第99話 唸り馬、怒り犀5

 リナに抱き締められ、肩口に顔をうめたフェイは、ぎゅっと目を閉じた。役に立たない上にこうして慰められて、よけいに情けない。

 だけどそんな風に思うのに、リナのその温もりに、フェイの心まで暖められて、涙は止まる。


「……リナ、すまぬ。わし、頼りなくて」


 とっさにリナを守る機転も気概もなくて、事前に注意深く用心を重ねて守ることもできず、さりとて事後に治癒魔法をかけてあげることもできない。治癒魔法は殆ど唯一、フェイが苦手で全然使えない魔法の種類だ。


「そんなことないって、私が言っても信じられない?」

「そ……そう言うわけでは、ない。じゃけど」


 言葉をとめるフェイに、リナは抱き締めるのをやめて顔を合わせて微笑みかける。


「ねぇ。フェイが私のこと守りたいって言ってくれるのはすごく嬉しいわ。だけど、同時に私もフェイのこと守りたいって思ってるのよ?」

「それは……」


 リナに守られると言うことは両手をあげて喜べることではないけれど、フェイがリナを大切で守りたいと思うのと同じように、リナもフェイを大切に思う以上、同じく思ってくれるのは仕方ないことだ。

 むしろそれはリナがフェイと同じ気持ちでいてくれていると言うことで、そう思うとやっぱり、嬉しいことでもある。

 だからこそ、フェイはリナに何て答えればいいのかわからなくなる。お互い様となれば一番いいのかも知れないけれど、そう簡単に割りきれない。リナに迷惑をかけて頼っている自覚はあるけれど、役に立っているとはフェイには全くその感覚はない。

 なんの問題もなければそれでもよかったけど、こうしてリナが怪我をするとやっぱりフェイの存在が足を引っ張っている気がして、フェイがいなければリナも怪我をしなかったかもとか思えてしまって、どうしても自分を責める気持ちが抑えられない。


「それでも、わしがうまくやれば、リナは怪我をせんかったのは本当のことじゃ」


 いくら言葉を並べても、これが本当のことだ。リナがフェイを思ってくれて、フェイのせいだなんて思ってないのはわかってる。それでもそれとは関係なく、真実としてフェイのせいだ。

 だけどそれはフェイにとっての真実だ。フェイがうまくやればリナは怪我をしなかったかも知れないと言うのは、確かにその可能性もあるし、嘘ではなく事実には違いないだけど。


「なら、私がもっとうまくやれば、私は怪我をしなかったし、フェイも悲しませなかったわ」


 リナにとってはそれだけだ。二人とも抜けていたのだ。だから一方的にフェイが自分を責めるなんて、傲慢な話だ。二人はあくまで対等な仲間なのだから、フェイが全て責任を背負って失敗したと嘆くなんて、それはリナのことを馬鹿にしてるとすら受けとることはできる。


 もちろんリナはそんな悪意的な見方はしないし、フェイが責任感の強いのはいいことだと思う。でもあんり泣かれると困ってしまう。そんなに弱いところを見せられると、抱き締めて慰めるだけじゃなくて、もっとべろべろに優しくしてあげたくなる。今だってその涙を口づけて拭ってあげて、キスしたい。

 おっと、これは優しさではなくただの願望だった。まあ、フェイが可愛すぎるのが悪いと言うことでそれは置いておいて。ともかく。


「ね? 別にこんなの大した怪我じゃないし、二人ともが実力不足だったのよ。だからこれからもっと頑張ればいいの。それだけの話よ」

「……じゃが」

「なに? フェイは、私の為に頑張ってくれないの?」

「そんなことはない! ……頑張る」

「うん。私も、フェイの為にもう泣かせないように、頑張るわ」

「……うん。わし、あ、うん。私も、頑張るから」


 こくりと頷いてから慌てたようにはにかんで言い直すフェイに、リナはたまらなく可愛く見えて、思わず欲望のままに動きそうになった。

 リナはフェイにそっと顔を寄せ、危ないところでリナはおでこを突きだしてこつんと軽く頭突きをするにとどめた。


「こんなときまで無理して私って言わなくてもいいわよ? 私から強制してなんだけどね」


 唐突なのは自覚しつつも、そう提案することにする。ただでさえ可愛いフェイが弱っているときなんて輪をかけて可愛くて仕方ないのに、さらにそこで私なんて使われたら、ちょっともう訳がわからないくらい可愛すぎて、フェイの貞操が危ない。


