第6話
『成程ね。それで帰ってきた、ってことか。……二人だけで大丈夫かい? もし厳しそうであれば、私が戻ってきてから一緒に行くこともできるけど』
「いや、それだとジバクの成仏が遅くなって依頼人にも迷惑が掛かる。こっちは大丈夫だ、今日で決着をつける」
『……まあ、それならいいんだけどね』
電話の向こうで桂がやや心配そうな声を出す。そのまま、また何かあったら連絡してくれ、と続けてから彼は通話を終了させた。短く息を吐き、雫はスマホをしまって窓の外に視線を向ける。
桂は昨日の午後から、ジバク成仏の依頼があった物件の下見のため、長野の方へ出張に行っていた。数件回るようで、帰ってくるのは明後日の夜となっている。ジバクの怨念が強力で除霊に手こずっているとの旨は伝えたが、日向がジバクと言葉を交わしたことは何となく伏せた。今のところ問題はないようだし、何よりこれは日向自身の問題であると思ったので、告げ口するようなことはしたくなかった。
――家族に捨てられた人間の気持ちが、お前に分かるわけない。
昨夜、彼に言われた言葉が脳内で反芻する。
自らの拳を見下ろした雫は、未だに日向を殴った時の感触が残っているような気がして、思わず顔をしかめた。珍しく感情的になった、と少しだけ後悔しているところはあるが、だからといってあの発言はどうしても許すことができない。
日向は、児童養護施設育ちだ。
詳しいことは本人には聞いていないが、桂からそれとなく聞いた話によると、元々シングルマザーで育ててくれていた母親がある日突然失踪し、栄養失調になりかけていたところを近所の人が通報して、施設に行くことになったのだという。まだ小学生になる前だったそうで、母親の記憶も朧気。本人曰く「思い出したくもない」だそうだ。
彼は、幼い頃からジバクが視える体質だった。誰も居ないように見える虚空をじっと見つめていたり、「あの人誰?」と天井あたりを指差しながら尋ねたりと、そんなことを繰り返していたら、周囲の人間にひどく気味悪がられたらしい。施設の子供たちだけでなく、そこで働いている大人たちも、やがて彼を遠巻きに眺めるようになった。そうして孤独に過ごしていた彼を引き取ったのが、児童養護施設の責任者と個人的な関係があった桂というわけある。
一方の雫は、両親を中学の時に事故で亡くした。自動車の事故で、横から赤信号無視のトラックが突っ込み、両親はほぼ即死。後部座席に座っていた雫も重傷を負ったが、何とか一命を取り留めた。そしてその後目を覚ました病院で、前までは見えることのなかった奇妙なものが見えるようになったのだ。親戚の家に預けられた後もそれは消えることなく、異変に気が付いた親戚が「お祓いをした方がいい」と逢魔寺を勧めたことで桂と出会った。
つまり、日向は雫とは違い――家族、というものに触れてこなかったのである。
「……腹立つな」
ぼそ、と雫は呟き、腕組みをした。椅子の背もたれに体重を預け、何気なく窓の外を見る。こちらの気分とは裏腹に晴れた空がそこには広がっていた。
日向とは、雫がここに来て以来ずっと喧嘩ばかりだった。とにかく行動が先のやんちゃな彼と、あらゆる可能性を考えて計画を立てる自分との相性は、お世辞にもいいとは言えなかったが、それでもあそこまで明確な拒絶をされたのは初めてである。まるで彼と自分の間に見えない壁があるような、大きな隔たりを感じた。
雫はふと、手元に視線を落とす。そこには、桂がファックスで送ってくれた今回のジバクに関する追加情報があった。いつもなら感情移入しないように、という理由で、除霊対象のジバクの過去は探らないようにしているのだが、日向の件もあるので特別に調べてもらったのである。
ざっと目を通すと、書類には以下のような記載があった。
『対象・岩崎守。年齢不詳だが、恐らく五、六歳の男児。二年前、当時営業中だった漫画喫茶ダラールの大型コインロッカー内にて衰弱死した状態で発見された。警察の調べによると、母親が育児放棄のため故意に男児をロッカー内に放置する姿が監視カメラの映像に残っていた。その後母親の行方を捜索したが、やがて静岡県の山奥で首を吊った死体となって発見され、何とも報われない結果でこの事件は幕を下ろした』
『母親に会いたい、ここで待っていればきっと戻ってきてくれる、という強い想いが周辺に悪影響を及ぼし、ビルの解体工事の妨げとなっている』
なるほどな、と、それを読んだ雫は思わずかぶりを振る。日向が経験してきたことを踏まえれば、あのジバクの言葉に共感してしまうのも無理はない。彼もまた、施設の入り口で毎日母親が帰ってくるのを待っていたらしい。ジバクである守の寂しさ、心細さは痛いほど分かるのだろう。
「なら尚更、とっとと片付けないと面倒だ」
そう言い切って顔を上げた雫は、広げていた書類を片付けて立ち上がる。長引けば長引くほど――守と接する時間が長ければ長いほど、日向の判断が鈍るだけだ。今日こそ成仏させなければ、と決心し、雫はいつも使っているグローブに一瞥をくれた。
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