お手本はどこ?

@araki

第1話

「今日は戦争を題材にしよう」

 僕は意気込んでそう告げた。机の上には太平洋戦争に関連した本が何冊も並べている。とりあえず資料には困らないはずだ。

 けれど、香澄は不満げだった。

「もうちょっとテーマを絞ってよ」

「なんで? これ以上なくシンプルだと思うけど」 

「映画とかだったら多分充分でしょうね。だけど、小説の場合はまだ視界がぼやけてる」

 香澄は鉛筆を手に取ると、ノートにいくつかのワードを書き付ける。『アクション』、『ドキュメンタリー』、『ロマンス』、『ミステリー』。これがどうしたというのだろう。

「ぱっと思いつくのはこれくらい。戦争はあくまで舞台で、そのうちのどこに焦点を絞るか。それを決めてほしいの」

「なら、アクションで」

「却下」

 香澄はにべもなく『アクション』にバツを付ける。そういえば彼女の小説でアクション主体の話を読んだことがない。もしかして苦手なのだろうか。

「じゃあ、ドキュメンタリーかな」

「それじゃこんな量の資料じゃ足りない。というか生の声が聞きたい」

「経験者を連れてこいって? 無理だよ」

「あんたんちの婆ちゃんは?」

「あの人は五〇年生まれだから戦争は経験してない」

「そっか。ならこれも駄目ね」

 そう言って、香澄は『ドキュメンタリー』にバツを付ける。するとなぜか横の『ロマンス』にも同じマークを書いてしまった。

「それじゃ消去法でミステリーかな。内容は――」

「ちょっと待って。なんでロマンスも消したの?」

「えっ? 当たり前じゃない。生の声が聞けなきゃ色恋沙汰なんて書けるわけない」

 今さら何を、といった表情をする香澄。けれど、僕にはむしろそれが疑問だった。

「別にリアルに尋ねる必要はないでしょ。想像で書けばいい」

「戦時中には戦時中の恋愛模様があるの。それを知らなきゃ――」

「書けない? 本当にそうかな」

 確かに、戦争という状況の中で避けては通れない事情や感情はあるだろう。けれど、

「僕らはどうしようもなく個人だ。全ての人がテンプレートな恋愛をしてたとは限らないでしょ?」

「……そもそも恋愛なんてよく知らないし」

 香澄から先までの威勢が急に消える。やはり書く自信がなかったらしい。

「これはあくまで訓練なんだ。スミの好きに書けばいい」

「どう書けばいいか分からないの。経験ないから」

「どうして?」

 僕は首を捻る。別に困る必要はないはずだ。だって、

「僕らはこうして話してる。それで充分でしょ?」

「……知らない」

 机に顔を伏せてしまう香澄。僕は思わず苦笑を漏らす。執筆開始は少し先になりそうだ。

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