【石物語】アウイン

藍色

蜂蜜の話

蜂蜜の話(前編)

初めまして。僕はアウイン、石です。

世紀の歌姫、シャーロットの前に現われた彼はそう言って柔らかく微笑んだ。


「花を見たの」

 シャーロットの話ときたら、いつだってとりとめなくて唐突だった。

 猫のように気まぐれな彼女の気が向くまま、何かが彼女の琴線に触れた時、前置きも無くしゃべり出す。ほとんど独り言のようなそれは、ちょっとした独唱コンサートにも似ていた。

「タクシーで帰ってくる途中、信号待ちの時に見つけたのよ。黄色のクロッカス。コンクリートの隙間から顔を出して……健気っていうより滑稽だったわ。こんな寒い、ハチも眠ってるような時期に一人だけ張り切って咲いちゃってさ。結局種も作れないで寒さで枯れちゃうのよ。ばっかみたい」

「そうですか」

「ねえアウイン、ちゃんと私の話聞いてる?」

 ベッドの上にキャミソール姿で腹ばいになって、脱ぎかけのストッキングを爪先に引っかけたままバタバタと足を動かす彼女はまるでティーンエイジャーの少女だ。

 一方、しどけない姿の彼女に「聞いてますよ」と穏やかな声色で相づちを打った男のほうは、紺青の牧師服をかっちりと着込み、体重をどこかに預けることも無く背筋を形良く伸ばして部屋の隅に立っていた。

 空いてる椅子を横目に、それでも腰を下ろさない彼――アウインに、シャーロットはこれ見よがしに溜息を吐いてみせる。

「アンタ、あたしの話聞くために出てきたんじゃなかったの? ええと……僕はベツリをなんとか、っていう」

「僕は別離の石ですから、君の別離を祝福するために来ました」

「そう、それ。そんな感じだったわ。ねえ、それってどういう意味なの?」

 ごろんと寝返りを打って仰向けになり、シャーロットはアウインを見る。

 アールヌーヴォー調のランプシェードの明かりに照らされるアウインの髪は露を置いたように青い。太めの眉も同じ色で、眠たげにも見える優しい垂れ目は黒にも見えるほど深い青。口元は柔和に微笑んでいたが、それは明らかに人間では無かった。

「アウイナイトという石を君は知っていますか」

「よく知らないけど、あの拾った石の中に埋まってた青いやつのことでしょ」

「ええ、あの水晶質の母岩の中に埋まっているのが僕――アウイナイトです。ラピスラズリの構成成分の一つでもあります」

「ラピスラズリなら知ってるわ。幸運のお守りでしょう」

「ええ、そのラピスラズリです」

「じゃあ、アンタは幸運のお守りってこと?」

「いいえ、アウイナイトの性質は別離、旅立ちです」

「ふぅん。何かラピスラズリの方が景気が良さそうね」

 もう一度寝返りを打って腹ばいの姿勢に戻ったシャーロットに、アウインは黙って微笑んだ。

「それで、アンタのボガン?を拾ったら、ランプの魔人みたいにアンタが現われた訳だけど、願い事も叶えてくれないし、幸運のお守りにもならないし、悪縁を切ってくれるって感じでも無いのよね? 何の役に立つの?」

「特に何も」

「ええー」

「誰かの選択や環境に干渉できるほど、僕の魔力は高くありません。出来るのは、こうして人の形を編み上げて君と話すくらいです」

「ホント、何しに来たのよアンタ……」

「君の別離を祝福しに来たのですよ」

「別離、ねぇ……」

 別離。別れ。決別。停滞からの解放。迷いからの脱却。

 シャーロットはまだ化粧を落していない顔を枕に埋め、ねえアウインと青色の結晶に呼びかけた。

 何ですか、と耳に心地よい低音が問い返す。

「アタシ、紅茶が飲みたい。蜂蜜たっぷりのやつ。作って」

「分かりました」

 猫のように柔らかな足音がキッチンに消えてゆくのを耳で拾い、シャーロットはほーっと大きな息を枕に吸い込ませた。


 別離。その言葉に思い当たる節が無いわけでは無かった。

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