第四回「凶悪」スチームパンクな帝都で刑事が殺人鬼を追う話

蒸気絢爛ニ血桜舞フ 其ノ壱

 風に揺れるうすぎぬの如き黒髪を、不覚にも一瞬、美しいと思った。

 絢爛たる蒸気都市である帝都にも、瓦斯ガス燈に照らしきれぬ夜闇はある。この通りもその一画で、しかし今宵は玲瓏たる望月がその威容を以て暗夜を裂いていた。天蓋に鏤められた綺羅星の下、銀光に浮かび上がるように照らされる濡れ羽髪の女。その表情は仮面舞踏会マスカレヱドじみた装飾に隠れ、代わりに艶めかしい口紅ルウジュがその美貌を期待させる。

 全く、一幅の絵画の如き絶佳だ──その足元に広がる生温い緋さえなければ。

 つん、と鼻をつく鉄の臭いに、宮本和彩みやもとかずさは気を引き締め直す。軍刀サアベルの柄をきつく握りしめると、全身の筋肉が連動して緊張し、身に纏うくろがねが呼応するかのごとく僅かに軋んだ。

 ここで惚けていてはあの血溜まりに顔を浸すことになる。何せ今自分が相対しているのは、既に二桁にも達する命を散らせた殺戮の権化なのだから。


                 ✛


 宮本和彩は帝都を守る誉れ高き巡邏査察である。職務とあらば朝も夜もなく市井を駆け、人々の安らかな生活を守る法の番犬。いや、彼女の任務を考えると猟犬の方が適切だろうか。何せ齢二十二にしてに所属する精鋭の一人、それが彼女、宮本和彩特等巡査なのだから。

 そんな優秀な彼女は、現在険しい表情で書類を睨め付けていた。

 ことん、と机に一杯の珈琲が差し出され、和彩は顔をあげる。

「先輩、根を詰めすぎじゃないですか。一服でもしてください」

「ああ……すまない」

 運んできたのは同僚の桂皐月であった。皐月は隣の机から椅子を引っ張り、自らも腰かけて碗に口をつける。

「どうぞ、飲んでください」

 促され、和彩も珈琲を呷る。心地よい苦みが緊張を解いていくことを感じる。確かに少し気を張りすぎていたかもしれない。本当に気の利くことだ。

「美味しいよ、ありがとう」

 口に出して微笑みかけると、ぱあっと皐月の顔が明るくなり、黒曜石のような瞳がキラキラと輝く。その喜色満面に和彩は実家の柴犬を連想した。元気いっぱいに跳ね回る可愛いやつだ。あるいは年の離れた妹だろうか。どちらにせよ、不適切な例えだとは思うが。

「心遣いは嬉しいが、わざわざ気を回さなくていいんだよ。君はこんなことをするために此処にいるわけではないだろう」

「いえ、先輩の補佐も私の仕事のうちですから」

 張り切る皐月にぶんぶんと振り回される尻尾があるように見え、和彩は自らの疲労を少し自覚した。もう一口、黒々とした液体に口をつける。

 皐月は和彩の机に置かれた書類にちら、と視線を向けると眉根を寄せ、言う。

「……例の仮面殺人鬼ですか」

 その言葉を聞いた途端、自分の顔が珈琲の苦みによるものではなく顰められるのを和彩は自覚した。口の中のものを飲み下すと、吐き捨てるように言う。

「……巷じゃ殺戮淑女なんて呼ばれてるらしいけどね。いかにも煽情的センセヱショナルじゃないか。新聞社が好みそうだ」

 それはここ最近の帝都を震撼させる連続殺人鬼の名であった。

 惨劇は数週間ほど前から始まった。最初の目撃者は気の毒な酔っ払いだったという。お大尽気分で意気揚々と帰っているところに小路一面に広がる血だまりを見たとなれば、百年の酔いだって醒めたことだろう。

 それから時を置かず新たな血の池が発見されたことで、世間はこれが未だ続いている災禍だと理解した。それと同時に威内斯式仮面ベネチアンマスクを付けた翠の黒髪の女が複数人に目撃され、この惨事が一人の怪人の手によるものだということもまた、発覚した。

 現在その事件の担当となっているのが宮本和彩特等巡査、その人である。厳密にいえばこの事件は警視庁総出で追ってはいるのだが、もし仮面殺人鬼が発見されればその対応は彼女に任せられることになっている。捕縛しようとした警官が五人まとめて屍にされたことを考えれば、機装刑事の出番になるのは至極当然のことと言えよう。

「お前はいざというときのために体を休めておけと言われてね。現場に出れないから仕方なく報告書とにらめっこさ。まあ、こいつから何か分かるかもしれないし、いいんだけど」

