第57話 人工精霊3
「フェイ、フェイ」
「なんじゃ?」
夕食が終わり、エメリナが入浴に向かい、フェイは志願して皿洗いをしている中、ジンが何故か囁くような音量でフェイに話しかけてきた。
「エメリナ、いい子、です、ね」
「うむ。いかにも」
「フェイ、が、女の子、と、知、って、います、ね。もっと、女の子、らしく、して、は、どう、ですか」
「はぁ? 何故じゃ? お主も、御爺様がわしに男装するように言っておったのは知っておろう?」
「もちろん。ですが、それ、は、一人旅、が、危険、だから、です」
「2人でも、女2人は危ないそうじゃぞ?」
登録上以外にも、やはり旅をするなら男だと思われた方が都合がよい。なのでエメリナからも、勿体ないだのつまらないだのと言われたが、男装を続けることは黙認されている。
「むー、では、せめて、今、だけ、でも。女装、して、ください」
ジンは囁くのをやめて、不満そうな声をあげる。と言ってもジンの声には感情のパターンはないが。
「それはそれで、違うのじゃが。というか、なんじゃ? 前はそんなこと言わんかったじゃろ」
「それは、ブライアン、が、フェイ、の、格好、を、認め、て、いた、から、です。ブライアン、亡き、今、私、の、マスター、は、フェイ、あなた、一人、です」
「……いや、余計にわしに小言を言うのはおかしいのではないか?」
「マスター、を、正し、く、導、く、のも、私、の、仕事、です」
「ふん、大きなお世話なんじゃ」
フェイとブライアンだけでは、魔法で清潔にだけはしていても、すぐに本が積み上がり、魔法陣の構成案を書きなぐった紙が散らばり、衣服は着た切り雀で、食事もパンをかじるだけ、なんて状態になっていただろう。
ジンが口うるさく、やれ片付けろ、やれ食事の時間だ、掃除をしろ、風呂の時間だ、たまには外に出て散歩くらいしろ、と言わなければ不健康極まりない生活になっていたかも知れない。
しかしそれはそれ、これはこれ。規則正しい生活が身についたことに頭では感謝しているが、感情は別だ。感情を制御できるほどフェイは大人ではない。生活を規制されてきた日々から、ついついフェイはジンには反抗的な連れない態度をとってしまう。
「もう、フェイ、の、反抗期、長、く、ない?」
「反抗期とか言うでない。というか、御爺様が亡くなったからと言って、無理にわしをマスターと仰がずともよいのじゃぞ?」
「いいえ、これ、は、私、の、意志、です。私、は、フェイ、が、大好き、です、から」
「……好きにせい」
「はい。私、は、いつまでも、ここ、で、あなた、の、家、を、守、り、ます」
フェイとして、ジンをずっとこの家の精霊にしておくことに、思うところがないわけではない。人工精霊とは言え、すでにジンは本物の精霊になれるほどに時間を重ねて魔力を含んでいる。
しかし本人がこの家であることを選んだ。フェイにとってもだが、ブライアンとの思いでのあるこの家を守りたいのだろう。ブライアンの杖付きの人工精霊として作られ、今では家だ。派手に活躍したとうそぶくジンは、自立魔力システムのため地味なことしかできない。
それでもここがいいのだろう。その気持ちはフェイにもわかる。この家はとても居心地がよい。何より、ブライアンがいた。振り向けばブライアンがまだそこにいるような気持ちにすらなる。
だが、だからこそ、フェイは旅に出る。それがブライアンの願いでもあり、フェイの夢でもある。ブライアンに誇れるような、一流の魔法使いを目指すのだ。家を守り、帰る場所を守るというジンの志は有り難いが、フェイはそうそう帰るつもりはない。
「次、の、目的地、まだ、決ま、って、ない、の、でしょう? 決まる、まで、ゆっくり、して、ください」
「うむ。まぁ、明日くらいはそうするとしよう」
「はい。フェイ、の、昔話、を、エメリナ、に、して、あげます」
「やめんか! 余計なことを言ったら怒るからの。絶対じゃぞ? エメリナに変なこと言うでないぞ」
「変、な、こと、とは、何で、すか。例えば、フェイ、が、7才、まで、おねしょ、して、いた、こと、ですか」
「そういうことじゃ!」
「平均的、です。恥じ、る、こと、あり、ません」
「だったらよけいに言うではないわ!」
これだから、フェイはいつまでもジンには余計に、素直になれないし、お調子者は苦手なのだ。
○
「お休みなさい」
お風呂をあがったエメリナを交えて、三人で明日について話した。この家には沢山の地図があるので、それを見てベルカ領までの行程を調べて具体的な計画をたてる。倉庫から食料を出して補充する。以上だ。
フェイはあらかた片付けて出たつもりだったが、エメリナに言わせれば、食料を置いていく時点でおかしい。戻るつもりがなく、誰もいない家に置いていっても仕方ない。ましてフェイには容量の多くはいるポケットがあるのだから。
入りきらないなら勿体ないが廃棄するべきだと言う。確かにこのまま100年もすればいくらなんでも腐るのだから、帰るつもりがない以上仕方ない。
そんな訳で、予定を午前中につめたら、午後は食料庫の整理だ。そして一晩ゆっくりして、明日は出発する。
