兄:兄と恋人
被害者の手元に荷物も戻って、あっさりと騒ぎは収まった。丁寧な感謝の言葉は受け取ったが、周囲の興味本位な視線は鬱陶しかった。
テーブルには去年の夏に新郎新婦と共にいた二人と、朋生が以前暮らしてた街に住んでいる友人だろう人物がそれぞれ着席していた。照明が落ちている中、軽く会釈しながら席に着く。
朋生は隣の友人と小声で話しながら、何か言いたげな瞳を向けてきた。さっきのことは別に咎められるような事じゃなかったし、思いつくことがない。まぁ、いいか。乾杯までは退屈な時間だ。手を組んで、そっと目を伏せた。
乾杯が済んで料理が出始めると、朋生の友人を初めに何人かに囲まれてしまった。置き引きを捕まえたのが余程目立ったらしい。「本職です」と告げると納得してくれるのだが、正直そっとしておいてほしかった。正義感とかでもないし、朋生に向かってきてなければ足を引掛けるくらいで済ませたかもしれない。
酒が進むとあからさまに連絡先を聞かれたり、日本人離れした色の瞳について質問されたりして、うんざりする。俺はただの付添いなのに。
俺はハーフでもないし、両親の瞳の色はどちらも普通だった。そのことで喧嘩している両親を、理由も解らず泣いて止めたこともある。
親戚もいないから隔世遺伝なのか、突然変異なのか、理由はよくわからない。両眼ともそうだったらもっと目立たなかったのかもとも思うし、幼い時分に指を差されて気持ち悪いと言われたことは意外と根深く巣くっていて、自分でも好きになれない理由の一つになっている。
朋生に助けを求めようとしても、彼女は彼女で友人を渡り歩いていてこちらには頓着してくれない。トイレにと席を外して、会場前のロビーでスマホを取り出した。こんな時、煙草でも吸えれば時間が潰せるのかもしれない。
そもそもネットにも興味が薄いのですぐに手持無沙汰になってしまう。大して時間も潰せないまま仕方なく中に戻ろうとした時、朋生が出てくるのが見えた。
「ともき」
何となく声をかけると、朋生も気付いてこちらにやってくる。
「お兄、人気者だったね」
「もう、面倒臭い」
溜息を吐いてみせると、朋生は少し笑った。左耳で揺れるイヤリングが、その振動で外れそうになってる。手を伸ばして掬い上げるようにして外してしまい、アルコールと会場の熱気で上気した彼女の頬を指の背で撫でる。
一瞬きょとんとした朋生は次の瞬間にはあわあわと手を動かし、視線も躍らせた。
「ななな……何?!」
「落ちそうだった」
「え? あ、そう。や、安物だし、もう取っちゃおうかな」
差し出されたイヤリングに少し冷静さを取り戻して、朋生はもう片方の耳に手を近づけようとする。
その手を遮って、軽く抱き寄せてから俺が外してやった。
「……お兄?」
さすがに不審そうな声で睨まれた。
「シスコンの変態兄貴、って噂になれば、誰も近づかないかな? このまま恋人ごっこをやらないか?」
「もう! 酔っぱらってる? 面倒だからってあたしを巻き込まないで! お兄と恋人ごっこはやらないよ! だいたい、招待状になんて書いたの? 名前書いてって言ったよね!?」
ぐいと胸を押して身体を離してから、朋生は捲し立てた。ついでに名前のことも持ち出されて藪蛇だ。つい、と視線を逸らす。
「名前はちゃんと書いた。表記は兄かお兄さんとかそういうのでお願いしますって追記しただけで」
「そう。そこまでしてあたしに教えたくないのに、よく恋人云々なんて言えるね」
「教えたら、してくれるのか?」
呆れた視線が、氷水に入れておいたナイフみたいに冷たく鋭くなった。
「しない」
俺の手からイヤリングを奪い取るようにして、そのまま朋生は踵を返して行ってしまう。
頭の軽そうなヤツとはほいほい付き合ったりするのに。俺ならきっとそいつらより上手く優しい恋人を演じてやれる。名前だって、どうしても聞き出したいって風でもないじゃないか。お互い様だろ?
どうしてそんなに怒るのか解らないまま、きっぱりとした拒絶に少し面白くない思いを、俺は溜息とともに吐き出した。
* * *
式が進んで新郎新婦が各テーブルを回るキャンドルサービスに来ると、新郎と目が合った。一礼して顔を上げたときの表情は相変わらずひと苦言ありそうだったけれど、知らないふりをする。
どうせ、この男とは何を話しても解りあえることはない。彼の視点では俺はいつまでも悪者なのだ。それを解ってやれるだけの分別はある。
「おめでとう!!」
キャンドルに火がついた直後、用意していたクラッカーが一斉に鳴らされる。俺は鳴らしてやらないが。朋生は睨んでいるけど、その方がいい。
「仲、いいの?」なんて新婦の浮かれた声が聞こえてくる。ちらりと視線を寄越して、取敢えずの笑顔を作ると、朋生は「まあね」と無難に答えた。今そこで喧嘩しました、とは流石に言えなかったらしい。
まだ何か口にしかけた新婦は新郎に促されて、慌てて次のテーブルに向かう。ぱちぱちと拍手で送り出してから朋生を振り返ると、合った目をあからさまに逸らされた。
最後に出口で待つ新郎新婦とご両親に挨拶する人の列に流されていく。朋生だけ行けばいいと思ってたのに、怒ってる割にはそういうのは許してくれなくて、袖を掴まれたまま並んでいる。
順番が来ると、新婦の表情がぱっと明るくなった。
「朋生〜! 今日はありがとう! あのね、ずっと気になって言いたかったんだけど、お兄さんの、なま……」
危なかった。新郎が彼女の口を塞がなかったら、俺が塞いでた。
彼は意外なことに俺の理由をある程度察してくれているようで(といっても、彼がそうしたのは俺の為ではないんだろうけど)、初めて意見が一致したことを視線で確認し合う。
「いつまでもは無理だからな……」
ぼそりと零れた新郎の言葉は俺に向けたものだろう。頷いて、俺も小さく答えた。
「……恩に着る」
もうそろそろ隠し通すのは無理かもしれない。高山の口からだっていつだって引き出せる。でも、今、このタイミングでは勘弁してほしかった。例え、そのせいで彼女に冷たい笑顔を張りつかせることになってしまっても。
ホテル前のタクシー乗り場には人の列が出来ていたので、酔い覚ましも兼ねて少し歩くことにする。タクシーを拾うまでの間、朋生はずっと三歩先を歩いていた。彼女にしては早足で、振り返りもせずに。
歩道のない道路で後ろから車の気配を感じても、そのライトさえも目に入らないのか避ける気配が無い。
「ともき、危ない」
肩を掴んで引き寄せると、一瞬睨まれた後、通り過ぎる車に気付いて気まずそうに視線を下げる。
「どれを謝ればいい?」
手を離しながら訊いたら、意外にもふるふると頭を振られた。
「……お兄を無理矢理連れてきたのはあたしだから。謝ることはないよ。でも、ごめん。色々整理つくまで無理。明日には、なるべく普通にするようにするから」
視線を寄越さないまま、また先に歩き始める。
このまま、許されないでいる方が、もしかしたらいいんじゃないだろうか。初めから俺達は他人なのだから……
身体の、どこか奥深くが鈍く痛んだ気もしたけど、人ひとり取り押さえたのも久しぶりだから、変なところに力が入ったのかもしれない。
春は来たはずなのに、夜風はまだ冷たくて、アルコールの熱もあっという間に取り去ってしまった。
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