4.御伽噺の国

 『ようこそ!』の文字が無残にひしゃげた看板が垂れ下がる入場ゲートを潜り抜け、照明の落ちた廊下の壁を蹴って進む。

 発着場からロビーを抜けて、フードコートや土産物屋の立ち並ぶエリアを突っ切れば、各種施設へ直行できる無料トラム乗り場はすぐそこだ。

 ホテル行きのトラムに乗り込む年配の夫婦、まずは遊園地だとはしゃぐ子供達。展望デッキの予約を取りにカウンターへと走る若者――脳裏を過ぎる在りし日の風景に頭を振って、端末に表示された案内図を確認する。

「えーっと。遊園地方面は3番乗り場、だったな」

 幼い頃、ただ一度訪れただけだというのに、こういうことはするっと出てくるのだから、時に記憶は記録よりも鮮明だ。

 トラムはもちろん動いていなかったが、電源は部分的に生きているようだ。開け放たれたホームドアの向こう、虚無が通り抜ける線路には、ところどころに非常灯らしき明かりが見えた。

「まるでヘンゼルとグレーテルだな」

 白い石ならぬ白い明かりを頼りに線路を辿る。遊園地やプールなどの娯楽施設を発着場から近いところに作ったのは、長時間の航海に耐えてやってきた子供達への配慮だろうか。おかげでコロニー内を大移動することなく、あっさりと目的地まで辿り着くことが出来た。

 人工の空と森に囲まれた遊園地エリア。時間に応じて青空から夕暮れ、満天の星空へと変化していた空はひび割れ、電飾で彩られていた園内は暗く静まり返っている。

 入場ゲートで子供達に風船を配っていたピエロ姿のマスコットロボは、口元に手を当てた状態で固まっていた。恐らくは最後の瞬間まで、来場者に避難を呼びかけていたのだろう。

「……ご苦労さん」

 ピエロの横を通り抜け、中央広場へ。そこから放射状に延びる道の先には、それぞれテーマごとに分けられたエリアがある。すべて回ろうとすれば何日もかかってしまうが、レオンは迷わず右から二番目の道を選んだ。

 幻想的な御伽噺エリアへと続く道は途中から黄色い煉瓦の舗装に代わり、やがて見えてきたのは――茨に覆われた城壁。

「ちっとも変ってないな」

 堀に掛けられた跳ね橋の向こうには、複雑に刈り込まれた緑の迷路。その先に聳え立つ石造りの城では、夜毎パーティーが繰り広げられている。しかし尖塔の一室には可憐な姫が幽閉され、地下牢には復讐に燃える魔女が迷い込んできた者を言葉巧みに誑かす――。様々な時代と地域の御伽話を煮詰めたような物語が楽しめる体験型アトラクションは子供達の憧れの的だったが、かつてレオンがここを訪れた際は正式オープン直前で、城内に入ることは叶わなかった。

 しかし、禁止されると余計に覗きたくなるのが子供心というものだ。ポップコーンを買ってくる、と言い訳して両親の元を離れ、巡回する警備ロボの隙をついて立入禁止のフェンスを突破。茨に隠された従業員用の通用口を見つけて、無理やり体を捻じ込んだ。そして、来訪者を惑わせる緑の迷路に意気揚々と突入したのだ。

「あの時は迷っちまったが、今度は行けそうだな」

 跳ね橋の上がった堀も、見上げるような城壁も、重力制御の切れた今なら一跳びだ。その勢いのまま生垣の迷路をも飛び越えて、正面玄関へふわりと降り立つ。

『――コチラきんぐ。れおん、聞コエルカ』

 タイミングを見計らったかのように、長らく沈黙を守っていた相棒の声が、ヘルメット内部のスピーカーを通して響いてきた。

「おう、聞こえてるよ」

『ころにーノ補助制御しすてむガ辛ウジテ動イテタ。ソノえりあハ空調ガ生キテル。へるめっとヲ取ッテモ問題ナイゼ』

「そりゃ助かる」

 念のため周囲の酸素濃度を確認してから、ゆっくりとヘルメットを外す。多少埃っぽく感じるが、呼吸には支障ない。

『タダイマ施設内でーたヲ検索中。一部破損シテイテ時間ガカカリソウダ』

「了解。適当に探してみるさ」

 重厚な扉の隙間から城内へと滑りこめば、そこはまるで御伽噺の世界だった。豪奢なシャンデリアが輝く広間。所狭しと飾られた絵画や彫刻。左右に分かれた大階段の上では、城主の肖像画が微笑んでいる。

 壁に小さく表示された地図によれば、順路は右の大広場になっていたが、あえて矢印に逆らい、尖塔へ続く道を進む。途中、地下へ降りる扉も発見してしまったが、そこは華麗にスルーした。

「地下には迷宮、塔の上には眠れる姫――なんて、ベタな筋書きだねえ」

『文句イウナ!』

 塔への入口は甲冑が並ぶ廊下の突き当たり、分厚いタペストリーの裏側に隠されていたが、肝心のタペストリーがめくれ上がっていれば一目瞭然だ。

「不用心な城だなあ」

『オ子様向ケノあとらくしょんダゾ。海賊ノ襲撃ナンテ想定サレテネエヨ』

「あほう。オレ達はもう、十年も前に足を洗っただろ」

 裏稼業の船ばかりを襲う孤高の宇宙海賊、ガラテア星系の赤い箒星、などと恐れられていたのは遥か昔。今となってはその名を覚えている者も少なくなった。当時の相方は船医として一般企業で真面目に働いているし、小型艇『バーミリオン』を制御していた人工知能は身軽な体を手に入れて、今も賑やかに小言をまき散らしている。

「罠の類もなし、か。気楽な冒険だなあ」

 螺旋階段が導く先は、粗末な木の扉。軽く押せばあっけなく開いて、そこに待ち構えていたのは――。

「はー……。やっぱり、こう来たか」

 小部屋を埋め尽くさんばかりの豪奢な寝台。天蓋の向こうに眠るのは、薔薇色のドレスに身を包んだ可憐な姫君――。

 無論、無重力下で浮き上がりもせず、姿勢よく寝台に横たわっていられる者が生身の人間であるわけもない。彼女はキャストとして配備された、娯楽施設特化型のアンドロイドだろう。

「はてさて、お姫様の眠りを覚ます手段って言ったら、やっぱりアレか?」

 揺れる天蓋を掻き分け、薔薇色の頬に触れる。手袋越しでも分かる柔らかさはしかし、どこか無機質だ。

『子供向ケダッテ言ッタダロ! 邪ナコト考エルナヨ』

 容赦ないツッコミに肩をすくめ、じゃあどうすりゃいいんだよ、と口を尖らせれば、有能なる相棒は速やかに答えを導き出してくれた。

『検索完了。ゆにっと・SB0716ノ起動こまんどヲ確認。合言葉デ彼女ハ目ヲ覚マス』

「まったく、お前と来たら頼りになる相棒だぜ!」

 ぶんぶんと雑念を振り払い、教えられた合言葉を高らかに復唱する。

「“お誕生日おめでとう、《曙》の姫君”」

 茜色の睫毛がかすかに揺れる。そうして、ゆっくりと開かれた瞼から覗く瞳は、あの日見た空の色――。

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