第6話 八年前の因縁

 プリュスから厳しい視線を向けられた誘拐犯──八年前からの因縁がある男・ベイガルは、再度彼女に問い詰められていく。


「……どうしてその女性は、縛られた状態でこのような環境下に放置されているのです? 貴方も理解しているはずですよ。このダンジョンの特性を……!」


 近くの木の裏に隠れて様子を窺うザインとフィルも、プリュスと同様、地に伏すエルの身に起きている異変に気付いていた。

 しかし……


「聖騎士のプリュス様……でしたっけ? このお嬢ちゃんは俺の探索者仲間でね。ちょいとオイタをしでかしたもんだから、こうしてお仕置きさせてもらってるんですわ」


 ベイガルは全く動揺せず、平然とそう言ってのけたのだ。


(エルがお前の仲間だと……⁉︎ 相変わらず平気な顔をして、こんなとんでもない事をしてるのか!)


 再び込み上げる怒りによって、それを必死に抑える拳に力が入るザイン。

 けれども、プリュスからの合図はまだだ。

 ザインは荒くなる息をどうにか小さく留めながら、事の成り行きを見守る。


「仲間に、お仕置き……ですか? これだけ花粉が飛んだ……空気の色まで変わってしまっている、明らかに異常な状況下で?」


 流石のプリュスも、声色に怒気を滲ませていた。

 それも当たり前だ。『マドワシスズラン』の花粉によってエルが誘導されれば、彼女が魔物の餌食になる確率が圧倒的に高まってしまうのだから。

 プリュスは眉間に皺を寄せた険しい表情で、ベイガルに続けて質問を投げ掛ける。


「貴方は『マジックバンダナ』を装備しているというのに、彼女には何の防御手段も与えず地面に転がす……。それが貴方の言う『お仕置き』なのですか……?」

「ああ、そうだとも」

「この花粉を吸い込み続ければ、彼女の意識はこの奥に潜むダンジョンマスターに乗っ取られてしまいます。それは最早……彼女に死ねと言っているのと同義であると受け取りますが」

