5
妹:ざわつく結婚式
高山さんの話をしたとき、お兄ちゃんは騙されたって怒るあたしを見て、少しだけ口元を弛めた。
本人には会わないとか、気にしないとか言う割に、彼に関わることになるとお兄ちゃんの纏う空気が柔らかくなるような気がする。今は無理でも、いつかまた友達としてやっていけるのなら、あたしが繋いでおいた方がいいのかな、なんて思ってしまう。
その後、高山さんには一度だけ連絡をした。千早さんという人に、会うだけは会ってもいいと伝えたのだ。高山さんも忙しいようで、都合がついたらまた連絡するということだった。それっきり連絡も来ず、涼と園子の結婚式の日を迎えている。
結局揃いきらなくてまだらだったお兄ちゃんの髪は、昨日のうちに染めてしまった。美容師になったみたいでちょっと楽しかった、なんて言ったら嫌な顔をするに違いないので、出来るだけ平静を装っていたけど。
顔を作って、ヘアアイロンで髪を巻いて。いつもより少し華やかに仕上げる。パールが下がるタイプのし慣れないイヤリングもつけたら、ソファで座って待っているお兄ちゃんにヘアワックスを持って近付いた。
「動かないで」
後ろから有無を言わせずに手を突っ込んで、察して仕方なく大人しくなったところで前に回り込む。いつも少し長めの前髪を左眼の――緑がかってる目の方に流すようにして整えた。
「……ともき」
「ん。まって。もうちょっと……いい、かな?」
「落ちるぞ」
何が? と聞く前に、左のイヤリングがお兄ちゃんの胸の上にポロリと落ちた。ソファに膝をついて、お兄ちゃんの上に乗り出すようにしていたことにそこで気付く。
あ。ちょっと近い、かも。
落ちたイヤリングをつまみ上げたお兄ちゃんがそれを差し出すけれど、手はまだベタベタだ。
「あ……と、着けて。パチンって挟むだけだから。手、べたべた」
耳を差し出すと、少しの戸惑いの後、お兄ちゃんの指が触れる。
「適当でいいよ。手、洗いに行ったらチェックするから」
ああ、とどこか気のない返事をしたお兄ちゃんは、イヤリングを挟んでしまうとぷいと顔を背けてしまった。勝手に前髪固めちゃったのが気に食わないんだろうか。結婚式なんだから、このくらいしないと。
手を洗っていたら、また落ちそうになっているイヤリングに気付く。緩いんだな。濡れた手のまま外して、一旦洗面台に置いておいた。
会場のホテルのエレベーターを降りてクロークを探す。階段側に見つけて向かっていくと、受付の方がざわついた。誰かが、大きな声を上げてる。
「――誰か、どろぼう!!」
振り返ると戸惑う人たちが、右に左にと道を開けるようによろめいている。腕を大きく振り回しながら、誰かが近付いてくるのが見えたと思ったら、お兄ちゃんの背中が目の前に割り込んできた。
ちっと聞こえた舌打ちはどちらのだったのか。
「どけっ!」
鋭い声にびくりと体を硬くする。あたしに言ったんじゃないだろうけど、なんだか動けなかった。
お兄ちゃんを振り払うように振るわれた腕を、お兄ちゃんは身体を躱しながら軽く握手でもするみたいにして掴んで、ひょいと引っ張ったようだった。体勢を崩しかけたその人は、なんとか踏みとどまって掴まれた腕を引こうとした。
その後は何だかよく解らなかった。ほんの一瞬で、その人はくるりと回って、気が付いたら床に俯せにされていた。腕は背中に捻りあげられて、お兄ちゃんは膝でその首元を押さえてる。シンと静まった次の瞬間、感嘆の声と拍手が巻き起こった。
すぐにホテルの人が数人駆けつけてくる。
「お兄……」
「大丈夫だ。引き渡したら行くから、先に行ってろ」
周囲がざわざわと落ち着かない中、あたしはクロークにコートを預けて、階段を駆け上がってくる警備員を横目で眺める。様子を見ていたら、お兄ちゃんは俯せだった男の人を立たせてその人達に引き渡していた。当たり前だけど、手馴れてる。コートとスーツの裾をはらう仕種もなんだか決まってて、別人を見てるみたいだ。衣装のせいだろうか。それとも、家ではおとなしく本を読んでるだけのイメージだからだろうか。
コートを脱ぎながら近づいてきたお兄ちゃんは呆れたように口を開く。
「ほら、遅れるぞ?」
「う、うん」
受付に急ぎながら、目の前で起きたことが映像として何度も頭の中を流れる。みんなも拍手してた。格好いいって思ったのは、あたしだけじゃない。今なら声を大にして言ったっていいよね?
うちの、お兄ちゃんは、カッコイイ。
受付には、名前は失念しちゃったけど見知った顔の人もいて、今しがたの騒ぎを説明してくれた。どうやら置き引きだったらしい。ご祝儀泥棒かと思ったけど、会費制で現金を受け渡ししているここでは難しかったから、手荷物を狙ったんだろうって。ここから一部始終を眺めていたらしく、「お兄さん凄いですね」って褒められてしまった。
会費を払って、パンフレットをもらう。中には席順や新郎新婦のプロフィールなどが書かれていて、暇潰しに眺めるのも楽しい。あたしたちのテーブルは“アクアマリン”だった。テーブル名は宝石で纏められているようだ。
すぐにそこを見つけて、手を振りながら向かう。「久しぶり」を何度言っただろう。
置いてある名前のカードを見て、そういえばと少しドキドキしながら隣を覗き込んだ。名前、書いたって言ってたよね?
お兄ちゃんの席のカードには『お兄様』と書かれていた。
思わず手に取ってまじまじと凝視してしまう。これ、どういうことだろう。名前を書かずに“兄”とでも書いたんだろうか。
『皆様、お待たせいたしました――』
アナウンスが入って、照明が落ちる。ひと騒ぎあったから、少し予定が押してるようだ。慌てて席に着くと逆隣りの美由が耳打ちしてきた。
「小さい騒ぎがあるのも、園子らしいよね」
そうなのだ。園子自身がトラブルメイカー気質というか。小さな騒ぎが絶えない印象なのだ。「まあね」と苦笑する。
お兄ちゃんもそっとやってきて席に着いた。
後で、名前の件、問い質さなくっちゃ。
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