ロリポップ・ウォーズ
ねこうどん
第1話 幽霊女とキャンディーなんとか
僕、兎田遼太郎は産まれた時から貧乏だった。
他人には同情されるけれど、
明日で14歳になるが、14年間で1日も貧乏でない日がなかったので、僕にとってはさほど過酷な暮らしではなかった。
小学3年生の頃、はじめて友達の家に遊びに行って自分の生活が人と違うと知った時も、そこにあったプレステやチョコパイや少年ジャンプがうちになくてよかったと思った。ある、から無いに変わってしまっていたら辛いかもしれないが、最初からなければ気が楽だからだ。
「暇だ、、、」
今日も学校から帰ると6畳ひとまの畳に寝転がり、天井を眺めた。
ガスコンロの上の真っ黒なやかんと、
その横のカップ麺の空き容器。カップ麺にはスープが残っていて、コバエが何匹か浮いていた。
学校に行ってる間に帰ってきた母親が食べたんだろう。自分の分も無いかと探したがあるわけがなかった。母親が自分の食事を用意してくれたことなど数える程しかない。特に中学に入ってからは、食事が用意されたことは1度もないのだ。
最近迷惑な成長期のせいで、とても腹が減る。給食なんてとっくに消化し終わった。
床には母親の服が散乱しているし、請求書と督促状とが至る所に落ちていて、僕が毎日寝転がっている1畳分しか生活出来るスペースがない。その一畳に置いてあるブラウン管テレビはもうとっくに映らない。部屋中がタバコと、生乾きと香水と、酒の匂いでいっぱいだ。
そんな我が家の娯楽といえば、天井の顔みたいなシミと、ずっと昔に母からもらったVHSしかない。しかし、VHSを再生する機械が壊れたので、今では固くて黒い塊を眺めるくらいしか使い道はない。
母からまだ小学校に上がる前に誕生日のプレゼントにもらった気がするのだが、はっきり覚えていない。覚えているのは擦り切れるほど見たその中身のアニメの内容だ。うさぎのキャラが冒険する話なのだけど、今でも一言一句、一挙一動、間違えずに言える自信がある。
ちなみに、その頃朝から晩までパートをかけ持ちしていた母は今、朝から晩までスナックをハシゴして毎日酔いつぶれている。
この前アパートの隣の部屋のおじさんがすれ違いざまに、
お前の母ちゃん、駅前のスナックで知らない男に谷間を見せて奢ってもらってたぞ、
と言ってきた。
なんで息子にそういうこと言うかな、と無視して通り過ぎると、
「お前も誰の子か分からないな」
と僕の背中に怒鳴った。
思い出して、首の辺りがゾワっとする。
「たらいまぁ!!」
玄関のドアが雑に開く。
起き上がって振り返ると、足がヘロヘロになった母親と、知らないお兄さんが立っていた。
でも生憎僕は、母親は知らないお兄さんを連れてくるものだ、ってことを知ってるのでなんの問題もなかった。「おかえり」といいながら横を通りすぎて入れ替わりで外へ出ようとすると、上機嫌の知らないお兄さんが、
「思ったよりでけぇガキなんだな、おい、お前、遠慮しないで見てけよ」
と、ケラケラ笑う。
「やぁだぁ、」
と、母親もケラケラ笑う。
だから僕もケラケラ笑って、扉を閉める。鍵をかけて、それをポケットに入れる。歩き出す。もうすぐ5時の鐘が鳴る。深夜まであてもなく散歩をして、帰るとまた母親はいない。安心して眠る。
毎日その繰り返しだ。
この生活を抜け出したいとは思わない、抜け出した先にある生活がピンと来ないからだ。経験したことがないし、図書館で読んだ色々な「幸せ」のフィクションも、自分に置き換えたら思い描けない。それでも、俺はとにかくお金が欲しかった。お腹が減るからだ。
暑いのも寒いのも平気だし、床で寝るのも平気だ。風呂がないのとお湯が出ないのは少し困るけど、水泳部に入ることでシャワーを自由に使えるようになった。
ただ、空腹だけはいつまでも慣れない。
この長い散歩で食べ物を手に入れられなければ、明日の給食まで何も食べられない。
もうすっかり住み慣れたあの家も、腹が減っている時だけ惨めに思える。1度くらい、三食腹いっぱいに何か食べてみたい。だけど中学生では働けるところはほとんどない、はやく卒業して働きたい、食べ物を買いたい。それが僕の唯一の願いだ。
「あれ?兎田くん?」
俯いて歩いていると、シャンプーのいい匂いがした。顔を上げると、学級委員長の菊池さんがいた。
「えっ、菊池さん?なんでこんなとこにいるの?」
驚く僕に菊池さんはくすくす笑う。