「それだけの事をこの子はしたんだよ。だが、俺がこうしてここで見張っているだろう?」


 だからエルが魔物の元へ行くような事は無い──と、ベイガルは言葉を続けた。

 しかしこのベイガルという男は、知識の浅い新人探索者ばかりをターゲットにした卑劣な単独犯であったはずである。

 あれから八年の時を経た今、自由気儘な単独行動から部下を率いた組織のリーダーとなった理由は……未だザインには分からない。

 けれども、ベイガルがしている事の本質は全く以って変わっていなかった。

 新人探索者を狙い、人質を取り……恐らく今回は、見目のいいエルを奴隷として売り飛ばそうとでもしているのだろう。

 それを助けに来たフィルもついでに捕らえ、誰にも知られずに利益を得ようとしているに違い無い。

 その考えに至ったのは、ザインだけではなかった。


「……左様ですか。分かりました」

「分かってくれたか! そうそう、だから聖騎士様はこのまま大人しく──」


 チャキ……という小さな金属音が、プリュスの鞘から剣が抜かれた事を周囲に知らせる。


「──では、遠慮無く貴方を捕らえる事が出来そうです」


 その動作を合図に、フィルが右側の木陰からベイガルの前へ飛び出した。

 それを見たベイガルは目を見開き、


「なっ、お前は……⁉︎」

「姉さんっ!」


 ここまでしっかりと体力を温存していたフィルは、ベイガルが止めるよりも早くエルの元へ駆け付ける。

 しかしベイガルはプリュスの企みに気付き、地面に突き刺していた斧を引き抜いた。


「クソッ、俺をハメやがったな聖騎士ぃ!」

「させません!」


 すかさずプリュスが剣を首筋に突き付け、ベイガルは斧を掴んだだけの無防備な体制で硬直せざるを得なくなった。

 悔しげに顔を歪めるベイガルに対し、プリュスは一層鋭い目を向けたまま警戒を続けている。

 その間にフィルは剣でエルの縄を斬り解き、すぐに手持ちの解毒薬を彼女の口元に運んだ。


「姉さん、助けに来たよ……!」

「フィ……ル……?」

「ほら、これを飲んで!」


 朦朧とした意識の中、エルはされるがままに小瓶の中身を喉に流し込んでいく。

 フィルはある程度解毒薬を飲んだ事を確かめてから、彼女の耳元にそっとを小声で伝える。

 だがしかし、そのまま黙ってエルを手放すようなベイガルではない。

 ベイガルはプリュスと睨み合ったまま、ニタリと唇を歪ませた。


「……『瞬そ──」


 ベイガルの所有スキル『瞬足』。

 それは目にも止まらぬ速度での移動を可能にする、八年前にも見せた彼の逃走術の正体である。

 そのスキルを発動しようとスキル名を口にした……否、ベイガルの『瞬足』は、最後まで言い切る前に、別の声に遮られた。


「──『封印』‼︎」

「くっ……うぐぁっ……⁉︎」


 何故か不発に終わったベイガルの『瞬足』は、解毒薬によって花粉の効力から解放されたエルの『封印』によって見事に妨害されたのだ。

 そうする様に指示を出したのは、フィル──に予めエル宛てに伝言を頼んでいた、ザインであった。

 誘拐犯がどのような相手であれ、スキルを封じるのは有効であると考えていたからだ。


 何はともあれ、見事にその作戦は成功した。

 本来であればスキルによってプリュスの横を突っ切るつもりでいたベイガルは、予想外の事態に対応出来ず、無様にバランスを崩して思い切り地面に転げていた。

 その隙を見逃すプリュスではない。

 彼女は素早くベイガルの背にのし掛かり、携帯していた首輪を手際良く装着させた。


「これでもう貴方はスキルも魔法も使えません……! 何が貴方の仲間ですか! 彼女は……エルさんはフィル君の弟さんで、ザイン君のお仲間です! 貴方のような犯罪者の仲間であってたまるものですか‼︎」


