奏の音

家宇治 克

第1話 名も無き少女

 あるところに少女がいた。


 少女は泣いていた。


 嗚咽おえつこぼして泣いていた。


 顔を手で覆い、涙で袖をらし、暗闇で泣き続けていた。


 制服の上に突き立てられたカッターが、胸から血をつたわせて少女の足元に血溜ちだまりを作る。


 少女は泣きながら自分を責めていた。



 ──頭が悪くてごめんなさい。


 ──運動が出来なくてごめんなさい。


 ──なんの才能も無くてごめんなさい。



 少女は泣きながら虚空こくうに謝り続けた。


 少女が謝る度にカッターはより深く胸をえぐり、血溜まりを広げていく。


『私』は少女の背中をじぃっと見つめていた。


 何度も悔やみ、何かに謝っては自らの命を削っていく少女を、『私』は何もせず、その背中を睨むように見つめていた。


 やがて少女は泣くのを止め、血溜まりに体を預けた。



 ──ごめ······なさ·········い。あ·········れ···············くて············ご···めん·········。



 少女は最期まで謝り続けていた。


『私』はようやく動くと、少女の背中に手を当てた。


 ちょうど最後の鼓動が鳴り、少女は涙に濡れて息絶えた。少女の身体はまだ温かく、背中から心臓の位置に触れると、カッターの刃先の感触があった。


『私』は少女を蔑むように見下ろした。


 さらりとした黒髪をかき上げてやり、にフンとはならした。



「────役立たずめ」



『私』は少女にそう言った。

 そして少女の背中を踏みつけて歩き出した。決して振り返らなかった。『私』は少女が遠くなった頃に、一つ呪いを吐き捨てた。



『お前なんか生まれなければ良かったのに』



『私』は、あんな自分なんていらない。


 * * *


 地獄絵図──まさにその一言に尽きる。


 最近開設したばかりの駅前アーケード街は、それほど悲惨な有様だった。


 家電屋のショーウィンドウは割れ、展示されていた大型テレビは原形を留めることなく崩れ去り、青白い電気を放っている。

 飛び散ったガラス片は、周囲の人に容赦なく突き刺さり、レンガ風のタイルに真紅を添える。

 すぐ近くの服屋は、軒先に並べた流行りものの服を全て吹き飛ばされ、家電屋の向かいの土産屋は、掲げた看板が落ちて何人かを押し潰していた。その隣の飲食店では、電子看板が音を立てて燃えていた。


 混乱が混乱を呼び、辺りは一層騒がしくなる。

 泣き叫ぶ人や理不尽に怒り出す人。

 助けを呼ぶ人や呆然とする人。


 クラゲのように浮かんでは落ちる火の粉のなかで、雲のように漂う黒煙のなかで。

 人々の慌てふためく姿を、ざわざわとしか聞こえない声を。


 私はただ、じぃっと見つめていた。



 家電屋のショーウィンドウに、手を伸ばしたまま──



 自ら引き起こしたこの混沌を、ありの行列でも見るかのように。



「──つまらないな」



 私がそう呟いた時だった。

 ショーウィンドウを挟んで、私の隣に見知らぬ男が立っていた。


 現代でも大きいと思うほどに大柄で、真っ黒な着物が喪服のようだ。

 短い髪はあちこちにはねていて、その顔立ちはよく整っているが、目付きがやや悪い。

 口をへの字に結んだ仏頂面ぶっちょうづらで、彼は私を睨むように見ていた。


 少し薄暗くかすんだ、私と同じ山吹色の瞳には、私には無い正義感にも似た強い意志が宿っている。



「お前がやったのか?」



 男は単刀直入に聞いた。私は何も答えなかった。

 男はもう一度私に聞いた。今度は怒りがこもっているようだった。


「この惨劇さんげきは、お前が引き起こしたのか?」


 それでも私は答えなかった。

 しばらくして救急隊が駆けつけ、怪我人をこの場から避難させていく。人々は救いの手に涙を流し、縋り付く。──さも当たり前のように。

 私はそれを眺めてから、アーケード街の向こう、人の少ない住宅街へと歩き出した。


「おい! 待て!」


 男は私の背中を追いかける。私は振り向くこともしない。


 長髪のの警官が、私とすれ違った。

 私は聞き込みをする彼女に目を奪われた。



(──今、聴き慣れないがした)



 そう思った。が、思った直後に私は興味を無くした。だってそこに、感情も疑問も無かったから。

 少し離れて、警官と被害者の話し声が聞こえた。


「では、あの家電屋のショーウィンドウのテレビが爆発したんですね?」

「ああそうさ。急だったもんだから、驚いたよ」

「その時、近くに誰かいましたか?」

「いいや。朝から店を開いていたけど、爆発した時も救急隊が来る間も──」




「────




 警官はその証言に驚いていた。他の被害者も、皆揃って混乱したような表情をしていた。

 誰もいないのに爆発したテレビ。細工もなく、怪しげな人もなく被害があったなら、残る理由はただ一つ。

 当たり前のことだろうに。どうして皆は驚くのか。······馬鹿らしいったらない。



 私は亡者だ。

 死者が生者に、えるはずがないのだ。

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