第3話

「また、ジバクに同情か?」


 少しだけ皮肉げに口端を吊り上げながら雫が問うと、日向はぎろりとこちらを睨んでくる。


「何だよ、その言い方」

「いつもそうだろ。死んだ人間に何を思ったって無駄だ」

「……余計なお世話。ぐちぐちうるせえんだよ、お前はいつも」


 その吐き捨てるような口調に、さすがの雫も顔を険しくさせた。文句でもあんのか? とトドメの一撃をかましてきた日向に言い返そうと、思わず口を開きかける――。


「はい、そこまで」


 しかし、そこで凜とした声が響き、二人は口を噤んだ。二人の顔を交互に見比べ、僅かに真剣さを含ませた顔つきになった桂が、ゆっくりと茶碗を置く。それはまさに鶴の一声といった様相で、お互いに憮然とした表情はしているものの、雫はおろか日向ですらそれ以上口を開こうとはしなかった。


 しばらく黙って様子を伺っていた桂は、二人が喧嘩をしないことを確認すると、傍らに置いてあった封筒から書類を取り出し、ちゃぶ台の上にそれらを広げる。何事かと怪訝な顔になった二人に向かって、彼はまたしても柔和な笑みを浮かべてみせた。


「二日連続で悪いんだけどね。最高に仲が良い君たちに、仕事の依頼だ」


 その言葉に、「うげぇ、寝不足なんだけど」と頭を抱えた日向が呻き声を漏らす。一方の雫は書類を手に取って、中身をちらりと確認してから、桂の方を見上げた。


「……漫画喫茶のあったビルの解体工事が進まない、って?」

「そう。相当年季が入っていたみたいだから、全部取り壊してビジネスホテルを建てたいらしいんだけどね。原因不明の停電だったり、機材の不具合だったり、この前なんか突然の強風で従業員が怪我したりして、思うように作業が進まないんだとさ」


 話を聞いてるとどうもジバクの仕業っぽいんだ、と続けられた科白に、成程、と頷きながら雫は書類を捲る。桂がそう思うのであれば間違いないだろうし、どちらにせよ直接現場に行けば分かることだ。隣の日向も「いつも通りぶっ飛ばせばいいんだろ」と言い、残っていた玄米をかき込んだ。

 桂も食事を終え、両手を合わせてから書類を片付ける。そしてこちらに視線を寄越すと、人差し指を立てて言葉を続けた。


「ジバクを見つけ次第、すぐ成仏させること。いいかい、いつも言ってると思うけど、ジバクとは決して――」

「『ジバクとは決して言葉を交わしてはならない』……だろ。分かってるって」


 もう聞き飽きたよ、と日向は食器を持って立ち上がる。居間を出て行く彼の後ろ姿を眺め、雫は軽く溜息を吐いた。

 それは、桂が仕事の前に必ず言う言葉だった。自分達が仕事を行うのは、午前二時から二時半前後の「丑三つ時」で、死後の世界である常世との境界が曖昧になっているため、ジバクとも接触できる時間帯である。が、同時にそれは、ジバクに引き込まれやすいという意味でもあった。必要以上の接触は、ジバクとの繋がりを生む。そうなってしまうと、今度はこちらが彼らに取り憑かれ、体を乗っ取られることになりかねない。


 そのため、雫と日向は、ジバクとは言葉は交わさないようにしているのだ。


「確かにしつこいかもしれないけど、私は心配なんだよ」


 桂が困ったように笑い、髪のない頭を掻いた。特に日向はやんちゃだから、と付け加えられた言葉に、雫は思わず少し頬を緩める。中学生になってからここに来た雫とは違い、日向は物心ついた頃から桂を親代わりに育ってきたという。桂の方も、まるで本当の息子のように心配なのだろう。


「よく見張っといてくれ、雫」


 ぽん、と肩を軽く叩かれ、雫は頷いた。暴走しがちな彼を止めるのが自分の役目でもある。


「いつもは素直じゃないけどね、日向も君がいてくれて助かっているはずだ」


 目を細めて笑いながら桂は言った。それはどうかな、と内心では少し疑問だったが、口には出さず、曖昧な表情を浮かべたまま食器を片付けて立ち上がる。

 ――午前中のうちに寺の掃除をして、それから仕事の準備をしなければ。

 そんなことを考えながら、雫もまた居間を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る