 再びプリュスは背に跨ったままベイガルの首に剣を突き付け、身動きが出来ないよう牽制している。

 するとベイガルは、プリュスの口から飛び出した名前にピクリと眉を動かした。


「ザイン……ザイン、だと……?」

「その名前に覚えがあるみたいだな、……?」


 無抵抗に地面にうつ伏せで押し付けられているベイガルの前に、ようやくザインは姿を現す。

 ベイガルは首を捻り、声の主へと顔を上げ……驚愕に目を見開いた。


 見覚えのある赤い髪。

 手に握られた、美しい装飾が施された緑色の弓。

 そして、真っ直ぐな目をした茶色い瞳。

 それらの特徴、更には聞き覚えのある──ベイガルにとっては、忘れたくても忘れられない敗北の記憶を呼び起こす、その名前。


「お、お前、は……!」

「こうして会うのは八年振りだね。まさか今もあの頃と同じ事をしているとは思わなかったよ」


 声を震わせるベイガルに、ザインはどうにか冷静さを意識しながら言葉を続けていく。


「……一人で居るのが好きだって言ってたはずなのに、どうして今は部下なんて作ってるんだ?」


 ザインからの問いに、ベイガルの表情はまたもや曇る。

 幼少期にこの男の口から語られた話が事実であれば、ベイガルは元は傭兵団で働いており、そこでトラブルが起きて抜けてしまったはずだった。

 人間関係が面倒だと感じていたはずのこの男が、何故大勢の仲間を率いて行動を共にしているのだろうか。





 首輪の力でスキルと魔法を封じられたベイガルは、ロープで手脚を拘束された状態で、地べたに座らせられた状態。

 それを取り囲むような形で、ザイン達はベイガルの退路を封じている。

 花粉の効果を解毒薬で克服したエルはというと、プリュスが予備で持参していたバンダナをしっかりと装備しているので問題は無い。


「さて、改めてザイン君の質問に答えて頂きますよ?」


 仁王立ちで見下ろすプリュスに促され、ベイガルは俯きながら語り始めた。


「そのボウズの……ザインの小僧の義理の母親との一件で、俺はしばらく初心者狩りは辞めにしてたんだ。もう銀糸のエルフを相手にするのは勘弁だったからな」

「初心者狩りだなんて……そのような言い方は、礼を欠く発言ですよ!」

「す、すまねえ……! いや、まあその……つまりはこういう裏稼業からは足を洗おうとしてたんだよ」


 プリュスにピシャリと叱られ、ビクリと肩を震わせるベイガル。


(洗おうとしてた……って事は、真っ当な生き方には戻れなかったんだよな。現にこうしてエルに手を出した訳だし)


 ベイガルはプリュスやザイン達の顔色を窺いながら、恐る恐る話を再開する。


「……でもよぉ。一度覚えちまった蜜の味は、どうしても忘れられなかったんだ。確かに若い頃の俺は、他の連中と組むなんてまっぴらだったさ。だがな……俺がチームのボスになっちまえば、トップの人間に媚び売る必要なんて無えって事に気付いちまったんだよ」


 その事が頭を過ってしまった途端、ベイガルは再び探索者達から金品を巻き上げる快感とスリルのとりこに逆戻り。

 一度懲らしめられたガラッシアとの遭遇を避けるべく、王都から離れた地域で悪行の数々を繰り返していたのだという。


「そうしている内に手下が増えて、人数分の金を手っ取り早く簡単に巻き上げるなら、やっぱり王都の近くが一番だったんだ」

「……ここ最近の王都での行方不明事件も、お前達が関係していたのか?」

「ああ……若い女や、労働力になりそうな男を俺のスキルで瞬時に襲って眠らせて、巻き上げるだけ巻き上げて奴隷商に売っていた。そのお嬢ちゃんと弟のボウズも、同じように売っ払うつもりだったんだ」


 ベイガルの下劣な発言に、ザイン達はそれぞれ嫌悪感を顔に出す。

 この八年の間に、ベイガルは人身売買にまで手を出すようになるまで落ちぶれていた。

 その毒牙が、危うくエルとフィルにまで及ぶ所であった事。

 そして、既にベイガル達によって誰かが奴隷として売られてしまったという事実に、胸を痛めずにはいられなかった。


「……売られてしまった方々は、どこの奴隷商に売り渡したのです?」

「……それは言えねえ。言ったら俺も手下達も、全員纏めて殺されちまう」

「投獄されれば、その奴隷商に命を狙われる心配は無いんじゃないのか?」


 ザインの言葉に、しかしベイガルは首を横に振って否定する。


「いや、それでも無駄だ。あいつの影響力は強大だ。王国内部にまで情報網を張ってやがる。……少しでもバラせば、俺達の頭と身体が離ればなれにされちまうよ」


 けれどもその情報は、それだけの莫大な金を生み出せる奴隷商が影に潜んでいる事の証明でもあった。

 プリュスはそれを聞いて、納得したように頷いて言う。


「……ひとまず貴方と地上の部下達の身柄は、自分が拘束させて頂きます。貴方達を王都に連行した後、然るべき裁きを受けてもらわねばなりません」

「ああ、それで構わねえよ。命あっての物種だ」


 諦めたように、だがどこか安堵を滲ませるベイガル。

 プリュスは聖騎士専用の連絡ツールで呼んだ応援の騎士の手を借りて、宣言通りに誘拐犯の一味を全員王都へと連行した。

 ザイン達も探索者バッジで『スズランの花園』を脱出し、既に日が高く昇っていたイスカ大草原へと帰還したのだった。

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