第124話 キス
「フェイ、もう、こんなに酔っぱらって」
ガブリエルを追い払ったリナは足元をふらつかせるフェイを支えて、ベッドへ誘導する。
ずいぶんと酒くさい。よもや女の子であることがばれたりはしていないだろうが、あまり気を許すのはリナとしては嬉しくない。対外的にはともかく、異性であるのだから。
「ううむ。ガブリエルのやつめが、カップを空にする度に注いできたからの」
自分のベッドに座ったフェイはゆっくりと頭をふりながらそうぼやくように言う。リナは用意していたサイドテーブルの飲み水を取る。
「そんなに飲みすぎたの? まだ明日はお休みじゃないわよ」
「大丈夫じゃ。大丈夫。それよりリナ」
「ん、なに? はい、水、飲むでしょ?」
フェイの隣に座ってカップに水を注いで、水差しをテーブルに戻し、片手でフェイを支えながらカップを差し出すリナ。
「うむ……」
「フェイ?」
受け取ってから、しかし口をつけずにリナをじっと見つめてくるフェイに、リナは首をかしげる。
「リナ、水はよい。リナにプレゼントじゃ。ほれ」
「え、あ、うん。えと、ありがとう。はい、じゃ寝ましょうか」
プレゼントなどと言って意味不明にカップを返してきたフェイに、かなり酔っぱらってるなとリナはとにかく寝かせることにした。掛け布団をめくってはいはいとフェイを促してあげる。
「リナ、リナ、私のこと好きか?」
「……ええ、好きよ」
(ああ、もう、可愛いなぁ、好きですよはいはい)
酔っぱらいの戯言であろうけど、それでもどきっとしてしまう。軽く返事をしているけど、それだって心臓がうるさいくらいだ。リナはいつだって、フェイが好きすぎて、苦しいくらいだ。
そんなリナの心境は知らずに、フェイはにこにこしながらリナへ手を伸ばす。
「うむ。私も好きじゃ。では、キスをしようではないか」
「……はい?」
(え? き、え? き、聞き間違い、よね?)
突然の言葉と首をかしげるリナに、フェイはリナの左頬に自分の右手の平をそえ、そっと立ち上がってリナの正面に立った。
そのさっきよりもふらつきのない動きに、酔いが覚めてきたのかと、現実逃避気味にリナが考えているとフェイはそのままリナの頬を撫でる。
「聞こえんかったか? キスじゃ。恋人であればするものなんじゃろ?」
「ま、待って。ガブリエルから、おかしなことを言われたの?」
「うむ。恋人として、キスくらいするべきじゃとな。子供をつくる際に行う一つの手順じゃから、それ以外に口をあわせるなど、破廉恥なことではないかと思っていたのじゃが、そうではないらしい。待たせてしまったなのならすまぬ」
「いや、いや……えっと、その、子供をつくるキスなんて、しちゃったら、子供ができちゃったら困るなー、なんて」
そんなことがあり得ないのは百も承知なリナだが、真剣な顔でそう語るフェイに、突然すぎる誘惑に、心の準備なんかちっとも出来ていなくて、臆病な心がとにかく先送りにしようとそんな言い訳を口走っていた。
(ああもう私何言ってるのよ。でもだって、いきなり言われて、よしきたじゃあキスをしましょう! 待ってたの! とか言うわけないし、いや内心待ってた心がないとは言えないけども!)
混乱しながらリナはフェイから視線をそらした。
だけどリナのその顔は夜の中でも見えるくらいに赤くなっていて、そらした瞳はうるんでいて、そえられた手をはらうこともなくて、フェイの行動を受け入れているのは明かだった。
如何に酔っぱらっていようと、リナのことだけはフェイにはわかった。だからにんまりとリナの言い訳を笑い飛ばす。
「神への祈りを捧げぬのに、子を授かることはない。そんなこと、リナもわかっておろう?」
そんな設定は知らない。だけどもちろん、キスで子供ができないことをリナは知っている。
「それは、そうだけど……でも、その、ガブリエルに恋人ならすべきって言われて、それでその、義務的にされても、嬉しくないし」
(嘘だけど。超嬉しいですけど。でも心の準備って言うか、予定と違うと言うか)
いつか来るべきキスの予定では、もう少しはリナは落ち着いていて、年上の余裕を持ってさりげなくフェイを誘導するはずだったのに。
と動揺しつつも、こんな風に突然強引に迫られるのも超理想だしと、めっちゃくちゃドキドキして心臓が飛び出そうなほど興奮しているリナだった。
「私は……ガブリエルから、その話を聞いてから、お主のことばかり考えておる。お主と、キスをしたいと思っておる。それでは駄目か?」
「……駄目じゃ、ないです」
(ずるい。駄目かなんて、そんなの、いいに決まってる。恋人になるより前からずっと、したかったんだから)
リナは顔を真っ赤にしながらも、何とか肯定の言葉をしぼりだす。恥ずかしさを誤魔化そうと敬語になってしまうリナに、フェイは笑う。
「そうか。では、私を見よ」
「……はい」
リナはフェイに視線を戻す。フェイもまた赤いのが見てとれた。だけどそれは酔いで赤いのか、リナと同じなのか。考えるまでもないことなのに、緊張のせいか、余計なことまで考えてしまう。
