第27話 水平線に白い雲
波止場での乱闘騒ぎの三日後にネーレイド号は出港した。
港を出たネーレイドは三本のマストに掲げた帆に風を受けて海原を進んでいくが、ヒマリアからの航海の時と違いウラヌス海はうねりが高くなっていた。
「波が高いけれどヤン君は大丈夫かしら」
ヤースミーンと貴史は甲板に出て荒れた海を見ていた。
「大丈夫じゃないと思うよ。船室で寝込んでしまっているから心配だ」
ヤースミーンと貴史は社交辞令のようにヤンの船酔いを心配しているが、甲板上の二人は本当は彼方に見える白い雲を見ていたのだ。
ヤヌス村が初めて建造した大型船なのにネーレイドの船足は素晴らしく速く、アンジェリーナの話ではガイアレギオンの帆船が相手なら数日後には追い付けると言う。
しかし、天気が良いのに波が高いのは嵐の前触れだと船員の一人が話していたので、これ以上海が荒れたら追跡を断念せざるを得ないかもしれないと心配していたのだ。
「波が高いので船室に入ってください。高波にさらわれたら船を止めて救助するのが間に合わない可能性がありますからね」
ネーレイド号の副長のレノンが呼び掛けたので、貴史とヤースミーンは甲板の下にある船室に戻った。
大型船には寝室に使う部屋の他に、乗員や乗客が食事をするための食堂も作られており、そこではセーラがテーブルに座り、ペーターとソフィアが忙しく食料を運んでいた。
「セーラさん本当にこんなに沢山食べはるんでっか?わしセーラさんの指示通りに食料は沢山持ち込んだけどこんなに船が揺れている時に食べたら後が大変ですよ」
ペーターが心配そうにセーラに話すが、セーラはテーブルに並べられたソーセージやチーズを口に運び始めた。
「血が足りないのよ。もう一度あの金色の仮面のやつに会うまでに血を増やして元通りに動けるようにならないと戦えないでしょ」
ソフィアが目を丸くしている前で、セーラはテーブルに山積みされた食料を次々と平らげていく。
即死状態からどうにか復活したばかりなのに心が折れていないセーラを見ると、貴史は自分に足りないものを教えられた気分だった。
「ふむ、回復に向けて栄養を摂取するのは見上げた心がけだが、食事とは美味しく食べてこそ栄養の吸収も良いと言うものだ。そのソーセージとチーズを少し分けてくれたら私の料理も提供しよう」
タリーはバゲット数本と火酒の瓶を抱えており、その後ろには肉の塊を乗せた皿を抱えたホルストと正体不明の物体を乗せた皿を持ったアンジェリーナが控えている。
「タリーさん。そんなことを言って本当はペーターさんが持ち込んだ食材の味見をしたいだけなんでしょう」
ヤースミーンが指摘すると、タリーは図星だった様子だが、悪びれるわけでもなく答える。
「お見通しだったとはまいったな。しかし、血を増やそうと考えているならば私が持参した海棲トカゲの魔物の赤身肉のローストと、同じく海棲トカゲの魔物の生き胆の刺身をセサミとガーリックのフレーバーを付けた油と塩で食べるのが鉄分が取れること請け合いだ。その見返りにペーターさんが作ったソーセージとチーズをお裾分けしていただけたら私としては嬉しい限りだ」
「嬉しい事ゆうてくれますな。そんな交換条件つけへんでもいいからどんどん食べてくれなはれ」
ぺーターは相好を崩して、タリーと並んでテーブルに座り、ホルストが海棲トカゲの魔物のロースト肉をスライスするのを見ている。
「その海棲トカゲの魔物ってどうしたのですか?」
話についていけない貴史が尋ねると、タリーは嬉しそうに答える。
「早朝にネーレイド号が大波をかぶった時に甲板に打ち上げられていたのを見つけて、アンジェリーナに頼んで厨房で解体していたのだよ」
「新鮮な肉が手に入るなら船長として歓迎です」
アンジェリーナは複雑な表情で自分が抱えた海棲トカゲの魔物のレバ刺しの皿を眺めていたが、セーラの前にそっとその皿を置いた。
