太刀の下に魔獣達を次々と切り伏せる。
(この人、一体何者────?)
アウラの率直な感想である。
彼女の一体何に惹かれるのだろうか不明だが、獣達はアウラを狙う事なく、その少女のみを狙っていた。
ターゲットとして含まれていないのは幸いなのだが、何処か不可解である。
彼女は淡々と、それでいて確実に一匹ずつ仕留めていく。
振るわれる剣は止まらない。
華奢な肢体から繰り出される常人離れした体術。そして剣技によって死体の山が築かれていくのを見ていたアウラだったが、同胞の匂いを嗅ぎつけたのか。
「……新手か……!」
崖の上から姿を現したのは、三体もの獣だ。
彼らはアウラを獲物と認識したのか、うち一匹が崖を降りながらトップスピードで彼に迫る。
鉄をも切り裂く強靭な爪。振るわれる自然の凶器を前に──アウラはヴァジュラを構えた。
(こうなったら仕方ない。俺も腹を括れ────!!)
恐怖心を掻き消すように、考えるよりも身体を動かす。
身を低くし、襲い来る獣が跳躍し、己目掛けて飛び込んでくるタイミングを正確に見計らい──最低限の動きで攻撃を避け、その大口に狙いを定める。
獣の丁度下に位置取り、ヴァジュラの切っ先を向けて
(捉えた……っ!!)
臆することなく、その顎目掛けて刃を突き立てた。
落下の速度も加わり、ヴァジュラは獣の頭部を貫通し、アウラは力任せに引き抜いた。そして絶命を確認し、次に襲い来る獣に視線を向ける。
集中力を維持したまま迎え撃とうとするが、アウラは少女とは違い、ただの人間。
襲い来るは二頭、流石に一人で相手にするには無茶も良いところだ。
「これは、ちょっと無理……!」
喉笛を噛み切られる前に飛び退き、体勢を立て直す。
だが、速度は彼らの方が上。獲物の命を噛み千切るために作られた身体は、アウラとの距離を縮めていく。
冷や汗をかくアウラだったが──二頭のうちの片割れの身体に、少女の携えていた漆黒の剣が突き刺さった。
「そこ、魔術も使えないなら無茶しない!!」
紫髪の少女は剣を投擲していた。
既に先ほどの獣の群れは仕留め切っており、残すはアウラを襲う一頭のみ。
「ちっ……間に合うか……っ!」
舌打ちをして、彼一人では討伐が難しいと察したのか、彼女も既に動き出していた。
少女が獣の命を刈り取るが先か、獣がアウラの身体を引き裂くか先か。
────答えは、そのどれでもない。
アウラは、ここで魔獣に殺される未来など見ていない。
異なる世界での、第二の生。新たに与えられた道は、何があっても自分で切り開くだけだ。
余計な思考を排除し、己の障害を打ち払うことのみに意識を向けて、獣が前脚を振り上げた刹那──臆する事なくその懐に飛び込んだ。
そして、
(こいつで、仕舞いだ────ッ!!)
