入会試験 1
「恐れるには及ばない。
当時の宣教師たちの崇高なる使命を想う機会がこんな形で訪れるのは、紛れもない不意打ちだった。しかし俺は信徒たちの厳格な模範となるべき存在なのだ。
「
クラスメイトA、もとい笹川さんはたじろいだ様子だが、もう少し押せばきっと興味を持ってくれるだろう。これは信仰のない国、かつてキリスト教徒を残虐にも弾圧した国の人々を救うことになるのだから。
「──信じる者は、救われるんだ」
「おい転校生」
頭を掴まれた。鷲掴みに。
「なんだ担任教師」
「うちの生徒にアブナイ勧誘するのやめろや」
倉橋だった。昨日はオカルト研究会に正式に入会してから帰宅し、今は翌日の昼休みだった。
「危ないことはない。俺に言わせれば拠り所なく生きる日本人のほうが危険だ」
倉橋はまたこれみよがしにため息をついて、
「……とにかく勧誘はなしだ。ごめんな笹川」
その言葉を聞いた笹川さんはそそくさと教室を出て行く。俺は倉橋に向き直った。
「おい。せっかく興味を持ってくれそうだったのに邪魔するんじゃない。俺は真剣だぞ」
「だから危ないっつってるんだよ……」
呆れた声音で言われるが、俺にはまったく覚えがないのだった。
†
放課後になり、部室に向かうと倉橋と
「今日は
昨日知り合った蔵王
「ああ、そういえばいなかったな」倉橋が担任らしからぬルーズさで答える。「おおかた今日は山籠りの日なんだろう」
「は?」
思わず聞き返す。
「ええと……伏子ちゃんは定期的に山籠りのためにといって、今日みたいな金曜日や月曜日、土日とつなげて学校をお休みするんです」
常井が答えるが、疑問は解けるはずがない。
「山籠り? 山籠りってあの山か?」
「えと、どの山かは知らないけどその山ですよ」
「自室に〝山〟と名付けているのではなく?」
「……あの、あなたは自分の部屋に何か名前をつけてるんですか?」
「そうか……」
普通に無口な女だと思ったが、奴も異常者だったらしい。倉橋といいクラスメイトの連中といい、この学校は魔境だ。
「それに引き換え、常井は真面目で勤勉な学生という感じで、本当に好感が持てるな」
「えっ……ええ、まあ、真面目ではあると思いますけど……ありがとう、ございます?」
常井が戸惑っている。照れるのもわかるが、誠実に褒め言葉を受け止めてくれるあたり本当に良い奴なんだろう。俺がますます感心していると、
「おいおい転校生、さっそく由依にアプローチか? そういうのはセンセのいないところでやるんだよ、いや必ずいるところでやれ! センセが見られないのはめちゃくちゃ困る!」
「どっちなんだ。というかアプローチじゃない。俺は信仰上の理由で恋愛ができないと言ったはずだが?」
「ぶはっ」
また爆笑のスイッチが入ったらしい。間違いなくこの女は〝魔〟の類だから、近いうちに滅しておきたい。
「……あの、
「ああ」
「ここに来る前は、どこの学校にいたんですか?」
「うむ。そうだな……」常井の質問に答えるべく、頭をひねる。「実をいえば学校には通えていなかった。外国にいて仕事をしていたんだ。俺にしかできない仕事と言われたし、俺には信仰心──強い責任感があった」
「つまりは中卒ってワケか? やっぱバカじゃねーか!」
「倉橋先生! そんな言い方したら神明さんに失礼ですよ……!」
倉橋を今度こそ殴ろうかというそのとき、常井が思いのほか強めに顧問を叱った。常井に仮にも目上の教諭に強く言うほどの積極性があるとは思っていなかったこともあり、俺は思わず目頭が熱くなって常井の手をとった。
「常井……!」
「は、はいっ!?」
常井は緊張した面持ちになる。俺は出来る限り誠実な声で、真剣な顔をして言った。
「──ありがとう。お前は本当に良い奴だ」
「は、はあ……どうも、です」
数秒の間隙。部室の窓から見える空は青く、春のうららかな気候が冬の厳しい寒さを耐え抜いてきた木々を慰め、動物たちを暖めている。世界はこんなにも美しい。