「あまり無理をしないでくださいね、せっかくの玉顔が台無しになってしまいます」

 容貌を褒められたことにくすぐったさを感じ、和彩はふふ、と笑いを返した。

「警官に玉顔も何もないとは思うけど。桂さんこそ疲れてない? 慣れない仕事が多いだろうし、そもそも量だって」

「私は全然大丈夫ですよ。こちらへの配属も私の希望ですし。自分で望んだことなんですから」

「希望、ね」

 和彩は壁に目を向ける。

 いや、正確には壁に掛けられた己の装備に。

「望んだことというなら、私だってそうだよ。機装を装着することも含めて、ね」

 機装。

 正式名称、蒸気機動鎧装──高出力蒸気機関を動力源に各部の駆動装置アクチュエヰタア発動機モウタアによって装着者の動きを支援する、戦闘用兵装である。

 大まかな機構的には民間でも利用されている強化服パワアドスウツと変わりはない。ただし、それらのほとんどが西洋からの舶来品(あるいはそれに改造を施した代物)であるのに対し、機装はその全てが蒸気工学研究所の手による純国産の特注品だ。開国による技術流入以来、弛まぬ発展を続ける蒸気工学の粋を集めた一種の芸術品である。

 そんな故国の誇りを身に纏い、あらゆる悪人を相手取る刑事の中の刑事こそ、機装課の特等巡査である。和彩にとってこの職務は誉れであり、昔からの夢でもあった。殺人鬼が民草を脅かす目下、どうして疲れなど感じていられようか。

「ともかく、私は大丈夫。最近は他に気を取られることもなく、この事件だけに集中できてるしね」

 にこりと笑うも、皐月は下がった眉を動かさない。

「本当に、無理はしないでくださいね。先輩が壊れちゃうようなことがあったら、私悲しいです」

「はいはい、気を付けるよ」

 優しい子だ。この子が来てくれてよかったと和彩は思った。

「それで……報告書から何かわかりましたか?」

「ああ、それなんだけどね……」

 溜息を吐いて書類を見遣り、いくつかを手に取る。

「こうして一連の事件を見ていてもさっぱりだね。事件現場も被害者もばらばらで共通点が見つからない。殺し方も大ぶりの匕首ナイフでばっさりと淡白なもので、怨恨も考えづらい。やはり通り魔的な犯行と見た方がいいだろうな」

「では犯行時刻からは……」

「事件はいつも夜に起こっているけれど、夜といっても時間帯は幅が広い。あまり犯人探しには役立たなさそうだ……ついでに言うと犯行周期も特に規則性がなさそうだね」

「なら……装備は? 警官を全く相手にしなかった、ということならば装備から洗い出せるんじゃないでしょうか」

 それについても、和彩は首を振る。

「現状そっちで捜査は進められているけどね。何せ巷は蒸気機甲で溢れているし、最近じゃあほら、何だか秋葉の原で機甲愛好家メカマニア達が集って色々と遊んでいるようじゃないか。この帝都にどれだけの違法改造された機甲が隠れているか……それを考えるとどうしても時間はかかるだろうさ」

 やはり、現行犯で捕まえるのが最も手っ取り早い──と手にした書類を再び机に放り投げながら和彩は言う。

「私がきっちり、ヤツをお縄にしてやるさ。絶対に、逃がしはしない。……これは勘だけど、今日こそ奴と相まみえるような、そんな気がしているんだ」

 握り拳に力を込めて呟くと、皐月も同じようにしてふんすと鼻を鳴らし、

「私もお手伝いします! 全都監聴機構も導入されたことですし、先輩が殺戮淑女と戦えるように精いっぱい補佐しますね!」

「ああ、そういえばあれも君か……。しかしあれ、随分と情報量が多くなりやしないかい? 大変だと思うんだけど」

「そこのところはばっちり考えてありますのでご安心を!」

「それならいいんだけど……私より君が仕事のし過ぎで倒れないか心配だよ」

 そこで和彩は取り出した懐中時計に目を向けると、皐月に告げる。

「ところで、そろそろ定時じゃないかな?」

「ああっ、もうそんな時間ですか!? 私、行かなくちゃ!」

 荷物をばたばたとまとめる皐月を見て、忙しないことだなと和彩は考える。なんとも精力的なことだ。

 手早く準備を済ませ部屋を飛び出していく皐月。かと思えば取って引き返し、

「そうだ先輩、頼まれてたあれ、やっておきましたので! 夜間警邏頑張ってくださいね!」

 それではお疲れ様です! と言うが早いが皐月は駆け足で去っていった。もう少しかかると思っていたのだが、有能にもほどがある。私も負けていられないな、と和彩は残った珈琲を啜る。もう少ししたら、自分も夜間警邏のために仮眠をとらなくては。

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