深々と、その刃を腹部に突き刺した。
獣の血が刃を伝い、ポタポタと地面に赤い染みを作っていく。
ヴァジュラは肉を断ち、内臓を確かに貫き、絶命に至らせた。
「……重っ!!」
危うく巨体に潰されそうになり、すぐに魔獣の身体から刃を引き抜く。
異世界に来て最初の危機を、どうにか切り抜けたアウラであった。
※※※※
「────ざっとこんなもんかしらね」
ふぅ、と一息吐いてから、彼女は言った。
気が付けば、周囲一帯は獣達の死体と血の海と化していた。異臭が立ち込め、あまり長居していると気分を悪くしかねない。
喉元を一閃されたもの、何故か首から上が無いものなどその種類は様々である。
そしてその中心に、この状況を作り出した二人の元凶が佇んでいる。
一人はアウラ。
もう一人は、鮮やかな紫色の長髪に、魔獣達の鮮血を身に纏う、羅刹の如き力を振るう少女。
その出で立ちは機能性よりも動き易さを重視したような物で、剣士にしては軽装。上は白、そして瞳と同じ赤を基調とした服を身に纏っている。
胸当てなどを装備していないので防御に乏しい印象を抱かせるが、堅牢な鎧などでは彼女の動きの妨げにしかならないのだろう。
また、最低限の装備として篭手を装着しているものの、脚を覆うのはシンプルなブーツだ。
見ようによっては、アウラと同じ旅人のような装いにも見える。
「あれだけの数を無傷か……どっちか怪物だか分かったもんじゃないな……」
アウラは唖然としている。
異世界である故に、多少の常識外れというのは覚悟していた。
しかし実際に目の当たりにすると、こと異世界において、常識を基準に考えること自体が間違っていることを理解させられる。
「ところで貴方、怪我はない?」
すっと振り返り、アウラへと声をかける少女。
つい先ほどまで悪鬼羅刹の如く暴れ回っていたとは到底思えないスイッチの切り替えである。
「あぁ、うん。お陰様でなんとか助かったよ」
「なら良かった」
何気ない問答を交わすが、彼女のこの人間離れした膂力は一体どこから来るのかと内心気が気ではないアウラであった。
魔獣相手に大立ち回りを演じて見せた少女の顔には返り血がべっとりと付いており、何も知らない人が見れば街で悲鳴が上がりそうなものだ。
しかし特に気にする様子も無く、彼女は続けて
「とにかく、間に合って良かったわ。もう数秒遅かったらどうなってたことか」
「確かに……本当に助かったよ、ありがとう」
そう言われ、もしも彼女の到着が遅れていたら。と、アウラは良くない想像をしてしまう。
自分が群れに襲われていれば、肉を引き裂かれ、骨すら残さず彼らの餌に成り果てていた。
恐怖を感じるアウラを余所に、彼女は腰に手を当てて、
「コイツらはジェヴォ―ダンって言う群居性の魔獣でね。何処にでもいるんだけど、常に集団で狩りをするから一人の時に遭遇すると面倒なのよね」
「いや、面倒って言う割には容赦無く叩き潰してましたよね……」
「何言ってんの。この程度に手間取ってるようじゃ、五体満足で冒険者なんてやってられないわよ」
漆黒の剣を肩に担ぎ、さも平然と答えた。
群れ一つ葬る程度であれば彼女にとってはさほど難しい事ではない。鬼神の如き膂力をもってすれば、赤子の手を捻るようなものだ。
「ところで、アンタはこんなところで何してたの? 見た所、少なくとも私の同業者って感じではないみたいだけど」
「え? あぁ~、うん。それはですね……」
アウラは眼を逸らし、気まずそうに口ごもる。
何気ない質問だが、彼にとっては答えるのが困難である。しかし今はどうにかして頭を回転させ、なんとか怪しまれないような返答を用意せねばならない。
思考をフル回転させ、彼は思いついたように指を立てて、
「────そう、旅! 俺一人で色んな所を回ってるんだけど、いつの間にかこの森に迷い込んじゃってさ」
「へぇ。なら、その変な剣は何? 一介の旅人が持つにしては随分な代物だけど」
彼女が指さしたのは、アウラの手に携えられた両刃の剣。
言う通り、ただの旅人であれば、わざわざこのような武器を持つ理由はない。
「えーっと。これはですね……旅に出る時に護身用って事で受け取ったもので……」
アウラの言う事も間違ってはいない。
確かにこの世界に来る時に「護身用」という名目で授けられたものだ。その実は神の兵器なんてとんでもない代物なのだが。
汗を滲ませ、必死に笑顔を作ってこの場を切り抜けようとする。
(頼む、それ以上深くツッコまないでくれ……!)
ひたすらにそう思いながら、彼女の返答を待つ。
問い詰められればこちらに成す術は無い。その視線は徐々に訝しむかのように変化していくが、
「……まぁいっか。なんか訳アリみたいだし、これ以上は聞かないであげるわ」
彼女は溜め息を零し、言葉を返す。
必死な笑顔に違和感を感じ、何か話せない理由があるのかと察した様子だった。
「とりあえず、他の魔獣が寄ってくる前にこの森から出ましょうか」
「出るったって、道は分かるのか? この森、風景が何処も同じだから、歩けど歩けど抜けられそうな気がしないんだけど……」
「大丈夫よ。はぐれないように付いてきて」
言って、彼女は歩き出す。
アウラと異世界人の最初の邂逅は、窮地を救われるという形で果たされた。
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