「これも神の思し召しに違いない……」
感謝の祈りを唱えていると、倉橋が言った。
「もうだめだな、こいつ」
†
「ところで、オカルト研究会というのは何をする部活なんだ?」
閑話休題。常井が入れてくれる茶と部室の茶菓子をいただいて一息ついてから、俺が訊ねた。
「……霊魂の存在を証明する、というのが第一の目的です」
「おいおい、昨日聞いてなかったのか転校生」
「それはわかっているんだが……」俺が気になっているのはそういうことじゃない。「具体的にどんな活動をしているのか、ということだ」
そもそも霊魂の存在証明など、無信仰の人々にしか必要のないことだ。俺のような信仰者には、はっきりと霊魂の存在が解る。それこそ神は父であり、子であり、同時に聖霊なのだ。神の存在を信じる限り、霊魂に証明は要らない。
「おいおい、具体的な活動内容も知らないでオカ研に入ってきたってえのかよ転校生! そんなんじゃオカ研に入会する資格があるとはお世辞にも言えねえだろ、なあ由依?」
「オカ研に入会資格とかはありませんが……」
「会長がないと言っているが」
倉橋が地団駄を踏む。こいつ本当に大人なのか?
「だぁーっ、顧問のセンセがあるって言ったらあるの! 白いカラスも黒になるの!」
「カラスはもともと黒くありませんか?」
意外と
「とにかくっ、今日の活動内容は転校生・神在久理須の入会試験だ! なんかハン◯ー×ハ◯ターみたいで面白くなってきたな!」
「露骨に遊んでるな……」
俺が呆れていると、
「……すみません、倉橋先生はいつもこの調子なんです」
「いや、常井が謝ることじゃない」
倉橋は一人で勝手に盛り上がっている。本当にこの女、教師としてどうなんだ。
「試験内容は……そうだな、次に来たお悩み相談を解決できるかどうか、ってのはどうだ? オカ研は自分たちの研究活動はもちろん、生徒たちからのスピリチュアルなお悩み相談にも乗ってるんだ。センセだってたまには生徒の悩みを聞いてやる」
「本当にたまにですけどね」
「なるほど……」それを聞いて、俺はすでに勝負を受けるつもりでいた。「それなら俺の得意分野だろう。俺はもともとオカルト研究会と言えなくもない部署にいたが、そこでの活動内容もほとんどお悩み相談のようなものだった」
「おま、中卒でお悩み相談してたの?」
「黙れ。そうだ、名前は秘蹟研究会といってな……思えばこれも意味としてはオカルト研究会のようなものだ。オカルティズムを研究していたわけだからな……俺はその中でもエースだった。誰よりも頼りにされていたし、腕も良かった。恐ろしいことも多く、辛く厳しい職場だったが俺は充実を感じていた。お前のいう入会資格があるとするのならば、俺にその資格は確かに備わっていると確信する。それを試してみるといい」
倉橋は爆笑していて全然話を聞いていなかったが、話し終えると常井は小さくぱちぱちと拍手をしてくれた。俺は一人でもこうして理解してくれるものがあれば、それでいいのだ。
「な、なんだかすごい人なんですね。神明さんは……」
「すごいのは俺ではなく、俺をそのように造られた神だ」
「そ、そうですね……?」
そこで不意に部室のドアがガラガラと音を立てて開いた。
「こんにちは、いまって大丈夫?」
入ってきたのは、俺が昼休みに勧誘しそびれたクラスメイトの笹川だった。
†
笹川に茶と菓子を出しながら、常井に訊ねる。
「笹川もオカ研の会員なのか?」
「いえ、笹川さん、というんですか。お客様ですね。はじめまして、私は常井由依といいます。いちおうこのオカルト研究会の会長をしています」
「センセは顧問のセンセだぞ」
「ああ、ありがとう……私は、ええと、神明くんのクラスメイトの笹川です」
「笹川さん、布教の続きを聞きにきてくれたのか?」
「ち、ちがいます」
