第38話 猫の見た光景

「…なんだ、猫かぁ」


「驚かせてぇ、悪い子ね。メッ!」


 …女子2人で猫と戯れている。先程までのプチホラー展開がまるで嘘のようである。

 猫の方も人に慣れているのか、鈴代ちゃんと立花ちゃんの2人に、均等に愛想を振りまいて遊ばれている。


 猫種は分からないけど、俺の見慣れた日本猫の様にも見える。何せ部屋は薄暗くて、無重力な上に空気も……。


 うん? あれ? ちょっと待って……。

 ここって損壊した宇宙基地だよね? 空気残量ゼロだったよね? この猫、宇宙服とか酸素ボンベとかそれらしい物を何も付けてないよね?


 なんで生きてんの? この猫?

 加えて、何でそれに鈴代ちゃんたちはノーリアクションなの?


 猫の正体が分かってなかった時よりも、今の方がずっと怖いんですけど?!


《あの、鈴代さん… ちょっといいですか?》


「なぁに? 今いいところなのに…」


 ネコでタイムに邪魔が入って、不機嫌そうに立花ちゃんに猫を渡す鈴代ちゃん。


《未来の猫って空気が無くても生きられるんですか?》


「何言ってんの? そんなわけ無いじゃない」


 ですよねー。

 じゃあ今目の前で繰り広げられている『宇宙服を着た女の子2人が真空の中、生身の猫と戯れている』シュールな光景は一体何なのでしょーか?


「第一、本物の猫なんてとっくに絶滅しているわ。あれは猫型のペットドローンよ」


 …………。

 おお! 何か繋がった、分かったぞ。


「コロニーの生活に余裕はないわ。人間ですら水や酸素の供給量が足りない時があるのに、動物に回せるリソースは無いの。だから…」


《ペットの類は全てロボットになったってわけか…》


「ええ、食肉用の遺伝子改良された豚や鶏はまだいるけど、それでも生きたまま飼育場から出る事はないから、生身で見たことは無いわね」


 そこまで言って鈴代ちゃんは少し言い淀む。

「あとは… 人の手によらずに生き残れたネズミとかゴキブリとかは普通に居るけどね。むしろ繁殖力の高い彼らは貴重なタンパク源だわ」


 …マジかよ、宇宙時代にもGは生き残っているのかよ。そんでもって虫とかネズミとか食ってるのかよ……。

 この時代に生まれなくて良かったぁ。


 でもまぁ納得した。俺らの時代にも子供用の玩具に毛が生えたようなペットロボットは居たけど、この時代はペットは全てロボットなんだな。

 しかし、見た目には全くロボットとは分からない。仕草とか息遣いに至るまで本物そっくりだ。


 女子グループが必死になってモフっているから、触り心地も本物そっくりなのだろう。

 彼女達が『本物』を知っているかどうかは置いておいて。

 本物の猫と違うのは、初対面の人間に触られても嫌がらないで大人しく気持ちよさそうにしているって事くらいか。


 まぁ、それが良い事なのか悪い事なのかは何とも言えないが、『動物に回せるリソースは無い』って言葉はやけに重く感じられた。

 つまりノアの方舟に乗れなかったって事なんだよな……。


「さぁ、立花少尉。役得のお遊びはそこまで。その子を連れ帰って調べましょう」


 鈴代ちゃんの言葉に、「はい」と猫を抱いたまま立ち上がる立花ちゃん。


 そう、既に緊急用の動力炉すら半壊、いや半消滅しており、救命ポッドに避難していた生存者達は、生命維持装置の停止に合わせて全員が生命活動を停止していたのが確認された。


 結局、このロボ猫以外に収穫らしい収穫は無かった。虚空ヴォイド現象によって空けられたと考えられる、虫食いだらけの状況証拠以外は……。


《なぁ、あのロボ猫連れ帰ってどうするんだ? 『すざくふね』のマスコットにでもするのか?》


「それも良いわね。でも違うわよ。あの子の視覚データに何か情報が残っているんじゃないかと思ったのよ。実際コロニーでは小さい子供の見守り機能として、ペットドローンがよく使われているわ」