エメリナはもう少しゆっくりしてもと言ったが、先延ばしになって、もし気持ちがぶれてはいけない。
「うむ、お休み」
エメリナにはかつての自分の部屋で寝てもらい、フェイはブライアンの部屋で眠ることにした。
ダイニングで別れて、ブライアンの部屋にはいる。かつては出しっぱなしだった薬草類はとっくに片付けていたのに、部屋の匂いはあの頃のままだった。
つんと鼻を突く匂いだ、とフェイは口の端を吊り上げ、勢い良くベッドに入った。
(……御爺様、わしは、やるぞ)
懐かしく、ひどく安心する匂いに包まれて決意を新たにしつつも、フェイは泣きそうになった。
あれからずっと泣かなかった。だからもう平気だとフェイは思っていた。
だけどそんなはずはなかった。ただ、新しい環境にもまれて、一時的に意識の外に追いやられていただけだ。こうして匂いという五感の一つを直接刺激されれば、思い出さないわけがない。
思い出してしまう以上、悲しくない訳がない。
「ーーー♪」
「、」
涙がこぼれそうになるのをこらえようと、ぎゅっと目をつぶった瞬間、音楽がなった。
「……」
「♪」
それはジンが、フェイを寝かしつけるときにならす子守歌だった。この家自体であるジンにとって、どれだけ声をころそうと、顔をふせようと、フェイのことを知るのは簡単だ。
その柔らかな音色はフェイの意識を簡単に幼い頃に引き戻し、眠りへと誘う。
(お節介、め)
ブライアンに怒られて落ち込んだ時も、うまくいかずにジンに八つ当たりした時も、こうしてジンはフェイのために音楽をならしていた。
フェイは心の中で悪態をつきながらも、汚い言葉なんて一つも知らなさそうな無垢で安らかな微笑みを浮かべて、眠りについた。
○
「おはよう、ジン」
朝、ベッドを抜け出してダイニングに入ったエメリナは慣れた調子で何もない空へ挨拶した。
「おはよう、ございます。エメリナ」
「フェイはまだ?」
「はい。起こ、し、ますか?」
「いいわ。先に朝食をつくってしまうから」
「さすが、エメリナ。よき、妻、に、なる、でしょう」
「ありがと」
「是非、私、の、嫁、に」
「謹んでお断りするわ」
「では、フェイ、の、嫁、に」
「……冗談ばかり言わないの」
朝昼晩関係なく陽気なジンに、エメリナは呆れたように肩をすくめていさめた。朝から冗談にばかりつきあってられない。
すでに勝手知ったるとばかりに、エメリナは顔を洗って食料を出して、調理を始めた。
「そう言えば、昨日、音楽がなっていたけど、まさかジン?」
「もちろん。私、は、万能、精霊、です。一度、聞、い、た、音、は、そのまま、再生、できます」
「へぇ。あら、じゃあ、そんな話し方しなくても、今まで聞いてきた声でもっとナチュラルに話せるんじゃない?」
「もちろんじゃ」
「!」
突然聞こえたフェイの声に驚きながらエメリナは振り向いたが、そこにフェイはいない。首を傾げながら顔を戻す。
「驚いたか? ジンじゃ」
「えっ、え? ほんとに?」
「うむ」
「か、完全にフェイの声だわ。え、どうして使わないの?」
普段の声もけしてわるくはないが、いかんせん感情をこめることはできない。初期に与えられた音声の組み合わせで文章にしているだけだ。しかし音を再生しているこれは、怒っている時の声を再生すれば、うなり声だけでも怒っていると伝えられる。
すでに人のように話すが、どうしても片言のような妙なイントネーションや間ができる。しかしこれなら完璧な人だ。エメリナにとっては、使わないのが不思議でならない。
「確かにこのようにして、会話はできるわ。だけどこれは、私の声じゃないわ」
さらに別人の音声を使ってジンはエメリナに答えた。会話データとして使えるほどの長期間、多岐にわたる会話をした人はさすがに多くはないが、しかしそれでも10人に届く程度にはジンの中にはデータがある。
しかしそれは、ジンが今まで接してきた他人の声だ。他人の言葉で、他人の感情。どんなに組み合わせようと、場面に合わせようと、ジンのものではない。
ジンの声は最初にブライアンに設定されたものだ。こうして話すことができるのに、他人の声を使うなんておかしい、とジンは判断する。
「こうして、話し、て、いる、のは、私、です。他、の、誰か、では、ありません。」
「そう……そうね。変なことを聞いてごめんなさいね」
感情のないはずのジン自身の言葉に、それでもエメリナにも確かに、ジン個人の気持ちは感じられた。
フェイが言ったように、ジンは生命体ではない。その定義からははずれている。しかしそれでもやっぱり、確かにここにいて、生きているんだと思わせた。
「エメリナ」
「なに?」
「こげ、かけ、て、ます、よ」
「あっと」
話しながら動かしていた手だが、いつの間にか止まっていて、干し魚はこんがりとキツネ色を通り越した濃い茶色になりだしていて、エメリナは慌ててフライパンをもちあげた。
○
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