「ん? いや、私と言うぞ」


 しかしフェイはそんなリナの突然の今まで強いてきた意見の翻しにも、不審や怒りではなくただ不思議そうに首をかしげつつも否定した。


「あれ、気に入ったの?」

「別に気に入る気に入らんではないが、その方がリナが私を可愛いと思うのなら、出来る限り使うぞ?」


 ずきゅん。リナのときめきポイントがさらに追加され、リナは我慢できずにぎゅーっとフェイを抱き締めて叫んだ。


「もー! フェイは可愛いなーもう! 大好き!」


 それからフェイを抱き上げて、くるくると回りだした。フェイはその行動に驚きつつも笑った。


 これでも理性的な対応だと褒めてほしい。フェイの唇の貞操は守られたのだから。








 リナの衝動がおさまってから、二人は抱き合うのをやめて怒り犀の処理をすることになった。

 と言っても必要なのは皮膚と脳みそと角だ。中身は必要ないので、さっさと剥ぎ取る。脳みそだけ取って持っていくのは気分のよくないことなので頭部だけはそのまま持っていくことにする。


「おお、こうして見ると、やはり大きいのう」

「そうでしょ。我ながらこのでかいのにはうまくやったと思うわ」


 失敗しておいてなんだが、それでもそれなりに高ランクの怒り犀の大型を初見で怪我なく倒せたのだ。フェイ視点では失敗だし、多少ミスった自覚はあるが、リナとしては獲物としてはこの程度の傷なら十分釣り合っているし、成功と言ってもいいと密かに思っている。


 処理を済ませて肉は捨て、皮と頭部を持って二人は街へ帰ることにした。まだ少し時間には余裕があるので、のんびりと歩いている。もちろん魔物除けの魔法はかけている。


「リナ、手は痛まんのか? 別に無理に等分して持たんでも、私だけで持つぞ?」

「フェイのお陰で全然痛くないわよ」

「しかしのう。傷がなくなったわけではないのじゃし、無理しては治りが遅くなるぞ?」

「このくらいなら大丈夫だって。心配性ねぇ」


 リナは苦笑しながらも怪我をした右手は軽くふって、左手だけで荷物を持つことにする。相当な重量になるが、リナにとっては大した負担ではない。


「そりゃあ、心配はする。当然じゃろ。私が痛みを消しているから平気じゃと言うなら、むしろせんほうが、大人しくするのか?」

「そんなに心配しないでよ。このくらいの傷で」

「どこかじゃ。あんなにどばどば血が出ておったろう。どばどば、どば……」


 言いながら思い出したフェイは今更に顔を青くする。リナよりフェイの方がよっぽど血を抜いたような顔色だ。


 リナにとっては大袈裟な心配だが、そもそもフェイはちょっとした切り傷や擦り傷も滅多なことでは経験がない。知らぬ他人が怪我をしても痛そうだなぁですむが、他人事と思えないリナの怪我は自分のことと同じだ。あれだけの出血を自分がしたと思うだけで、フェイはぞっとしてしまう。