 なるほど、あいつが何かを見ていればそれが記録として残る訳だ。あいつの視線の先に丙型が… まどかがいたら俺も腹を括る必要がある。


 基地の残骸を出発し、周辺を警戒している仲間達のもとに戻る。

 警戒活動ついでに、宇宙機動についてγガンマεイプシィを、βベータζゼータをそれぞれマンツーマンで教えていたようだ。


 その指導のおかげもあってか、εイプシィくんもζゼータちゃんも、始めの頃より格段に上手い機動マニューバを見せるようになっていた。

 よしよし、イイ感じに成長してレベルが上がっているな。頑張って生き延びてくれよ。


 俺も仲間が死ぬ所はもう見たくないんだからな……。


 鈴代小隊は無事に『すざく』に帰還した。こちらもグラコロ隊の反乱等は無かったようだ。

 ついでに天使が脳卒中か何かで死んでくれていればなお良かったけど、そこまでうまくはいかないようだ。


 立花ちゃんが猫を抱いて降りてくると、格納庫ハンガーの女性陣が黄色い声を上げる。

 ちなみにソ大連は旧ソ連時代から女性兵士の割合が多く『狙撃兵を捕まえたら女だった』とかざらにあったらしい。


『平等』を謳う共産社会のそういう伝統なのかどうだかは知らないが、ソ大連も女性兵士が比較的多い。グラコロ隊に限った話でも、15名中グラコロ大尉を含めて6名が女性だ。


 その内の今この場にいた4名が、猫目当てに集まって来てキャーキャー言っている。古今東西を問わず、なぜ女性はこんなにも猫が好きなのだろうか?


 俺も猫は嫌いじゃない。と言うか動物全般は好きだ。でも猫って偉そうじゃん? 飼われているくせにやたら態度がデカい。

 嫌いじゃないよ? 嫌いじゃないけど、俺としてはやっぱり犬の方が素直で可愛いと思えるな。

 あのロボット猫も本来の猫の様に、人様に対してデカい態度を取るのだろうか?


 まぁそんな事はどうでもいい。


 猫の記憶チップを確認する為に永尾艦長と『すざく』の各部所長、谷崎少佐、長谷川大尉、グラコロ大尉、武藤中尉、そして鈴代ちゃんが集められた。

天使は「興味無い」と言って、自室に寝に行ったらしい、とことん自由な奴だ。


 俺は格納庫から先へは進めないので、鈴代ちゃんを見送って会議の結果待ちだ。


 偉いさん方が会議をしている間、艦内は猫の話題で持ちきりだった。主な話題はあの猫を艦内で飼うのかどうか? もし飼うならば名前はどうするのか? という物だった。


 色が黒いから『クロ』とか、同じ理由でロシア語の『チョールヌイ』とか、東ソ友好を願って『友達ドゥルーク』とか、『ジジ』とか『タンゴ』とか『ルンバ』とか喧喧囂囂けんけんごうごうだ。中には『イヌ』とか『ネッコ』の様な正気を疑う意見も出ていた。


 ちなみに俺のイチオシは『ぬこ』だ。


 ☆


 そうこうしているうちに猫の記憶チップの確認と、その後の対処が決まったようだ。

 鈴代ちゃんらパイロット達が格納庫に戻り、作業員達に各所に設置されたモニターを見るように指示している。


 久しぶりに武藤さんを見た。まだ杖をついて右脚を痛そうに引きずっているが、歩行は問題無さそうだ。輝甲兵は基本歩かないから、乗る機体さえ有れば輝甲兵に乗って戦えるんじゃないかな?