タリーとペーターが仲良く互いの食材を褒め合いながら火酒を飲んでいる横で、セーラは海棲トカゲの魔物のレバ刺しをフォークで口に運び始めた。
「意外といけるじゃない。少し甘みがあって美味しいしこれで血が増えるのならいくらでも食べるわ」
セーラは目の前のレバ刺しの皿を食べつくしそうな勢いで、それを見ていた貴史は魔物の生き胆と言ってもよいレバ刺しを口にするセーラの根性を見習うことにした。
タリーは満足した表情でセーラの食べっぷりを見ていたが、ヤースミーンを振り返ると
申し訳なさそうに頼み始める。
「ヤースミーンすまないが、このチーズの表面を火炎の魔法でこんがりとあぶってくれないか」
「タリーさん、そんなの厨房でしたらいいじゃないですか。私の魔法を何だと思っているのですか」
ヤースミーンは憤然と抗議するが、タリーは低姿勢だけどヤースミーンに頼むことは止めない。
「それが、船の揺れが激しいために火の使用が禁止になってしまったのだ。ペーターさんのチーズを軽くあぶって溶かしてからこのバゲットに絡めたら素晴らしい味になると思うのだが」
ヤースミーンはタリーの目的を知ると興味をそそられた様子でタリーに囁いた。
「それじゃあ、一回だけですからね」
ヤースミーンは初級レベルの火炎の魔法の呪文を唱えると、微調整された炎をペーターが持ち込んだ円盤状のチーズに放つ。
しばらくすると、辺りにはチーズが焦げた香ばしい匂いが立ち込め、ヤースミーンが火炎の魔法を中断すると、タリーは円盤状のチーズを抱えてもう片方の手にナイフ持つとホルストに指示する。
ホルストさん、私が持ってきたバゲットを輪切りにしてその上に海棲トカゲの魔物の赤身肉ローストを乗せて持って来てくれ
ホルストが言われたとおりにピンクに色付いたロースト肉をバゲットに乗せてタリーに渡すと、タリーは魔法の炎で炙られてトロトロに溶けたチーズをナイフを使ってバゲットの肉の上にたっぷりとかける。
そして、試作品第一号をヤースミーンに手渡した。
ヤースミーンはピザが好きなので、バゲットにとろけたチーズをかけた代物は嗜好に合うものだった。
大きな口を開けてオープンサンド風の一品を口にすると、ヤースミーンはタリーに言う。
「すごく美味しいですよ。これを作るためならいくらでも魔法で手伝います」
タリーは無言でうなずくと、居合わせた人々に行き渡る数のオープンサンドを仕上げていき、一通り作るとタリーはヤースミーンに告げた。
「次はソーセージを軽く加熱してみよう。私がソーセージを入れたフライパンを持っているからそれを下側から加熱してくれないか」
「はい!」
タリーとヤースミーンは絶妙なコンビネーションで調理を始めた。
貴史はペーターがチーズを作ったのだとしたら、その原料となるミルクは何処から仕入れたのだろうと思って尋ねた。
「ペーターさんのチーズの原料はミルクを酪農家から買ってくるのですか?」
ペーターはニヤリと笑うと貴史に答える。
「あれはな、パロの北の草原地帯で悪魔の山羊と呼ばれる山羊の魔物から採取した乳を原料にしているんや。ソーセージもご同様と思っていいよ」
貴史はやっぱり魔物を食わされているんじゃないかと思い、自分はもはや魔物食からは逃れ慣れないのだとあきらめの境地に至った。
船内の食堂で皆が飲食に興じている最中に、いつの間にか現れた副長のレノンがアンジェリーナに耳打ちをする。
アンジェリーナは俄かに表情を厳しくすると甲板に駆けあがっていった。
貴史はアンジェリーナが駆け上がった通用口が閉まるまでの間に激しい風雨が吹き込むのを見て、ネーレイド号が嵐の中に居ることを知った。
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