第28話 ムネモシュネの窮状

 ハヌマーンが用立てた帆船パールバティー号は嵐に翻弄されていた。


 パールバティー号は豪華な船室を備える大型船でムネモシュネの船旅にふさわしいとして選ばれたのだったが、そもそも老朽船だったため往路でも船底部に漏水がたまり時々水夫たちが桶を使ってくみ出す必要があった。


 それが、緊急出港してしまったため乗組員や、ハヌマーンやムネモシュネの部下を数人パロの港に残してしまったため、船底の水は次第に水かさを増し、人手不足が操船にも響いている。


 マストの帆を絞りつつも風を受けて船足を維持しないと舵が使えなくなり大波に舳先を向ける操船が出来ないのだが、強風の中で素早く帆の向きを変えることが困難になりつつあるのだ。


「ハヌマーン様、水夫が一人波にさらわれました。どうか、帆を降ろして嵐に耐えることをお許しください」


 それは、船員も船室に引きこもって嵐が過ぎ去るまで運任せに漂流することを意味したが、ハヌマーンとしてもどうすることもできない。


「いいだろう、船員には今のうちに休息を取らせておけ」


 ハヌマーンが許可すると船長は船員たちに指示を伝える。


 そして、船長の指示が伝えられるとともに、甲板や帆下駄の上で操船作業をしていた船員たちが船内に入ってきたが、全身ずぶ濡れの船員たちは疲労の色が濃い。


 ハヌマーンは小さく嘆息するとムネモシュネの居室をノックした。


「どうぞお入りください」


 ノックに返事をしたのはムネモシュネの侍女のバルカだった。


 ムネモシュネは負傷が癒えていないため、バルカが彼女の意思を確認してから答えた。


 ムネモシュネはパロの港でハヌマーンと戦っていたダガー使いが、大きなダガーを二本も投げつけて重傷を負わされたのだ。


 ダガーの一本は首に深く突き刺さり、もう一本は鎖帷子の隙間を刺し貫いて腹に突き刺さっていた。


 船内にいたヒーラーは懸命に治癒魔法を使い、腹に刺さったダガーは取り除いて傷そのものも治すことが出来たのだが、ヒーラーは首のダガーは抜けないと言い、ダガーもそのままとなっているのだ。


「どうだ、ムネモシュネ様の首の傷は治せそうにないのか?」


 ハヌマーンが尋ねると、ヒーラーの青年は畏まって答える。


「ムネモシュネ様の傷を治すには首に刺さったダガーを抜いて差し上げてからでないと治療は出来ません。しかしダガーを首の傷から抜く時に、頸動脈を傷つけてしまったら私の治癒魔法が完全な効果を発揮できなかった場合、ムネモシュネ様が死んでしまう可能があるのです。私の上司の主任ヒーラーがいれば私よりも腕は確かかもしれませんが、それでも難しいでしょう」


 ハヌマーンは少なからずイラついていたが、気の弱いヒーラーに無理強いしては彼が言うとおりに失敗しそうだと思いそれもできない。


 異世界出身のハヌマーンにしてみれば、魔法などというご都合主義な存在にもっともらしく限界や制約があることが理解に苦しむところなのだ。


 そうはいっても、ヒーラーの青年はムネモシュネの横で常に待機し、ムネモシュネが身動きした際に大量出血したらすぐさま治癒魔法で治す態勢でいる。


 実際、ムネモシュネが眠りに落ちた時にダガーが血管を傷つけ、とめどもなく血が溢れたのをこのヒーラーがどうにか出血を止めたのだ。


 しかし、ほとんど不眠不休でムネモシュネに付き添っているヒーラーは憔悴して限界が近づきつつあった。


「カビーアさん、もう5日も不眠不休でしょ。私がムネモシュネ様を見守っているから少しお休みなさい」


 ムネモシュネの侍女のバルカは、ヒーラーの体調を気遣って休息を取るように勧めるが、カビーアと呼ばれたヒーラーは頑固に首を振る。


「しかし、何かが起きたら私が対応しないとムネモシュネ様の命が危ない」


 カビーアとよばれたヒーラーは律義に務めを果たそうとするが、限界が来ているのは明らかだ。


「カビーアとやら、バルカの言うとおりだ。彼女を信頼して休むが良い。不測の事態が起きたらそなたを起こせば済むことだ」


 ハヌマーンの言葉を聞いたカビーアはわずかにうなずくとそのまま床に倒れた。


 ハヌマーンとバルカは心配して倒れたカビーアを覗き込んだが、カビーアからいびきが聞こえてきたので二人は笑顔を浮かべた。


「バルカ頼んだぞ」


「はい、私の命に代えてもムネモシュネ様をお守りします」


 バルカの言葉は少々大げさだが、彼女の熱意がこもっている。


 ハヌマーンはムネモシュネの看病を二人に任せておけると判断して、もう一人限界を迎えつつある少女の部屋に向かった。


「ハヌマーン様、この子暴れようとするので食事を与えることもできません。そろそろ何か食べさせないと死んでしまいます。お許しがあればは鼻からチューブを通して流動食を与えてみますがいかがいたしますか」


 ハヌマーン配下の女性兵士は後ろ手に縛られ、猿轡をはめられたララアを見下ろしながらハヌマーンに報告する。


「まあ待て、私がもう一度説得してみよう」


 ハヌマーンは危険を押して床に転がされた少女に接近した。


「ララアとやら、私はそなたに聞きたいことが有るのだ。ここは既にパロの都から五日間航行したウラヌス海の真っただ中故、そなたが暴れて私を倒し、この船を破壊したとしてもそなたも大洋の中で溺れて死ぬだけだ。おとなしくするならその戒めを解いて自由に動けるようにしてやるから、食事と水分を補給するのだ」


 ララアはハヌマーンの声を聞くとゆっくりと顔をあげてハヌマーンを睨んだが、やがて微かにうなずいて見せた。


「よし、その子の戒めを解いて、食事を与えるのだ」


「ハヌマーン様、そのようなことをして大丈夫なのですか」


 女性兵士は驚いた様子でハヌマーンに尋ねるが、ハヌマーンは仮面の下で笑いながら答える。


「その少女は利口なので、ここで暴れることはしないはずだ。面倒を見てやれ」


「承知しました」


 女性兵士がララアの戒めを解き始めたので、ハヌマーンは部屋を出ることにした。


 自分の存在がララアを刺激するに違いないと気が付いたためだ。


 ハヌマーンは船体の中央にある大船室に戻ると、疲れた表情の船員達を見ながら善後策を考えた。


 ムネモシュネの状態を考えると、到底ガイアレギオンに到着するまでは持ちそうにない。


 ハヌマーンは様々なプランを考えるうちに、ヒマリアの王族を救出に来た時に斬り捨てたはずの酒場のボーイが、パロの港でも元気よく自分に挑んできたことを思い出していた。


 どうやら連中は腕効きのヒーラーを擁しているようだと気付き、ハヌマーンはそのヒーラーを連れてくる方法を考え始めた。


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