 艦内放送で永尾艦長の声が響く。

「艦長の永尾だ。今回鈴代隊が入手した情報に関して、諸君らとそれを共有したいと考え、その映像の全てをこれより無修正で放送する。我々が直面している事態と、これから戦う相手がどの様な物なのかを自身の目で改めて確認して欲しい」


 だそうだ。程なく艦内の全てのモニターに、猫が見ていた『地獄』が映し出された。


 まず猫の低い視点からの部屋の様子、その視線の先には恐らくは飼い主なのか男がデスクワークをしている。


 何やらブツブツと独り言を言っているようだが、猫のマイクの性能が低いせいかはっきりとは聞き取れない。

 俺が聞き取れた範囲では給与計算が合わないだか何だかの話に聞こえるが、まぁ何の事も無い平和な日常風景なのだろう。


 しかし、その平和な光景が何の前触れもなく崩れ去る。部屋がガクリと揺れ男が何事か? と立ち上がる。


 次の瞬間、部屋主の男を含めて部屋の半分がいきなり消え失せた。そして唐突に眼前に広がる宇宙。部屋中の空気が放出され真空になった為か、映像の音声も止まり『無声映画』の様な奇妙な映像が続けられる。


 部屋に半分残った空気と一緒に吸い出された猫だったが、独自の推進システム(猫の目線からでは確認不可能)で慌てる事無く基地の外壁に着地する。

 ここが新たな撮影地点になる訳だ。


 猫の視線の先には戦闘が行われていた。いや、戦闘と呼べる代物なのかどうかすら怪しかった。


 基地の防衛隊と思われるソ大連の輝甲兵が何かを銃撃している。その撃たれている標的も輝甲兵だった。

 そいつは回避運動らしき動きも見せず、武器も構えずに穴だらけのまま、銃撃を繰り返す輝甲兵に向かって飛び、抱きつき、そして2機ともが消え失せた。


 見覚えのある戦い方だ……。


 別の角度を見る猫、次に映ったのはどこかへ銃を撃っている輝甲兵が突然電撃を浴びた様にガクガクと痙攣を始める。

 次の瞬間、輝甲兵の腹が開く。地上と違いパイロットが自然に落下していく事は無い。無いのだが……。


 腹を開けた輝甲兵は、自らの腹のコクピットに手を突っ込み、一方的に接続を切られ、必死に椅子にしがみついているパイロットを掴む。

 そしてあろう事か命綱の無い人間を彼方に投げ放ったのだ。

 あの人は永遠に宇宙をデブリとして彷徨う事になるだろう。


 もちろん独りでに輝甲兵が動く訳は無い。『鎌付き』とまどかと俺を除いて……。


 パイロットを『捨てた』輝甲兵は、ダーリェン基地で見たゾンビ輝甲兵の様なフラフラした動きを見せながら、基地の外壁に取り付き虚空ヴォイド現象を起こして消滅した。


 猫の視点が動く。次に捉えたのは『鎌付き』が得意の突撃から輝甲兵の首を刈り取っている所だった。

 その後『鎌付き』は逃げようとする輝甲兵を後ろから斬りつけ、手足をもいだ挙句に腹を串刺しにするなど、操縦者(?)の温厚で善良な性格が滲みでる活躍をしていた。


『鎌付き』が居てゾンビ輝甲兵がいる。この状況でまどかだけが居ない理由が無い。

 撮影されていないだけで近くに居るのは間違いないだろう。


 香奈さん達の時は錯乱していたが為の事故である、と言えなくも無い。

 だがこれは明確に殺意を持って中のパイロットを投棄している。


 まどか… これをやっているのはお前なのか…? もう戻れないのか…? お前は自分の意志で大量殺人を犯しているのか…?


 やがて猫は外壁にあるダクトから基地内部へ戻り、鈴代ちゃんに拾われたあの部屋に入って行った。


 そこでこの胸糞悪い上映会は幕を閉じた。


 映像には最後まで円盤頭… 丙型の姿は無かった。だが、俺達はそれを理由に安堵できるほどお人好しでも無かった。


「諸君らが今見たのは創作された映画では無い。現実に第2基地で行われた『虐殺』だ。敵は相手の輝甲兵を乗っ取り、『それ』自体を爆弾とし、特攻をかけて虚空ヴォイド現象を起こしてくる…」