菊池さんは、いつものきっちり着た制服姿じゃなくて、白いトレーナーに軽そうな水色のロングスカートを着て、変なうさぎの形のリュックを背負って、スニーカーを履いている。いつも二つ結びの髪もおろして、なんだか大人っぽく見える。
「なんでって、こっちのセリフだよ。兎田君
の家、ここから随分遠いじゃん。ここ、私の家の前だよ、コンビニ行ってたの。」
コンビニの袋を顔の近くに持ち上げてにっこり笑う。
「あの、ぼーっと歩いてたから気が付かなくて、もう こんなとこまで来てたんだ。」
菊池さんの家は、この辺では結構有名な真っ白い大きな家だ。ピアノ教室をやっている。
うちとは反対方向で、歩いて30分以上かかる。たしかに夜に急に家の前に立ってたら引くくらいの距離だ。
それと、もう言わなくても分かると思うが、僕は女子と上手く話せない。沈黙が辛い。
「あの、大変だよね、最近、その、お酒売ってもらえないもんね。」
「お酒?違う違う、コンビニスイーツ買いに行ってたんだよ、ママがさテレビでマツコがパフェ食べてるの見て食べたいとか言い出して、ジャンケン負けたから私が買いに行ったの。酷いよね、自分でいけって感じ。」
宇宙語に聞こえた。全部頭の中をウニョウニョ通り過ぎていく。自分にとってコンビニは母に蹴られて酒を買いに行く所でしかない。だから、「最近年齢確認厳しい話」は結構渾身のあるあるだったのだけど、ないないだったみたいだ。
そんな知らないものを知らない人が食べて知らないルールでコンビニに行った話になんて返せばいいのか。
「酷いね」
と、やっとそれだけ言って、黙る。
女子と話すときは共感しとけって友達が言ってたからだ。
「あの、僕行くね」
と、やっとそれだけ言って、また黙る。
方向転換して走って帰ろうとすると、
「なんで、兎田君こんな時間に制服なの?」
と菊池さんが言った。
僕が答えるより前に、菊池さんはどんどん質問してくる。
「夜ご飯食べた?」
「なんか困ってるの?」
「私に出来ることある?」
「大丈夫?」
僕は走り出した。
「待って!」
菊池さんが逃げる僕の手を掴んだ。
「これ、あげる。」
と、何かを僕の手に握らせる。
「え?なんで?」
「いっぱいあるし、せっかく会ったし。あ、これほらスプーンも、持って行って」
そう言って菊池さんは白い大きな家に入っていった。ドアの向こうはオレンジ色に光って、テレビの音と、笑い声と、犬の鳴き声が聞こえた。
ドアが閉まり、手のひらに目を落とすと、プリンと透明なプラスチックのスプーンが右手に握らされていた。
プリンはひんやりしていて、なんだか豪華そうな長い名前が書いてあって、その下に250円とかいてあった。上にちょこんとのった生クリームが暗闇の中で光って見える。
それからまた少し歩いて、公園のブランコに座って、それを食べた。毒みたいに甘くて、舌がびっくりした。僕は、ブランコに揺られながら朝まで泣いた。
次の日、菊池さん家の近くの公園からそのまま学校に行った。朝練を終えて、プールサイドでシャワーを浴びる。
「兎田!兎田!」
金網の向こうから声がして振り返ると、林がいた。林は僕の小学校の頃からの友達で、女の子には共感しとけって教えてくれた良い奴だ。
「おはよう、林、どうした?」
「お前、今日放課後空いてる?!」
林が勢いよくスマホの画面を僕の顔に押し付けてくる。
「近すぎて見えないよ」
「ああ、ごめんごめん。兎田、キャンディードールって知ってるだろ?最近CMでめっちゃやってるやつさ」
「ごめん、テレビ見ないからわかんないや」
「まじかよ、ありえねぇ、絶対見たら分かるって!こういう、動物の形の鞄だよ。」
林が指さしたスマホの画面には、
色んな動物を模したリュックサックの画像があった。確かに見覚えがある。
「あ、これ、、、菊池さんがもってたかも」
「まじかよ、菊池ん家金持ちだもんなぁ、いいなぁ、、、ってか、学校には持ってきてないよな?何??お前、もしかして菊池と、、、」
にやにやする林を小突く。
「ちがうよ!昨日偶然会っただけ!で、何?そのキャンディー何とかって、ゲーム?」
「キャンディードールな、ゲームじゃないよ、鞄だよ鞄。今大ブームだぜ?」
「は?かばん?それだけ?動物型の?」
「そうそう!イカした奴はみんな持ってんのよ。でさ、それを今日無料で配布してくれるんだよ!しかも、場所が、そこの駄菓子屋!ありえないよな?こんな田舎の駄菓子屋だぜ?」
頭がついていかない。
「まって、林も欲しいの?これ?動物の形のリュックを??なんで?」
どう見ても、女子か、5歳くらいの子供が持つような鞄にしか見えない。これが中学生の、男子の間でも流行る?嘘だろ?
