第98話 唸り馬、怒り犀4

 踏み込んだままの勢いで矢のようにリナの体は直線的に怒り犀の脇を狙う。しかしあとわずかのところで怒り犀は首をこちらに向けた。


 ウオォン!


 ヤバい!と直感して、リナはさらに左足で前に踏み込み、短剣を持つ右手を前に突きだした。

 犀はまるでリナの真似をしたかのように左足に力をいれると体全体をスライドさせるようにして、リナをその角で突き刺そうとしてきた。


「リナ!?」

「待て!」


 フェイの呼び掛けを制止する。まだ、ギブアップには早い!

 犀の角はリナの心臓を正確に狙っている。だからこそ、リナの剣の方が先だ!


 ブオン!


 剣先が怒り犀の首筋に埋まった。しかし、半分も刺さらずに止まる。鼻息を荒くする怒り犀は、首に剣先が刺さっても勢いを全く殺さないままこちらへ角を差し向ける。


「はっ」


 リナはそこに左手を向ける。その角は確かに硬くて、きっとここに剣が当たっていたなら1センチも埋まらないだろう。だけどスピードは、とても早いとは言えない。

 その角を掴むことは今のリナには難しくない。


「どっ」


 右足で地面を蹴りあげ、左手で握った角を起点に逆上がりして短剣を怒り犀の頭上に突き刺す。もちろん逆さの姿勢で腕の力だけではささるのはさっきよりもずっと僅かなものだ。だけど一瞬手を離してもその垂直を維持するくらいはできる。


「せいっ!」


 左手を離して、短剣の柄へ踵落としをする。それで全部とは行かないが、先程と同じかもう少し深く、剣先は犀の脳味噌へ埋め込まれた。


 オオォン!


 短剣のさらに半分しか刺さらないなら、半分だけで仕留めればいい。心臓は位置として難しく、最も確実なのは脳みそだ。心臓よりは即死性は低いが、それでも十分だ。

 同じ程度の刺し傷も当然脳みそであれば効果は違う。犀は悲鳴をあげながらよろめく。リナは踵落としをしたのと逆の左足で犀の角を蹴って飛び上がり、一回転して少し離れた場所へ着地する。


 オォ


 犀は2歩後退してさらによろめき、尻餅をついて頭をふる。ずどんと物凄い音があがった。

 まだ前足をたてて立ち上がろうとする犀の動きに注意しながら、リナは剣を引き抜いて止めをさそうと右足を前に出す。


 ウォン!


「!?」


 突然、リナへ向かってずっと沈黙していた子犀が声をあげた。びくりとしてそちらへ視線をやるより先に子犀が姿勢を低くしてリナへ突撃した。

 そこにいるのはわかっていた。だが静かにしていた子犀は前情報通りでこちらに無関心なのだろうと意識の外に追いやっていて、子犀との距離はわずか2メートルたらず。正面から向かい合っていたならともかく、今のこの不安定な姿勢では、避けることはできない!


 咄嗟にリナは左手をだしてさっきと同じように角を掴んだが、距離が近すぎる! ここから地面を蹴っても体に当たってしまう!

 リナはさらに右手で角を掴もうとしたが角がさっきより短く、また捕まれたことで子犀は小さく頭を上にあげた。その突然の動きにつかみ損ねたリナの右手の平に子犀の上を向いた角がささる。


「くっ、ああ!」


 その傷みを歯をくいしばって耐えながらリナはしゃがみながら子犀と逆方向へ右足をだして、地面に頭をつけるように勢いよく上体を倒して、子犀を投げ飛ばした。


 ォン!


 子犀は唸りつつもそのまま勢いよく、リナが手を離したことで10メートルほど飛んでいき、頭から地面に叩きつけられて沈黙した。

 子犀子犀と表記しているが、その体躯は3メートル弱で、重量ももちろん半端なものではない。知らぬ人が見れば目を疑うような光景であった。同じく身体強化されたフェイでも同じことはできない。元の身体能力の違いから、リナの身体強化の効果はフェイよりずっと高いのだ。


「リナ!」


 異常な偉業をさらりと成し遂げたリナだが、ただ一人目撃したフェイにそれに驚く余裕はない。必死の形相でリナに近寄る。


「リナ! 手! 手は大丈夫か!?」

「平気平気。ちょっとしくっちゃった。やっぱ、情報を鵜呑みにしちゃだめね。個体差を考慮すべきだったわ」


 リナは苦笑しながら平気だとアピールするため、右手をふってフェイに見せる。風穴があいた訳でもないし、止血をすれば今日中には血も止まるだろう。すっかり怪我とはご無沙汰だったが、この程度なら大騒ぎするほどでもない。フェイの身体強化がなければ普通に反対側までよく見える覗き穴ができるところだった。


「ちっ、血血が出てるではないかっ!」

「それはもちろん出るわよ」


 しかし大丈夫とか寝言を言っているのはあくまでリナの感覚だ。フェイからすればぼたぼた血がこぼれているのにいの一番に手当てもせずに笑っていられるなど信じられない。

 実際のところ痛いものは痛いし、普通に呻き声の一つもあげて顔をしかめたいくらいだ。急を要するほどの出血量ではないのでフェイを安心させるためにわざとしているのだが、どちらにせよ早く手当てをしなければならない。