フェイの唇を見つめて、その柔らかさを想像して、瞳へ逃げて、そのきらめきに耐えられなくて、それでもフェイの指示通りフェイを見るものだから、リナの目線はせわしなくフェイの顔の上で動いていた。
「リナ、よいな」
「う、うん」
フェイの顔が近づいてきて、リナは目を閉じた。そんなリナにフェイはさらに顔を寄せて、 唇を重ねた。
「……」
○
ガブリエルに押されるようにして宿に帰ったフェイは気づいたときにはリナが隣にいた。
(む、随分と酔っぱらっているみたいじゃのぅ。ふらふらするぅ)
酔っぱらっている脳みそで自覚しながら、リナに促されるままベッドに座った。
「そんなに飲みすぎたの?」
リナは何やら言っているのだが、うまく頭に入ってこない。返事をしつつも、いやこんなことを話している場合ではない!と思い立つ。
キスだ。キスをしなければ。最初にガブリエルに言われた時は何言ってんだと思ったが、すぐにリナとそうすることを想像してしまって体が熱くなった。
それまでは考えていなかったが、改めてキスがしたいかどうかと言うなら、したいに決まってる。いずれそうする相手が自分でなければ嫌だからリナと恋人になったのだ。
婚姻を結ぶより先にするのが当たり前だと言うなら是非もない。さっそくガブリエルからのアドバイスを実践しよう。
「それよりリナ」
「ん、なに? はい、水、飲むでしょ?」
声をかけて、とフェイが頭をまわして行動に移すより先にリナはフェイに水の入ったカップを渡してきた。
「うむ……」
反射的に受け取ったが、このままでは寝かしつけられてしまう。フェイはカップを持って考える。
(キスするためには、まずは何じゃったか。そうそう、近づいて、ってすでにリナはこれ以上ないほど隣にいるではないか。よしよし。では次はプレゼントじゃな。何じゃったか。最終的になんでもいいと言っておったが。えーっと)
とそこまで考えてから、もう頭がうまくまわらない。もうこれでいいや、とフェイは手の中のカップを突き返すことにした。プレゼントと言っておけばいいだろう。
「リナにプレゼントじゃ。ほれ」
「え、あ、うん。えと、ありがとう。はい、じゃ寝ましょうか」
何故かさらに寝かしつけようとしてくる。
(違う違う。えーっと、)
「リナ、リナ、私のこと好きか?」
「……ええ、好きよ」
(うむうむ、よし。これでムードは完璧じゃ)
フェイはにっこり笑って提案する。
「うむ。私も好きじゃ。では、キスをしようではないか」
「……はい?」
誤魔化すように首をかしげるリナに、フェイは立ち上がってリナの正面に立ち、リナの頬に手を添えて自分に向けて固定させ、キスをしようと誘う。
「いや、いや……えっと、その、子供をつくるキスなんて、しちゃったら、子供ができちゃったら困るなー、なんて」
リナは真っ赤な顔で、視線だけを泳がせてそんなことを言う。そんな訳はないのに、リナは可愛いなぁ。
言い訳してキスを避けようとリナは言葉を重ねてくる。拒否してないのは態度でわかるのにとっても面倒な人だ。だけどそんなところが、たまらなく愛しい。
「お主と、キスをしたいと思っておる。それでは駄目か?」
「……駄目じゃ、ないです」
観念したリナがフェイへ視線をもどす。だけどその視線はせわしなく動いていて、リナが動揺しているのはわかる。年上で普段はあんなにしっかりしているのに、こんなにフェイの言葉には揺れている。
それがたまらなく嬉しくて、リナのことが可愛いし、抱き締めて独り占めにしてしまいたいと強く思う。
「リナ、よいな」
「う、うん」
顔を近づけるとリナは目を閉じた。すぐ近くなので、震えるリナの睫毛が見えて、リナがたまらなく可愛くて仕方ない。キスを提案してから、リナが抱き締めたいほど可愛くてたまらない。こんなにも可愛い顔を見せてくれるなら、もっと早く知りたかったくらいだ。
フェイはそんな可愛いリナの顔を見ながらそっと唇を重ねた。
「……」
合わせた唇の、なんて柔らかいことか。暖かくて、ただ僅かな面積が触れているだけだと言うのに、フェイの心臓はばくばくとうるさい。覚めかけた酔いがまたまわってきそうだ。
「……リナ、可愛いぞ」
「……馬鹿」
「なんじゃ。怒っておるのか? リナは怒った顔も、可愛いの」
「……馬鹿ぁ。もう、怒ってないけど、怒ってないけどぉ、恥ずかしい……」
幸せすぎてとろけそうなリナは言葉にならなくて、真っ赤な顔を今更手で隠そうとする。
「恥ずかしがるリナは可愛いから、私だけに見せてくれ」
フェイはそう言いながら、リナの両手をそれぞれの手で握って阻止する。左頬からフェイの手が離れたことで、リナの顔に被さるものは何もなく、再度、フェイの顔がまた被さった。
「リナ、好きじゃよ」
「……うん」
リナは泣きそうなほど瞳をうるわせていて、それは嬉し涙なのだとフェイは感動して、さらに唇を重ねる。
(ああ、なんじゃか、ふわふわして、夢の中みたいじゃ。このまま、リナを独り占めしたいのぅ)
数度キスをしてから、二人はそのまま抱き合うようにして眠りについた。
○
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