「なんでって、流行ってるからだよ。なぁ、兎田も一緒に貰いに行こうぜ。」
「いや僕はいいや、食べられないものだし」
言ってから、しまったと思った。
林はいい奴なのに、僕なんかを誘ってくれたのに、あまりにも興味がなくて、思わず断ってしまった。
「1人1個だからな、代わりに貰ってきてやらねぇからな!気が変わったら来いよ!」
林は少し寂しそうに笑って去っていった。
きっと、僕がおかしいとおもったあの鞄も、欲しいと思う方が世の中的には「ちゃんとしてる」んだろう。僕ももしテレビが家にあったら、ちゃんと欲しいと思えただろうか。
放課後、そんなことを思いながら歩いていると、林が言っていた駄菓子屋の前に、人だかりができていた。
「ほんとに流行ってるんだ、、、」
暇だから並ぼうと思ったが、どんなに考えても欲しくないのでやめた。無料でばらまくようなものだ、きっと売ってもお金にならないだろう。大体、中古ショップでものを売れるような身分証も持っていない。
人だかりを横切るのも、引き返すのも何となくめんどくさくて、駄菓子屋の横のボロボロのベンチに腰掛けた。
座ると朽ちた部分がパラパラ舞って少し綺麗だった。
君はあれ、欲しくないの?
突然隣から声がして、そちらを向くと
綺麗な女性が隣に座って微笑んでいた。
胸元がざっくり空いた白いニットにタイトスカートを履いている。この辺じゃ見ないようなオシャレな茶髪で肩くらいの髪がクルクルしている。
目のやり場に困りながら、僕が
「欲しくないです」
と答えると、女性は目をキラキラさせた。
「ええぇえ!こんなに流行ってるのに?欲しくないの?ほんとに??やだ、ときめく〜!かわいい〜!逆に天才みたいな、逆に素質あるみたいな、反骨心?ミーハーじゃない感じっていうの?ときめくわ〜!」
女性は勢いよく喋りながら、ゴソゴソと床に置いた紙袋から何かを取り出して、僕に差し出した。
「しってる?流行りって言うのはね、お金と権力さえあればいくらでも操作できるのよ?かっこいいとかかわいいとか、おいしいとかまずいとか、自分だけで判断できるほど人間はシンプルじゃないからね、だけど私、君のそのシンプルさって、めちゃくちゃにときめいたの。」
差し出されたのは、すぐそこで配布されている、うさぎの形の鞄だった。キャンディーなんとかだ。女性は、いりません、と僕が言うより早く、僕の耳元で囁いた。
「私は、君にベットするね」
そして、鞄を勢いよく僕の胸に押し付けて、女性は駄菓子屋の前の人混みに飛び込んで消えた。
僕なんかの手に渡ってしまったキャンディーなんとかは心做しかしょんぼりして見えて、
仕方が無いので家に持ってかえったが、やっぱり背負う気はしなかったので、明日、林にやろうと決めて、通学鞄に押し込んだのだった。
次の日、昨日のようにシャワーを浴びてると、昨日のように林が話しかけてきた。
黒いヒョウの形をしたキャンディーなんとかを背負っている。
「もらえたのか、よかったな。」
「ああ!かっこいいだろ!」
「そんな林に朗報だ、もう一個やる」
僕が昨日貰った鞄を差し出すと、
林はにやにやした。
「なんだよ、結局お前も貰いに行ったんじゃないか」
「行ってないけど、貰ったんだよ、要らないから林にやるよ」
「いらないって、、、まじかよ!いいのかよ!でもほら、1回ぐらい背負えよ!一緒に写真撮ろうぜ!」
写真を撮ってどうするのか、と思ったが、昨日のように林を傷つけるわけにはいかない。
体を拭いて制服に着替えると、キャンディーなんとかを背負って、林の隣に行こうとした。
次の瞬間、
「当たっちゃったみたいだね、ハッピーラッキーだ!☆」
アイドルみたいなワンピースをまとい、うさぎの耳を生やした女の子?のようなものが現れた。
空中に。
半透明の。
「うわあああ!!」
思わず叫んで尻もちをつく。
どうした?と林が言っている。林には見えてないようだ。
空中に浮いているその半透明の足元は自分の背中の方に伸びていて、恐らくこの変な鞄から出ているらしい。
「ほらぁ、写真撮るんでしょう?あんまり待たせると林くん、困ってるよ?」
何故か半透明に急かされて林の元に向かった僕は、半透明が出ているそれを前に抱え直し、半透明が出ているままで写真を撮った。