「手を!」

「あ、うん」


 さて手当てをするかと左手をポーチに伸ばそうとしたリナだが、フェイに鋭い声で指示されたので反射的に出された手の上に右手をのせる。

 よほど慌てているらしく、フェイは魔法名を口にすることなくリナの手の平の上に魔方陣を展開させる。淡い光が浮かんでいる。

 こうしてまじまじと魔方陣を見たのは初めてだ。リナはこんな感じなのか、と感心してからふっと右手の痛みが消え、同時に出血が止まった。


「えっ? あれ、もしかして魔法で治してくれたの?」

「いや、傷口は塞がっておらん。魔力で血止めをして、痛くないように麻痺させただけじゃ」


 麻痺と聞くと弓矢にぬる麻痺毒を連想して少しびびったリナだが、虫歯を抜くときにはわざと痺れ薬の原料になる水面草を噛んだりするのを思いだし、治療的な意味だろうと平静を保つ。フェイがリナにおかしなことをするわけないし、痛くないなら問題ない。


「ありがとう、後は薬をぬって包帯巻くだけだし、自分でできるわ」

「何を言う。片手でできるものか。わしがやる!」

「え、ああ、じゃあ、お願いするわ」


 普通に問題なく片手で手に巻いた経験もあるが、しかし両手でやるよりは多少雑になるし、止血はされているのだからあせるほどでもない。折角の好意なので任せることにした。









 フェイは泣きそうだった。リナが怪我をしてしまった。いざと言う時は任されていたのに、その時を見誤った。フェイがちゃんとしていれば、リナは怪我をしなかったのに。

 フェイはリナが子犀に突撃されそうになった瞬間、パニックになってしまって、とっさにどの魔法を使えばいいのか頭になくて、ただ意味もなく左手を突きだしただけで、結局リナが自力で解決してしまった。

 フェイはリナたちから少し離れた位置にいたので、とっさに使い慣れた風刃を使おうとしたが間に合わないと気づいて別のを使おうとして、でも何なら間に合うのかああ、リナ怪我した!てな感じでもう完全にあたふたするだけで終わってしまった。


 ポケットに前に買ったときにそのまま突っ込んでいた薬瓶をとりだし、リナの手を魔法で清潔にしたから薬を塗って、包帯を巻く。幸い魔法が役に立ってリナは傷口に触れても痛がることはなかったが、感じなければいいと言うものではない。


「リナ、すまぬ……」

「いいのよ別に。フェイの気持ちだけで十分よ。ほら、ちゃんと最後を止めてくれれば、多少よれてもわからないし」

「……うん。下手くそで、すまぬ」


 傷について謝りたかったのだが、先に包帯の下手さを指摘されてしまった。巻き方自体教えられたことはあったが、実際に使ったのはこれが初めてで、どうにも妙によれたりふくれたりしている。

 涙が眼球をおおいだして、よく見えなくて、包帯を結べなくて、ますます情けない気持ちになってより涙がでてきてしまう。


「うー」

「ふぇ、フェイ? 何泣いてるの? 別に包帯なんて巻けなくてもいいのよ? 痛みも血も止めてもらって助かってるし」


 こぼれた二粒の涙をリナは戸惑いつつも右手でぬぐってあげる。フェイは鼻をすすりあげて、これ以上こぼさないように目に力をいれて答える。


「包帯だけではない。わしのせいでリナを怪我させてしまったのに、治癒魔法も使えぬし、包帯もまけぬ、自分が情けないのじゃ」

「いや、フェイのせいじゃないわよ。包帯なんてこうして」


 リナはそっと左手でフェイの両手をのかせると、素早く包帯を外して巻き直す。一人で依頼をこなす物にとっては自分で自分の手当てをするなんて必須技能だ。一時でもソロ冒険者であったリナも当然身に付けている。

 包帯の端を口でくわえてきゅっと巻かれた包帯は、やや結び目が離れてはいるがフェイよりはずっと綺麗に巻かれていた。


「よし、オッケー。ね? それに怪我したのも私のせいなんだから、気にしないでよ」


 フェイの助太刀を不要と切り捨てたのはリナだ。あの時は親犀だけを相手にすると考えていたし、事実親犀だけならなんとかなった。通常親が攻撃されても無視をすると言う子犀の予想外の攻撃があったからだ。

 しかし一流の冒険者なら予想外をも予想してしかるべきだ。一足飛びにランクだけは超一流だが、まだまだリナよ精進が足りなかっただけの話だ。


 だからリナとしては手当てをしてくれるフェイに感謝し、むしろ調子にのって恥ずかしいなとすら思う。

今のんびり手当てできるのだって、フェイの魔物除けのおかげだ。しかしフェイはそうは思わない。相手が他のものなら、ドジをしたのだと冷たく見ることもできるだろう。しかしリナのことは違う。


「違うんじゃ。じゃって、わし、リナと約束したのに」

「ん? なに、約束?」

「ドラゴンの時に、わしはリナを守ると言ったじゃろう」

「えっ、いや、それはでも、その時限りのことでしょ? そんな半永久的な約束じゃないでしょ?」

「それはもちろん、流れはそうじゃし、そう言うつもりでその時は言っておらんけど、でも、わしはずっと、リナのこと守りたいと思っておったし、決めておったんじゃ。なのに、全然、守れんかった」


 また左右一粒ずつ涙をこぼしたフェイに、リナは言葉につまった。そんな風に思っていてくれたことが嬉しくて、またこの程度の傷で泣いてしまうほどリナを思ってくれてるのだと思うと、どうしようもなく胸が高鳴る。

 見ていられないような涙のはずなのに、可愛いフェイが泣いているのに、それがリナの為なのだと思うと、嬉しくて、そんなフェイのことがいとおしいと思った。


「フェイ、泣かないで」


 リナはフェイをそっと抱き寄せた。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る