 作業員達が色めき立つ。無理も無い、あんな攻撃を食らったら『すざく』と言えども一撃で沈められてしまうだろう。


 艦長の放送は続く。

「だが我々は止まる事は許されない。我々が戦うべき相手と戦うべき理由が諸君らにも見えたと思う。ソ大連の同胞達の怒りと悲しみを繰り返させてはならない。あの攻撃が人口の多いコロニーを狙う前に、必ずや我々の手で『やつら』を止めなければならないのだ」


 艦長の口調は決してげきして話しているのでは無い。しかし、彼の抱く固い意志と内に秘めた怒りは、放送を聞いている全ての人間に染み入るように伝わっていく。


「奴らの戦術への対策は考えてある。我々は必ず勝利を掴むと約束しよう。今一度誓いを新たに諸君らの力を貸して欲しい!」


 艦長の力強い演説に艦内のあちこちで歓声が上がり拍手が巻き起こる。

 多分にパフォーマンス的な意味合いの強い演説だった。『対策がある』なんてのも恐らく嘘だろう。


 それでもやらなきゃならない時ってのはあるもんだ。ロボの体として一歩引いた気持ちで見ていた俺だが、すっかり乗せられてしまっているぞ。

 あのオッサンは軍人よりも扇動者アジテーターとしての才能があるかも知れんね。


 最終的な結論としてこの基地は『鎌付き』の一党に襲われて、猫1匹を除いて全滅した。

 補給艦基地だと聞いてはいたが、幽炉を始めとする輝甲兵用の備品は全て、『鎌付き』に持ち去られたか宇宙空間に散逸しており、『すざく』に持ち帰る事が出来たのは、食料等の『鎌付き』ら輝甲兵が必要としない生活物資のみであった。


 いや、正確にはごく少量、数人分と思われる食料を持ち去って行ったらしい。

『はまゆり』の乗員が生きているとは考え難いが、もしそうだとしてもこの量は少なすぎる。

 或いは数人が生かされていて船の運行を行っている可能性もある。ならば彼らの救出もオプションに入ってくるという訳だ。


 頭が痛いぜ……。


 ☆


 猫の処遇はそのまま艦内(格納庫)で飼う事が許されたそうだ。

 名前は艦長の鶴の一声で『ワガハイ』と決まった。この時代でも夏目漱石は強いらしい。


 んで、この『ワガハイ』くんは、それ以来格納庫をウロチョロしながら人々に愛想を振りまいて艦内の雰囲気を和ませている。

 時々作業員の手が止まるのが難点だが、まぁ戦闘態勢でも無ければ大した問題にはならないだろう。


 むしろ乗員たちのメンタルヘルス的にはペットを飼うのは良い事だと思える。

 それでいてロボットだから飯も食わないし、病気にもならないし、生身よりも衝撃に強いし、宇宙に出しても死なないし(実証済み)、トイレトレーニングも必要無い。


 人懐こくプログラムされているから、少々乱暴に撫でられてもすぐに逃げ出したりもしない。

 俺の時代に売り出したら大ヒット間違いないだろうな。


《なかなかに優秀なペットだよな…》

 一人物思いに耽る俺。


《そうよ、優秀なのよ》


《俺もあの体をモフりたいけど、俺がやったら潰しちゃうからなぁ…》


《触りたいの?》


《おう、動物全般好きだしな。あんな人懐こい猫は俺の世界ではレアだし、もし生身で抱きしめられたら『もう離さない!』ってなりそう》


《そんなに好きなの?》


《好きだねぇ。あの子は良いね。猫のくせに偉そうじゃない所がポイント高いよ》


《そう… そこまで熱く口説かれたら、私も悪い気はしないわ…》


《いやまぁ、口説くってそんな大袈裟な… って、えっ?》


 俺ってば今誰と話をしていたの?

 鈴代ちゃんは今ここに居ない。高橋やアンジェラはもう死んだはずだ。交信できる距離にまどかが居るなら、『すざく』の探知に既にかかっているはずだ。


 え…? 誰…? ひょっとしてまだホラー展開続いてたの…?


 俺の足に体をこすり付けながら、足元の『ワガハイ』が「にゃー」と鳴いた。

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