混乱する僕をよそに、これ、インスタにあげていいか?と嬉しそうな林。見せられた写真にもこの変なものは写っていない。
「ねぇねぇねぇねぇねぇ、写真終わったなら喋ろうよー!ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ!」
「うるさい!!」
思わず声を荒らげると、林が不思議そうにこちらを見た。
「あ、いや。違うんだ、ごめん。あのさ、林、この鞄、僕やっぱり自分でもってていいかな?」
こんなやばい鞄を林にあげる訳にはいかない。少しの沈黙の後、林は嬉しそうに、
「おう!なんだよ、背負ったらほしくなったのか?よかったよ!今日からお揃いだな!」
と言った。
感動している横で、謎の半透明女は
「ねぇねぇねぇねぇねぇ、かまってかまってかまってかまって!」
とひたすら言っていた。これ、どうすればいいんだ。幽霊だとして、こんなにやかましい幽霊なんてきいたことないし、こんなに喋られるともう逆に怖くない。
ただ、不思議で、ただただ邪魔だ。
困った僕は隣のクラスの林と別れたあと1時間目の前に、うるさいその幽霊ごと、キャンディーなんとかを男子トイレのゴミ箱に押し込んだ。
教室に戻ると、いた。
さっき捨てたはずのキャンディーなんとかと、それから出てる半透明の女が。
ふくれっ面の幽霊は、僕を睨むと、プイッと顔を背けた。
「せっかくせっかくあたりなのにさ、捨てるとかありえないし、最低」
「お前、一体なんなんだ?あたりって?」
「最初からきいてくれればいいじゃん!」
「いや、お前が急に出てきたんだからお前から説明すべきだろ!」
「頭かたーい、誰かさんみたい、モテなそー」
幽霊に罵られイライラしていると、
担任が教室に入ってきた。
僕は幽霊を鞄に押し込んで「静かにしてろ!」と言った。幽霊はすっかり拗ねて僕を無視した。
「みなさん、静かに。お知らせがあるので、少し早めにホームルームを始めます。実は、私、子供を授かったので、この度産休と育休をいただくことになりました」
少しクラスがどよめいてから拍手がおこる。お調子者がおめでとーと言っている。
「ありがとう、私がいない間代わりの先生を紹介します。」
入ってきた女性をみて、驚いた。
まさに、今、僕が困り果てている妙な鞄を僕に押し付けた、あの女性だったからだ。
「三毛里 マリです、よろしくね!」
新しい先生の美人さにクラスが盛り上がっている中、三毛里は僕に気づきにっこり笑って言った。
「ほらね、私のギャンブル魂って信用出来るわ!」
「ギャンブル?」
困惑した顔の担任に、「いいえ、なんでもないです」と爽やかに返した三毛里は、再び僕を見つめる。次の瞬間、自分の腕時計を外し、信じられないスピードで僕の横の窓に向かって投げた。
パリン!とかわいた音がして、僕のすぐ横で窓ガラスが割れた。女子の悲鳴がきこえてすぐ、三毛里が謝る。「ごめんなさい、私虫が苦手で、、、そこにいたから、、、つい」
唖然とする担任に、もう一度謝ってから、
三毛里は僕に「怪我はない?」ときいた。
教卓から見えるような大きな虫なんていなかった。何より、投げる動作の速さ、投げる力、そして、今の笑顔。
僕を狙って投げたんだ。鳥肌がたった。
何故か僕は三毛里に命を狙われているのだ。
「なんなんだよ、、、」
放課後、クラスメイトが全員部活に行ったあと僕は机につっぷしていた。僕も部活に行かなければいけないが今朝から意味がわからないことばかりおきて、酷く疲れた。
意味わからないことその1の、幽霊が入った鞄をつついて話しかける。
「なぁ、あの三毛里ってやつがお前を僕に寄越したんだよ。なんで僕を攻撃したんだ?何か知らないか?」
カバンの内側からドスッと鈍い音がする。
「教えて欲しかったらいっぱいいっぱい謝って!!」
まだ拗ねているらしい。
次会ったらホントに殺されるんじゃないか?
憂鬱なため息をついて机に突っ伏す。
割れた窓の外から運動部の掛け声がきこえてくる。しばらくすると、教室のスピーカーが鳴った。
「2年2組、兎田遼太郎君、至急職員室まで来てくださーい」
三毛里の声だった。
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