きんのさじ 下巻
かつたけい
プロローグ
「
グレーのジャージを着てピッチ横で腕組みをしている
電撃を浴びたのは、
ボールを持ったあとの動き出しが、監督の考えと食い違っていたためだ。
「お前は技術力がピカイチなだけやぞ。やれいうこと出来ひんやったら、足を引っ張るだけやないか。そんなんいらんわ!」
三十一歳、と優とさほど年齢の変わらない、元フットサル男子日本代表の監督である。
足首の怪我が原因で現役を引退後、FWリーグから声がかかりファルカリーナ亀岡のコーチとして就任。翌年に監督を経験し、そのシーズンが終わると同時に女子日本代表のコーチに呼ばれ、そして一年で代表監督に。
当時FWリーグで弱小のファルカリーナ亀岡を初の年間順位三位に導くなど、指揮能力や育成能力の高さが認められたのと、他の代表監督候補が契約上の折が合わなかったなど、運もあって異例のとんとん拍子であった。
でも代表入閣の声がかかった時、彼はさぞかしびっくりしたことであろう。びっくりというより、「どうしよう」という、やりにくさを感じたという方が正しいか。
世間一般の認知度としてフットサル女子日本代表といえばすなわち佐治ケ江優であるが、小野隆道はその佐治ケ江優と、アスリートのトップ中のトップとして雑誌の企画で何度か対談をしたこともある仲なのである。
それどころか、個人プロフィールの尊敬する選手の欄に「女子の佐治ケ江優選手を尊敬してまーす。上手だしかわいいしい」などと書いていたくらいなのだ。
代表監督といえば罵詈雑言を浴びせるのが一番の仕事なのに、威厳もへったくれもないというものであった。
しかし、というよりもだからこそか、彼は優に対して就任時に意を決してきっぱりと伝えてある。
「あなたはキャプテンやし、だからぼくは佐治ケ江さんのことを一番きつく叱ると思います」
と。
まだ小野監督指揮下での対外試合は一度も行われてはいないが、チームの雰囲気という面では着実にその効果は表れていた。
テレビに引っ張りだこで少年週刊誌で漫画になったこともある有名人の佐治ケ江優を、一切特別扱いをしないどころか、キャプテンである彼女により厳しく接することにより、他の選手たちは自ら気を引き締めてより真剣に練習に取り組むようになっていたのである。
フットサル代表は、まだ人材の宝庫などと呼べるものではなく、従って代表もある程度人員が固定化してしまうところがある。つまりダレて当然なのであるが、そこへ小野監督は人員を入れ替えることなく緊張感だけを持ち込むことに成功したのである。
もちろん優ばかりが叱られるわけではない。他の選手も失敗すれば、容赦のない攻撃を浴びたりもする。
「かなえ、そこで前に受けに行くんだよ! なんのために引いたんか、前で貰うスペースを作るためやろが。いちいちいわんと分からへんの? フットサルはまずチームプレーなんだよ。いつも呼ばれてっからって天狗になってんやないの? 子供じゃないんやから、しっかりせえや、ほんま。もう呼ばんよ、永久に」
と、このように。
「はい、気をつけます!」
雷を落とされた
「鏡鏡! 壁の鏡で丸見えや! ったく、子供か」
小野監督はばりばりと頭を掻いた。
「あ、いや、昨日食べたチーズフォンデュが熱過ぎて舌をやけどしちゃってえ」
林原かなえは、通用するはずもない弁解の言葉を吐きながら、そそくさと仲間である
なお合宿での食事にチーズフォンデュが出たことなど一度もない。
「怒られちゃった」
林原かなえは相変わらずの、けろりとしたすまし顔だ。
「あたしのせい。あたしの声掛けが足りなかった、ごめんねかなえちゃん」
反対に巴和希は、怒られた本人ではないというのに、心底済まなそうな表情で謝った。善良で気が弱く心配性であるため、ついこうしてことあるごとに先回りしてしまうのだろう。
ここは愛知県岡崎市。フットサル女子日本代表候補の、合宿地である。
FWリーグの開幕はまだまだ先なので、今回は長期合宿となっており、最終的には人数を絞り込んで海外へ遠征する予定である。
優とともに代表常連の巴和希と林原かなえであるが、どちらも優とは代表以前からの古い仲である。仲といっても、かつて試合をしたことがあるというだけであるが。
もう十年以上も前、高校生の頃だ。
現在、巴和希はFWリーグのデウルース日光に所属、林原かなえはスペインの二部リーグでプレーしている。
他に優の古くから知る仲としては、高校の先輩である高木梨乃が、一回きりではあるが代表候補として合宿に参加したことがある。
他の者より能力が劣っていたわけでもないが、ある事情により次に呼ぶことが出来なくなった。
優としては、高校時代には凄い先輩だ恩人だとただ尊敬していたし、大学時代に対戦した時にはチームとして完璧な対策をされて個人としても徹底したマンマークにあって潰され、とにかく苦しめられたあげくに大敗した。と、そんな格の違いを見せつけられた記憶しかなく、い続けてくれれば心強かったのに、と思う。
いずれにせよ彼女は既婚で二人の小さな子供がおり、そういう意味では呼ばれ続けるのは難しかっただろうが。
高木梨乃本人は二十歳を過ぎてから、「フットサル部に入ったのが高校からだったから、体力に自信はあっても技術的なところやセンスなどで周囲に対してどうにも埋められないものを感じ始めた」とよく嘆いていた。部活がというよりも、ボールを蹴り始めたのが遅かったということをだろう。
優もフットサル部という組織に所属したのは中学生からで、しかも中二の秋からだから、梨乃とそれほどの大差はない。
でもそれまで、一人きりではあるが幼少の頃より庭の石を相手に小さなサッカーボールを蹴り続けていた。
優の群を抜いて優れているフットサル技術のほとんどは、その独学時代にほとんどが築かれている。
部活に通うことで習得した技術は、それほどない。
ただし部活では、一人きりでは決して得られなかったかけがえのない、とても大切なものを部のみんなから与えてもらったと思っている。
現在の人生に繋がる、いや、現在の人生の根幹そのものといっていい、そういったものがそこで築かれたのだ。
もしも、いじめから逃げるように広島から千葉に転校して来ていなかったら、
もしもフットサル部に入っていなかったら、
今日の優の人生は、まったく異なったものになっていたであろう。
中学から高校にかけての、ほんの三年間を過ごしただけであるが、第二の故郷といってもいいくらいに千葉には愛着がある。
だって運命に心から感謝したくなるような、人生の転機の始まりであったのだから。
二〇〇七年九月二十七日、広島から羽田空港へと飛び立ったあの日が。
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