兄:その熱さは
少し無理を言って、時間前に上がらせてもらった。
昨夜から何度か連絡してるのに、返事が来ない。熱が上がって倒れてるんじゃないかと気になって仕方がない。よく一緒の勤務になる年配の警備員は、珍しそうにしげしげと俺を眺めると、早く帰れと手を振った。
玄関で鍵を回すのももどかしく感じてたのに、肝心の鍵はかかっておらず、三和土には男物の靴が一足。
思考が停止したまま、そっと居間のドアを開けると、赤い顔した朋生にスプーンを差し出してる高山がこちらを振り返っていた。
「お兄?」
「あれ? 随分、早くない?」
二人して時計に視線を走らせて、高山はにやりと笑った。
よく見たら高山は俺の服を着ていて、どうしてそうなっているのかさっぱりわからない。
わからないけど、不愉快な気分が一気に胸の中に広がった。
「なんで、お前が」
ずかずかと近づいて、高山の腕を掴んで立ち上がらせる。
「あ、違うの。あたしが」
「ともきに聞いてない」
「そうそう。俺が説明しとくから、それ食べたら寝てな」
引っ張られながら、高山は手に持っていたスプーンを朋生に渡す。
朋生の不安気な顔が、無性にイラついた。
高山を外に連れ出し、乱暴に腕を放す。
「なんでお前がここにいる? その、服も」
「昨夜、朋生ちゃんと、ちょっと」
唇に人差し指を当てて、ウィンクしやがったから、その顔目掛けて握った拳を思いっきり叩きつけた。
あっさりと受け止められたが、良い音がした。
「ふざけるな」
「わかった。わかったから。意外と短気だよな。順を追うから、ちょっと落ち着け」
わざとらしくホールドアップして、高山は真面目な顔を作った。
「昨日、俺は泊まり明けでさ。そのまま友人に呼ばれて厚岸まで足をのばしてた。そしたら千早から連絡が入って……千早、昨日泊まりだったんだよ。朋生ちゃん熱出してて、薬切らしてるから届けてほしいって」
高山は、俺が黙って聞いてるのを確かめるように一度間を開けてから、再び口を開いた。
「女の子だし、部屋着姿とか見られたくないだろうから、荷物は玄関に置いて帰れって。お前はいないみたいだって言うし、心配だったから友達とはそこで別れて帰ってきたよ? で、ちゃんと届けて、届けたよって連絡入れたら、『ありが』って返信が来たの。既読はついたし返信も来たし帰っても良かったんだけど、妙に気になってさ。全部打てないくらい具合悪いのかなって。ちょっと声かけて行こうって戻って玄関明けたら、そこに倒れ込んでたんだよね」
「倒れ……」
「慌てて起こしてあげようとしたら、体熱いし、声も出さないし。トイレを指差したから、抱き起こして連れて行ってあげようとしたら……戻しちゃってさ。吐きたかったみたい。服汚れたの気にしてシャワー勧めてくれたの。着替えも貸してくれて」
俺の長袖Tシャツを指先でつまんで解った? って片眉を上げた。
「まあ、この時間まで居るつもりじゃなかったんだけど、俺も疲れてたから、ソファに座ったらうっかり寝ちゃってさ。朝になってから朋生ちゃんに起こされて……いいよなぁ。『お仕事ないんですか』って遠慮がちに揺すられて。あ、待て。その手を下げろ。いや。病人に起こされてちゃダメだよな。うん。それでついでだし、おかゆでも作ってやるよって台所借りて、食べさせようとしてたらお前が帰ってきた、と。やましいところは何も無し! な?」
やましいところ云々は置いておくとして、理屈は通ってるので、とりあえず頷く。
「熱に慣れてきたみたいだけど、病院連れて行ってやった方がいいかも。まだ結構高いみたいだ」
「……わかった」
じゃあ、帰るから、と高山は手を上げて、はたと動きを止めた。
「あ、悪い。俺のジャケットと服、洗面所に置きっ放しかも。クリーニング出すからもってきてくんねぇ?」
「こっちで出しておく。いいから帰れ」
「冷たいなぁ。礼のひとつでも言えよ」
「助かった」
「どういたしまして」
ふふ、と高山は笑って、車に乗り込んでいった。
家に戻ると、朋生が食器を下げているところだった。
「食べれたのか?」
「うん……少し? 高山さんは? 迷惑しかかけてないんだよ。聞いたでしょ?」
ぽぅっと頬を上気させてるのも、とろんとした瞳も熱のせいらしい。手を伸ばして触れた額も首筋も、昨日の比じゃなく熱かった。
「ちゃんと礼を言って帰した。病院連れて行くから、それ、そのままにして着替えて待ってろ」
「ん……」
朋生はスローモーに俺に向き直ると、一歩近づいて俺の肩にこつんと額を寄せた。
「こんな感じで、盛大に吐いちゃったんだよね。掃除も、してくれて……嫌な顔もしないで……優しいよね」
「……俺には、かけるなよ」
「……冷たいなぁ…………でも、お兄の顔見たら、ちょっとほっとした。熱が高い時にひとりだと、心細くなって」
うわ言みたいにぼそぼそと弱音を吐くものだから、うっかり……そう、うっかりその頭に手をやってしまう。片手で抱き締めるみたいに。
まだ、これは兄の範疇だろうか。
離れるタイミングを失くしてしまう前に、朋生の熱い身体に腕を回して、持ち上げる。
「わ。お兄……?」
「吐くなよ? 部屋まで運ぶから」
「……お姫様抱っことかじゃないの?」
「こんな狭いとこで出来るか」
不安定だったのか、朋生は両腕を俺の首に回した。布越しにも熱くて柔らかい身体が寄り添う。持ち上げた分だけ彼女の頭が肩の上にずれこんだので、短く荒い呼吸が熱い吐息となって首筋にかかった。妙な気分になりそうになって、さっさと朋生を彼女の部屋の入り口で降ろしてしまう。
「広いとこなら?」
「うるさい。しない。着替えろ」
いつもより早くなっている鼓動にイラついて、小さく舌を打つ。ついでにドアも閉めてしまって、朋生の姿を完全にシャットアウトした。
荷物を運ぶのと変わらないと思ったのに。
見えていなければ、大丈夫なんだ。手の届くところにいなければ……
それ自体がもう言い訳じみてると解ってはいても、何に言い訳しているのかも判らない。
頭を振って、余計なごちゃごちゃを振り落とす。
やることはあるんだ。ひとつずつ、片付けよう。
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