くちづけ?

 しばらくは、他のカップルと同じように、手を取り合って通路の両側にある水槽を眺めながら歩いてゆく。


 この様子なら、『初めてのデート』も何とかうまくいきそうだ。そんなことを考えていたところに突然、慌てた様子の数葉に、反対向きに腕を引っ張られた。


「な、何事!?」

「……さ、魚が……しゃかなが……ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅうううぅぅ……」

「落ち着け」

 数葉の視線の先にあるのは小さな水槽と、その中で泳ぐ十数センチほどの薄いピンクの魚。

 そのうちの2匹が向かい合い、まるで恋人同士のように大きく開いた口を押し付け合っている。


 ああ……これかあ……。


「これは求愛行動とか配偶行動とかそういうのじゃないぞ。両方ともオスだ」

「……えっ……? BL……?」

 なんでそうなる。


 この魚、名をキッシンググラミーという。名前で見当がつくかもしれないが、日本には生息していない淡水魚で、確か東南アジアのほうが原産地だったはず。熱帯魚ショップに行くと、たまに売っているのを見かける。


「いや縄張り争いだよ、これは。っていうか、BLボーイズラブとか興味あったの?」

 オタクなのはよく知ってたが、腐女子の方は知らん。

 なお俺は女性恐怖症であるが、だからといって男色に走るつもりもない。


「……わ、私は……BLよりNLノーマルラブのほうがいいな……」

 こっち見んな。


 いやまあ……。

 昔はクラス中の女子からいじめられていた身としては、そういう対象として見てもらえるだけでもありがたい話ではあるんだか……。

 どうも距離感とかいうやつががよくわからん。


 やれやれ……。


「魚のキスシーンなんかでこれだけ動揺してるようじゃ、二人で恋愛映画とか見に行けないじゃないか」

「……えっ?」

 おっといかん。声に出てた。


「……えっ? えっ? 今……」

「ここはもういいだろ。次に行こう」


    ◆


「……ところで、ラノベ執筆の話だけど」

 ここは、順路の途中にいくつか設けられている休憩スペース。

 俺一人なら歩きっぱなしで水族館一周なんてよくある話だが、体力のない数葉ではそうもいかんだろう。デートとか初めてだからよくしらんけど。


 それなりに混雑はしていたけど、比較的空いているスペースを見つけ、並んで腰を下ろす。


 それで何を話そうか、などと考えていたら、先に数葉の方がそんなことを言い出した。


「え? あのラノベ書く話って、今回の水族館行きのためのネタ振りじゃなかった?」

「……最初はそうだったけど、色々ゲンの話を聞いているうちに、興味が湧いてきた」

「…………」

 いやこれ、また面倒くさいやつじゃ……。


「で、今度は何の話を書くつもりなんだ」

「……浦島から生まれた浦島太郎」

「桃から生まれたみたいに言うなよ。でも浦島太郎のことは、この前ほとんど語り尽くした……はず」

「……ほとんど? ……はず?」

 また細かいところに気が付くなあ。


「そう思ってたんだけど、今日大水槽の魚を見ていたら思ったことがある」

「……それは……?」

「前にもいろいろ話したけど、とんでもない見落としをしていることに気付いた。竜宮城では、ある重要なものが手に入らない可能性がある」

「……お米とか、卵」

 なぜそこまでして卵かけご飯にこだわる?


「いや確かに、農産物や畜産物は海中では生産できないだろうけどさ。もっと根本的なものだ」

「……それは?」

「水」

「……み、みず?」

「ミミズじゃないぞ」

「……わかってる」

 それはさておき。


「海の生き物だって塩分の影響をまったく受けないわけじゃない。普通に海水を飲めば、浸透圧で体の水分が吸い出されてしまう。だから、魚たちは塩分を尿として排泄し、海亀は目の後ろにある塩類腺から塩分を排出している。クジラやイルカは海水を飲まずに餌から水分をとり、爬虫類のウミヘビは海上に降る雨を飲んでいるという説がある」

 数葉はそれを黙って聞いている。

 正直、自分でも考え過ぎの気もするが、考えだしたら自分でも止められないのだ。


「乙姫たちが人間とは別の、海洋生物由来の生き物なら海中でも水分を得ることができるが、それのできない太郎は数年の結婚生活どころか、数日の宴会すら……」

 そういや数葉が、こんなバッドエンドは嫌って言ってた気がするな。


「この辺は、思い付いたばかりで考えがまとまってないんだが……」

「……ねえ」

 思考の迷路に嵌まりかけた俺を、数葉が呼び戻す。


「……乙姫たちも、太郎と同じ人間、という話はないの?」

「え……?」

 そういえば、乙姫たちはずっと人外だと信じて疑わなかったが……。

 確かにそれなら、乙姫と結婚とかいうのは、スムーズにいきそうな気はするが。そういうのが、数葉の好きな、というか書きたい物語だったりするんだろうか。


「玉手箱とか、時間経過とか、その辺りのことを考えると、人間の領域を超えてる気がするんだがなあ」

「……じゃあ、一緒にストーリー考えよ?」

「ストーリーって、投稿サイトとかに上げるやつ?」

「……ん……二人の、初めての共同作業」

「ケーキ入刀か! 実質二人だけの部に一年以上いて、何の共同作業もない方がおかしいだろ」

 それにあれは、結婚後初めてとかそういうのじゃなかったか?


「……じゃあ、二人の初めての共同作品」

「仕方ない。また今度の部活の時に……」

 ううん、と数葉は首を横に振る。


「……勘だけど、ここの水族館から、何かのヒントが得られそうな気がする」

 勘とか言われてもなあ。


「それこそ、魚に気を取られて数葉のことを忘れるかもしれないぞ」

 それは、今回の水族館デートにあたり、俺が以前から心配していたこと。


「……今日は、それもやむなし」

 いいのかそれで……本当に?

 いや、さすがにそれはまずかろう。デート中くらい数葉に集中させてくれ、なんて気障な台詞は吐けないが。


「とにかく、俺が自分の世界に入りそうになったら、呼び戻してくれ」

 もう一度、こちらから数葉の手を取って歩き出す。俺もちゃんと、気を引き締めないとな。

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