「違うのか……」
笹川は一斉に話しかけられて困惑しているようだったが、茶を飲んで少し落ち着いてから、話し始めた。
「あの、オカ研さんに相談があるんです。あまり人に信じても話してもらえるようなことだと思えなくて……こういうことって、オカ研さんでお話聞いてもらえるんですよね?」
優しく、丁寧に常井が答える。
「ええ、もちろんです。えと、笹川さんはどんなことにお困りなんですか?」
「それが……」
曰く、クラスメイト笹川は視線に困っているという。学校から家に帰る道すがら、必ず誰かの視線を感じる。決まって帰り道の薄暗い時間帯、彼女は運動部で練習のために帰りが遅くなった日に、背後から視線を感じるんだそうだ。
「ストーカーとかじゃねーの? 職員室とかカウンセラーに相談したほうがいいんじゃね?」
「お前も教師だろ」
倉橋がぶーたれた顔になった。この顔のときは面倒だから無視する。
「ちがうんです……振り返っても、誰もいないんです。私、ストーカーとかあんまり怖くないんですよ。剣道部で、竹刀も持ち歩いてるし、腕にも自信があるから出会ったら叩きのめしてやろうって……むしろ視線を感じたらすぐに探し回るようにしてるんですけど」
「それは……なんというか、大胆ですね」
「大胆ってーかバカだな?」
否定はしないが、黙ってろ倉橋。
「どうしても見つからないんです。誰も、いないんです」
「それは困りましたね……」
確かに、誰もいない場所で視線を感じるというのはおかしい。精神的な症状という場合もあり、俺の仕事にもそのケースはよくあるうえに区別がつきづらい厄介なものだが。
「誰かと一緒に帰ったらどーなん?」
倉橋がたまには有益なことを言った。しかし笹川は首を振る。
「彼氏と一緒に帰ってもらってるんですけど、私が視線を感じても彼は何も感じないみたいなんです。彼には霊感がないのかな、って……」
「彼氏いるんかい! センセにはいないのに生徒に彼氏がいるんかい!」
「ちょっと静かにしててください倉橋先生……」
いままでの経験上、いくらでも原因は思い当たるが、とにかくそれらを当たるにしても、実地で調査するほかない。
俺はいままでもこうして、何度でも依頼者のもとに直接出向き、案件を解決してきた。さまざまな問題を抱えた人々が俺を訪れ、最後には信仰の力で問題を乗り越える。俺はその手伝いをするだけだが、大事な仕事だった。
ここでも、誰かを救えるなら──
「わかった。俺が引き受けよう」
「神明さん? いいん、ですか……?」
「俺の入会試験という話もあっただろう。それに困っている人を見ては、それが異教徒であろうとも、見過ごすわけにはいかない。神はそれを良しとしないからな」
「神明くん、ありがとう……それじゃ、また来週の放課後ね?」
そう言って笹川さんは部室を出て行った。
「簡単に引き受けちゃってよかったのお? 神明がなんか笹川に迷惑かけてもセンセは責任とらないからね」
「……顧問なんだから責任は取りましょう?」
後悔はしていなかった。それに、何かの手掛かりが見つかるかもしれない。
「あの……神明さん」
「なんだ?」
常井がおずおずと切り出す。
「私も、よければついていきますから」
「常井……」
かたく手を握ると、相変わらず常井はのけぞったが、
「助かる。よろしく頼むぞ」
俺の目を見ると、照れくさそうに笑った。
†
予想外の展開だったが、常井にさらに接近するという目的まで果たせるとは。これは実益を期待して始めたものの趣味となってしまった恋愛シミュレーションゲームの効果が、早くも現れたものか。恐るべし、恋愛SLG。ともかく。
──この入会試験、必ず成功させる、と俺は固く誓うのだった。
あなたが死んで100日後 くすり @9sr
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