第8話 盛者必衰のことわり
地方都市プレージオ。
メンブラード公国北部に位置する小規模な都市。
その小さな都市において最大の商会、レオンの祖父が営むトーレス商会の待望の跡継ぎとしてレオンシオ・トーレスは生まれた。
領主の御用商人であるトーレス商会。
現当主の息子サンチョは頼りないものの、嫁いできてくれた調合士のルシアは人当りも良く聡明で、長男のレオンシオも誕生しその将来は誰もが安泰であると信じていた。
しかしレオンが8歳の時、メンブラード公国において政変が起こる。
その際政争に負けたプレージオの領主は粛清の対象となり別の貴族が領主に収まることとなった。
当然領主に就任したのは前の領主とは敵対する派閥に属する貴族。
そして御用商人であったトーレス商会は前領主の資金源でもあった。
その結果当主であったレオンの祖父はいわれのない罪で処刑され、トーレス商会は大量の債務、つまりは借金を背負う羽目になった。
債務の相手はムゼッティ商会。
こちらもまたムゼッティ商会に本当に借金をしたというわけではなく言いがかりである。
債務を課された理由は前領主と結託してムゼッティ商会の業務を不当に妨害したため。
いわゆる損害賠償とか慰謝料とかいった類である。
たしかにトーレス商会のせいでムゼッティ商会は大損をだした。
ムゼッティ商会が国外からある化粧品を大量に輸入し、それをプレージオを中心とした周辺の都市で売りさばこうとしたのだがこれをトーレス商会が阻止したのだ。
しかしこれはムゼッティ商会の自業自得だ。
その化粧品とは東方の大国、玄の国から入って来て迷宮都市周辺で流行していた水銀入りの化粧品であった。
現代の地球では知られている水銀の有毒性もこの世界で知られていなかったため、東方から来た魔法の化粧品として大流行となったのだ。
しかし数年後、迷宮都市のとある医者がこの水銀の有毒性を訴え始め、それがどうやら本当であるということが徐々に認識されるようになっていった。
するとこの化粧品は売れなくなり、商品がダブつきはじめると一気に値崩れを起こした。
それを知ったムゼッティ商会が安価でその化粧品を買い漁り、それをまだ有害性が認識されてないプレージオ周辺で、流行の化粧品として売りさばこうとしたのだ。
それを知ったレオンの祖父がやめるよう忠告にいったのだがムゼッティ商会はそれを拒否。
仕方なくこの件を領主に相談した結果この化粧品は公国内で規制の対象となり、ムゼッティ商会は大損をしたうえ悪評を買うこととなった。
そのことを恨んでいたムゼッティ商会が今回の領主の交代を機に高額な賄賂とともにトーレス商会のあることないこと触れて回り、その結果が今回の債務である。
もちろん新領主としてもムゼッティ商会の主張を全面的に信用したわけではなかったのだが、前領主のひも付きだったトーレス商会を潰すついでに小遣い稼ぎも出来て都合がよかったというわけである。
結局トーレス商会は当主の処刑および1年間の営業の停止命令を受けたうえに大量の借金を背負わされることとなった。
手持ちの財産は不動産も含めほぼ全てを借金の形として持っていかれ、残った財産も1年間の営業停止で顧客や部下とともに失った。
営業停止期間が終了したころに残っていたのは物置として使っていたあばら家一軒と借金のみ。
父親のサンチョは元々祖父の言いなりで商会を立て直す才覚も活力もなく、唯一残った生活の糧は母親であるルシアの調合のギフト。
結局ポーションの調合士として生計を立てるしかなくなったのだが問題は素材の仕入れ先と卸し先。
この一年で御用商人となりやりたい放題となったムゼッティ商会からの圧力がかかり、どちらも見つからなかったのだ。
結局その両方を受け持ったのはムゼッティ商会。
高値で素材を売りつけられ、安値でポーションを買いたたかれた。
まさに生かさず殺さずのような状態で辛うじて生活ができるような状況。
そのうえ罰として課された債務は分割での支払いは認められてはいたものの、月々決められた最低限の額は必ず支払わなければならずこのままでは間違いなく破綻する。
そうなると最早残された道は奴隷としての身売りしか残されておらずそれも時間の問題。
むしろ最初からそうなるように仕向けられていたのであろう。
そんな絶望的な状況で奮起したのがレオンの母親であるルシアであった。