 どばどばと言う自分で口にした効果音もそら恐ろしい。実際のところ少々大袈裟ではあるが、じわじわレベルの出血経験しかないフェイには、全く冗談ではなく大怪我だ。


「ちょっと、顔色悪いわよ」

「も、問題ない。ちょっと、血の量を思い出して気分が悪くなっただけじゃ」

「え、あれで? 確か前に、誰だったか、馬鹿な人が虫にくわれて血が吹き出たときがあったじゃない。あの時フェイ、普通に馬鹿にしてなかった?」


 リナにとっては大したことのない、むしろ馬鹿すぎてちょっと印象に残ってた以前アルケイドでこなした依頼のことを思い出して尋ねる。


 馬鹿な人と言われた、リナにとってもう名前も忘れられたセドリックは、すでに忘れられているだろうから説明すると、阿呆だ。何事も都合よく解釈し馴れ馴れしく強引な男でフェイを度々依頼に誘ってきた男だ。

 悪人ではなく明るいお調子者だが、底抜けに前向きでフェイにも照れるなよ俺のこと好きなんだろ?大好きなくせに。みたいな態度でイラッとさせられることの多い、非常にうっとうしい男だった。


 それでも滅茶苦茶弱いわけではなく、それなりによく動き雑用を嫌がらず、依頼に対してはそれなりに使えるところもあり、また少々雑な扱いでも全く気にしないので、何だかんだ嫌いと言うほどでもなく、嫌いよりであったことは否定しないが依頼を共にこなすことは割りとあった。

 なのでフェイはセドリックのことはキチンと覚えていたがリナがさらっと忘れているので、何となく覚えているとは言い難かったので名前はぼかして答えることにした。


「ああ、あのセドなんとかが吸血虫につかれた時のことじゃな」

「あ、思い出した。セドリックね、セドリック」

「……うむ。まぁそんな感じじゃったかも知れんの」

「セドまで出てて忘れるなんて、ちょっと可哀想よ。まあ、フェイらしいけど」

「……とにかく」


 何となく納得はいかないが、今更覚えてたしとか言ってもどうしようもない。セドリックごときで言い争うのも嫌なので話を続ける。


「セドリックはあやつが阿呆じゃったし、血の量は多かったが怪我と言うほどでもなかったしの」


 セドリックのおもしろ出血と言うのは少し遠出して行った森で、吸血虫と呼ばれる魔物に襲われた時のことだ。吸血虫は5センチほどの蛭の魔物だ。見た目は普通の蛭のようだが、その吸血量が桁違いだ。血を吸われている間は痛みもなく気づかないのだが、場合によっては昏倒するほど血を吸われてしまうので注意が必要だ。

 噛みつかれてからも、慌てずに火で炙れば数分で離れるが、無理矢理つかんで離そうとすると皮膚に噛みついているので出血してしまう。しかも吸い込んでいる血液も一緒に吐き出すので、物凄い勢いで大量の血が飛び出す。


 セドリックは吸血虫の群れを通りすぎた後に全員で身なりを整えていたのに、一人適当にしていたのでお腹についた吸血虫に気づかなかった。

 膨れてきたお腹に慌てて上半身裸になって吸血虫をもぎとったので、物凄い勢いで腹部から血が吹き出した。それからもしばらく出血は止まらなかったし本人痛い痛いとわめいていたが、元気に跳び跳ねていたし、何より本人の自業自得なので同情する気持ちは全くなかった。

 と言うかそもそも、セドリックのおもしろ出血なんて確かにインパクトはあったし覚えているが、リナと比べるなんておこがましい。リナの怪我なら我がことのように痛いししんどいけど、セドリックとかどうでもいい。セドリックが腕一本なくしたならまあ心配しなくもないが、リナがかすり傷をおうよりもどうでもいい話だ。


「だいたい、セドリックよりリナの方が百倍大事なのじゃから、比べるまでもないの」

「え、えっと。出血量で気分が悪くなったってことなんだから、関係性は、関係ないでしょ」

「そんなことはないんじゃが。まあ、とにかく、心配じゃから、傷が完治するまでは無理をするでないぞ」

「はいはい。リーダーの言う通りにしますよ」

「うむ。そうせい」


 大丈夫だとは思うが、それでも心配されるのは悪い気分でもない。フェイがリナを大切だから心配だと言うなら、素直に従っておこう。素直に頷くリナに、フェイも満足げに頷いた。








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