沖浦数葉の創作メモ -浦島太郎のウラ話-

広瀬涼太

浦島太郎の正体

「……ねえ、浦島太郎って知ってる?」


 ある日の放課後。

 俺が部室として使っている生物室にやって来た沖浦おきうら数葉かずはは、例によって唐突に妙なことを言い出した。


 少しウェーブのかかった黒髪のショートカットは、本人に手入れをする気がないのかよく寝癖が残っている。長さの揃っていない前髪からかろうじて覗いているその目は、いつも眠たげだ。

 一応と言っては失礼だが、いわゆる美少女の範疇、むしろレベルの高い部類に入ると言っても過言では……うう……何かこっちが恥ずかしくなってきた。

 ただ、この数葉の場合、その成績の良さや人付き合いの悪さと、今のようにしばしばやらかす奇行で、皆から近寄りがたい存在となっている。


 さすがに高校二年にもなって、浦島太郎も知らないなんてことはないと思うが……。


「俺の知ってるのと、数葉の知ってるのが同じとは限らんけどな」

「……最近初めて読んだけど、なかなかおもしろかった」

「いや待て。どうやって十七歳まで浦島太郎を知らずにこの国で生きてきたんだ」

「……話せば超長くなる」

 ライトノベルなんかによく出て来る、台詞せりふの始めに三点リーダが入っていそうな抑揚の少ない口調。

 普段はクール系というかダウナー系というか、表情はほとんど表さない。というか、感情表現が下手、慣れていない、という感じなのだ。


 まあ、俺も人の事は言えないが。


「いや、数葉の話はいい。それで、そもそも何で浦島太郎?」

「……小説のネタ」

 こう見えてこの人、結構なオタクでもある。

 本人は『マンガ・アニメにも造詣が深い』などと供述していたが。


「そういえば、何かネットに投稿するとか言ってたな。確か、『小説家に』……何だっけ」

 何だか長い名前のサイトだった記憶がある。


「……『小説家になりたかった俺は異世界に転生しようとしたけどできなかったのでこの世界でライトノベルを書いてみることにした』」

「それサイト名!?」

 想像以上に長かった。


「……略して、『小説家はみた』」

「そこの小説家は家政婦か何かか」

 いいのか? 略称それで。


「しかし……数葉に小説なんか書けるとは思えんのだが……」

「……大丈夫。問題なし」

 数葉は、非常に高い記憶力――本人は完全記憶パーフェクトメモリーと、高二にもかかわらず中二病めいたことを言っている――と機械並みの計算能力を誇っており、理系の科目は大得意である。

 が――。


「いや、この前の現代文のテストもおかしなことになってたじゃないか」

 文系、特に人の心なんかに関する分野では、斜め上とか明後日あさっての方向とかですらない異次元の解答を叩き出したりする。


「で、浦島太郎の話だが」

「……他の昔話と一線を画する壮大なストーリー。散りばめられた数々の謎。まさに日本最古のSFと言っても過言ではない」

 あながち間違いでもないのが、逆に困る。


「ちょっと大げさすぎないか」

「……すぎない」

 数葉は何やら真剣な目でこちらをにらみながら、思いつめたような口調で断言する。


 あー……。これめんどくさい奴だ。


「……謎がいくつか、未解決のまま残されている」

「謎?」

 だいたい予想はつくが、聞いとかないとかえって後が大変なんだよな。

「……なぜ浦島が地上に帰ってきた時、数百年が経過していたか。なぜ乙姫は太郎に玉手箱を渡し、そしてなぜ太郎は老化したか。そもそも乙姫とは、竜宮城とは、玉手箱とは何か」

 やっぱりめんどくさい奴だった。


「こう言っちゃあ何だが……おとぎ話にそんな考証を持ち込むのは野暮やぼってもんじゃないか」

「……むーーー……」

 そう言って俺は話をそらそうとするが、数葉は頬を膨らませて憤慨する。

 マンガなんかではよくある表現だが、実際やってる人は初めて見た。

 これ、指でつついたら何かの罪に問われたりするだろうか。


 なんか最近、表情豊かになってきた気がするな……。


「というわけで、こっちはデータ整理にもどるぞ」

「……データ整理?」

「校庭でみられる生物の確認記録」

「……おのれ、私が虫嫌いと知っての狼藉ろうぜきか」

 どこの武士もののふだ、おまえは。


 数葉の言うとおり、校庭でみられる生き物なんて主に昆虫とかクモだったりするが。

 いずれにせよ、今やってることは俺が以前所属していた生物部と変わらない。


 昨年、高一の一学期も終りに近くなって、突如行われた部活動の統廃合のせいで、同じ『理数部りすうぶ』なんていう部に放り込まれて、色々と絡まれるようになったわけだ。


 部の統廃合は部員の少なさが原因であって、決してさぼっていたからじゃないぞ。

 まあ、統廃合直後は、俺の女性恐怖症と数葉の虫嫌いでえらいことになったわけだが。


 それはさておき、数葉の方だって元・数学部としてやることがあるはず。

「そっちも、いつものプログラミングでも……」

「……きゃっきゃする」

「え?」

 人の話をさえぎって、よくわからんことを言い出した。


「…………きゃっ、する」

「また妙な噛み方したな……」

 要するに、今の話を続けろと。


 しょうがないなあ……。

「じゃあ俺も少しだけ、野暮な事を言ってやろう」

 ため息をひとつついた後、腕を組みつつ数葉に向けて宣言する。


「浦島太郎の物語は、たしか古くは日本書紀にも書かれていたはず」

「……うん。ある程度形になったのは室町時代の『御伽草子』だけど、奈良時代の日本書紀や万葉集にも出てくる」

 最近初めて読んだにしては詳しいな。小説のネタとかいう時点で色々調べたんだろうが。


 この沖浦数葉という同級生は、いわばリアルでチートスキル持ちであり、理系分野においては驚異的な成績を誇っている。

 別に対抗するつもりはないが……敵わんなら敵わんで他にもやり方はある。


 まあ、そのせいで部活の最中によくこうやって邪魔をされるわけだが。


「つまり、その時点ですでに太郎が帰って来たときに七百年の時間が経っていた、という記述があるわけだ」

 本によって、三百年という説もあったと思うが。

「……あ」

 そこで数葉の方も、俺の言いたいことに気付いたようだ。


「すなわち浦島太郎とは本来、その時代よりもさらに七百年以上前の人物ということになる」

「……まさかの浦島太郎弥生人説」

「いや、まさかってほどでもないだろ」

「…………」

 俺の話を聞いて、数葉は視線を机の上に落とし、そのまま動かなくなった。


「まあ、奈良時代の人間にしてみれば、自分たちの生まれる数百年前なんて想像もできないだろうし、遥か昔から未来まで、ずっと同じ奈良時代が続くと思ってたんじゃないかな」

 影になったその表情からは、相変わらず何を考えているのか、ほとんど読みとれない。

 俺の話を楽しんで聞いてくれているのか。

 それとも、突拍子もない展開に引いてしまっているのか。


 ……わかってるだろ、俺がこういう性格だって。


 どれほど沈黙が続いたか。ようやく数葉は視線を上げ、俺に向かって口を開いた。


「……続けたまえ」

 えー……。まだやるの?

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