第31話 ヤン君の妙技
ララアはティーカップをテーブルに置いてヤースミーンに尋ねた。
「ヤースミーンさん、それにシマダタカシさんも何故この船にいるのですか?ここはウラヌス海の真っただ中なのですよね」
「アンジェリーナさんに頼んで後を追ってきたのです。でも、追いつく前にハヌマーンさんが瞬間移動で私たちの前に現れて現在停戦協定が発効しています」
ヤースミーンが答えたものの彼女の説明は適当に端折られて要領を得ないので、貴史が補足した。
「僕たちがパロの波止場で戦った時にハヌマーンと一緒にいた女性が負傷しているが、治療出来るヒーラーがいないので僕たちに救援を要請してきたのだ。治療する見返りにララアを返してもらう条件で折り合ったんだ」
実のところ、ハヌマーンも貴史達も軍として行動しているわけでは無いので、停戦という言葉は該当せず貴史の説明が事実に近い。
「本当ですか。私も最初は何とか脱出しようと思って魔法を使って船そのものを破壊しようとしたのですが、私の周囲に魔法障壁を巡らせているみたいで効き目は有りませんでした。そのうちに外洋に出てしまったので私は泳げないから暴れて自由の身になったとしてもその過程で船が沈んだら困ると思って大人しくしていたのです。昨日暴れないという約束で拘束を解いてもらったのですが、そうしたら着替えを用意して食べ物もくれたのでちょっと一休みしていました。このお茶は私が城で飲んでいたのとすごく似ているのですよ」
ドレスアップして微笑むララアは可憐な少女といって良い佇まいで、貴史は彼女がもともと王族の出だと言うのもうなずける気がした。
「彼女があなた方と呼応して暴れはじめたら手に負えないので、最終的に彼女を引き渡す時まではその部屋から出すわけにはいかない。私は彼女に質問したいことがあるので、縛めを解いてしばし話をする時間があればそれで十分だ」
ハヌマーンが貴史達の背後から自分の考えを伝えてきたので、ヤースミーンはララアに問いかけた。
「ララア、私達と一緒にパロに帰りますよね?ネーレイド号が接舷しているからヤン君が治療の仕事を終えたら一緒にパロに帰りましょう」
「そうします。この人たちがおとなしく本国に帰ってくれるならば私も戦う必然性はありませんから」
ハヌマーンはララアの返事に満足したようにうなずくと皆を先に促す。
「それでは治療をお願いしたい。大量出血に備えて待機していたヒーラーは既に限界なのでね」
ハヌマーンが案内した船室ではパロの港で見た貴婦人がベッドに横たわり、その首にはセーラのダガーが刺さっていた。
「なるほど、ダガーを抜かなければ傷は治せないものの、迂闊に引き抜けば大量出血して即死状態になりかねない。その状態から医療する自信がないので動きが取れないと言ったところかな」
ヤンがクールに状況を分析するが、睡眠不足と魔力の消耗で朦朧としているヒーラーのカビーアは返事もしないで充血した目を見開いていたが、そのまま床に倒れ伏した。
「そいつは既に意識を失っていたのだな、見たところ治療は可能だ。誰かそのダガーを引き抜いてくれないか」
ヤンが軽く言うと、侍女のバルカは硬い声で答えた。
「そのダガーはムネモシュネ様の頸動脈に接して刺さっているのです。引き抜くようなことをしたら血が噴き出してしまいます」
「それはわかっている。出血で死ぬ前に必ず傷を治して見せるからそのダガーをさっさと抜くんだ」
ヤンが重ねて指示していると、人垣の後ろからセーラが進み出た。
「そのダガーはわたしが抜くわ。もう一本刺さっていたのも返して欲しいのだけれど」
その言葉で、バルカはムネモシュネに重傷を負わせたのがセーラと悟ったようだった。
バルカはベッドわきのクロゼットの引き出しから布に包まれたダガーを取り出して、セーラに渡し、セーラの顔を睨む。
「ムネモシュネ様にこれほどのけがを負わせるなんて、悪魔のような戦士だと思っていましたが見れば可愛らしい女性。世の中判らないものでございます」
「お褒め頂き光栄至極。それではダガーを引き抜きましょうか」
セーラはバルカの皮肉を受け流すと、彼女から受け取ったダガーを再度テーブルに置き、軽いノリでムネモシュネの首に刺さったダガーの柄に両手をかけている。
「あ、ちょっと待って!呪文を唱えてさあやるぞって言うときに俺が左手を挙げるからその時に抜いてよ」
ヤンもキャッチボールでもしているような気楽な雰囲気でセーラと打ち合わせをしているので、貴史はバルカでなくても不安になるに違いないと少し気をもんでいる、
ヤンは治癒魔法の呪文を唱え始め、やがて呪文が終盤に差し掛かったところで左手を挙げて合図をした。
セーラはダガーの持ち主だけにダガーの重心や刃の向きを熟知しており、躊躇なくダガーを引き抜いてもムネモシュネの首の傷跡から出血は無い。
このままヤンが治癒魔法を使えば、治療が終わるのではないかと思えた時、ムネモシュネはほんのわずかに身動きした。
しかし、その動きによって、ダガーで傷ついていた頸動脈の血管壁が限界を迎え、ムネモシュネの首から噴水のような勢いで血が噴出していた。
「あ、ああああ!」
バルカは手近にあった布を掴むと自身も血まみれになりながら布を押し付けてムネモシュネの出血を抑えようとするがそれは素人目にも無駄な行為に思えた。
しかし、ヤンが治癒魔法をかけると青白い光がムネモシュネとバルカを覆い、その光が薄れた時にはムネモシュネの出血は止まっていた。
バルカが血まみれの布を捨てて別の布でムネモシュネの傷があった辺りをぬぐうと、傷口は跡形もなくふさがっている。
「信じられない、傷が完全に治っている」
バルカが感嘆の声をあげるとヤンは温厚な笑顔を浮かべた。
「それが魔法というものだ」
バルカは血で汚れた周辺の片づけをはじめ、ハヌマーン手短にヤンをねぎらう。
「礼を言うぞ。敵の船に乗り込んできわどい処置を完璧にこなした技量にはどんな賛辞でも足りないくらいだ」
「いや。これが俺の仕事で俺は自分の仕事を全うしただけの話だ。約束通りララアを連れて帰ってもよいのだな」
ヤンが確認を求めるとハヌマーンは無言でうなずき、ヤースミーンと貴史はヤンに飛びついて喜びを露わにした。
とりあえずヤンが目的を果たし、物事が良き方向に進み始めるかに思えた時、貴史達が乗っているパールバティー号を強い衝撃が襲った。
衝撃音と共に船体は大きく傾斜し、それまで海面が見えていた舷側の船窓からは空が見える。
「どうした、一体何が起きたのだ」
ハヌマーンが船員に尋ねる声が貴史達の耳にも届いていた。
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