トーレス商会の取引先で隣国のポーション職人の娘であったルシア。
器量も悪くなく愛嬌があって朗らかな性格で数字にも明るい、そんな彼女を気に入ったレオンの祖父に是非息子の嫁にと請われてトーレス商会に嫁入りしてきたのが10年前。
無事長男も出産し本来であれば裕福な商会で頼りない夫を支えながら子供を育て、片手間にポーションを調合、そんな生活を送るはずであった。
それなのにわずか10年で商会は崩壊。
残された僅かな財産をやり繰りしながらの極貧の生活の中、家事をこなしポーションの調合で家計を支える。
そんな生活を送りながらもルシアはレオンの前では笑顔を絶やさなかった。
それでも破綻しそうな生活を支えるため、彼女が提案したのが素材の直接の仕入れだった。
ポーションの作成に必要な薬草や魔石、そして保存容器の瓶。
これらの主な産出地である迷宮都市に直接赴いて仕入れてこようというわけだ。
長距離の移動は肉体的にも精神的にも負担が大きく、身の危険もある。
しかしそれでも行くだけの価値はある。
少なくとも現状足元を見られている仕入れ値はかなり浮かすことが出来る。
それに買いたたかれている売り値の方も、他所で売ることを視野に入れることでムゼッティ商会が無茶な値付けはできなくなる。
現状ムゼッティ商会に仕入れも卸しも押さえつけられているから儲からないのであるのだから、そこをどうにかすればいいのである。
それにレオンの父親であるサンチョにはストレージのギフトがある。
一度に大量に仕入れてくればその分旅費は浮くし、なんなら他の産物も仕入れて来て売ればいい。
これならとりあえず目先の破滅は免れるし、上手くいけば生活に余裕もできて借金返済の目途がたつかもしれない。
しかしここでも問題が立ちふさがる。
サンチョが嫌がったことだ。
田舎とはいえ商会の生まれというプライド、下に見ていた行商人のまねごとへの拒否感。
そして経験のないことへの躊躇、安全面への不安。
それらを理由に渋ったのだ。
だからといって背に腹は代えられない。
ルシアはもはや後がないことや他に手段がないことを理由に辛抱強くサンチョを説得し、なんとか渋々ながらサンチョの首を縦に振らせることに成功した。
しかしここであろうことかサンチョはムゼッティ商会に仕入れの許可をとりに行ったのだ。
トーレス商会はムゼッティ商会に借金があり首根っこを押さえられてはいるが別に傘下にいるわけではないので、当たり前のことだが許可なんかは必要ない。
しかしこうなるとムゼッティ商会は当然許可などするはずもなく、それどころか領主に掛け合って逃走の恐れありということでサンチョの移動制限の命令を取り付けてきたのだ。
サンチョがこうなることを意図したのか、ただの負け犬精神でムゼッティ商会を完全に上位者と位置付けて尻尾を振ったのかはわからないが結局彼が仕入れに行くということはできなくなった。
しかしルシアはそれでも諦めず今度は自分で行くことを決意。
今度はあてにならないサンチョには相談せずレオンを近所で宿屋を経営する友人に預けると邪魔が入る前に旅立った。
最初はレオンをつれていくことも検討した。
サンチョには任せられないし、レオンにもストレージのギフトがある。
しかし旅のリスクや子供であるレオンへの負担、行程の遅れる可能性などを勘案して結局預けていくことを決意したのであった。
当然女の一人旅というのはリスクも大きく苦労も絶えなかったのだが、それでもルシアは無事迷宮都市までたどり着きポーションの素材を仕入れることに成功。
トーレス家はなんとか身売りをせずに済むこととなった。
しかし仕入れというのは一度で終わるものではない。
当初はあてにしていたストレージを使えないため大荷物を抱えての女の一人旅。
また一度の仕入れで得られる利益も少ないため、仕入れの頻度も増える。
元々身体が丈夫ではなかった彼女の負担は計り知れず徐々に体調を崩していった。
そしてついにレオンが12歳の誕生日を迎えて間もないころ、彼女は旅から帰った途端に倒れそのまま帰らぬ人となってしまった。
レオンはそのショックから体調を崩し高熱を発して数日間寝込むこととなった。
どうやらその間に日本人としての自我を取り戻した、もしくは芽生えたというのが現状のようであった。
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