安藤もゆり掌編集「つながり」

安藤もゆり

ある日の放課後

 霧のように粒の小さい雨の降る放課後、ここは高校の裏庭である。ここには使われていない花壇があった。そこへと呼び出されたわたしは呼び出した彼女に向かって微笑む。彼女もいつものように心のこもらない笑顔を顔に張り付けていた。

 花壇に面する校舎には窓がなく、敷地の道沿いには金属製のフェンスが巡らされており、目につかない位置なので自然と使われなくなったようだ。

 わたしは唐突に腕を掴まれて引き倒される。濡れた土はわたしの身体と顔を冷たく汚す。アマガエルをすりつぶしたような匂いと味が口の中に充満する。

 彼女を見上げると先ほどとは少し性質の違う笑顔があった。嗜虐心に濡れた笑顔だった。彼女からの突然の暴力に混乱しながらも、脳の芯のあたりはどこか冷たく状況を把握している。

「あんたは覚えていないだろうけどねぇ、こうして同じ目に合わせてやりたいとずっと願って止まなかった」

 彼女の顔は醜い笑みを刻んで歪む。ある意味、本物の笑顔ではある。彼女の普段振りまいている媚びへつらった偽物の笑顔とは別の、暗い輝きがある笑顔。それは退廃的で利己心が滲んでいた。見る者に嫌悪感を齎す笑顔だった。

 徐々に近づいてくる彼女に対してわたしは及び腰にも上体を起こして距離を取ろうと身体を引きずる。しかし思うように動けず、迫りくる彼女に蹴り倒される。わたしは這うようにして逃げようとするも、土のついたローファーで頭を踏まれる。

 再び鼻孔を突く土の匂い。わたしは諦めに似た感情とともに、頭の芯では震える身体について、それが寒さゆえのものか、はたまたこれは恐怖なのかと思案を巡らせていた。靴底によって頭皮に刷り込まれる土と砂の感触は、非日常的な新鮮さをもっていて興味深くもあった。

 嗜虐の愉悦に酔っている彼女に対して、なぜこうもわたしに執着するのかと、ふとある種の気づきをもってわたしは過去を整理し始めた。


 時は遡り、彼女とわたしがまだ小学生だったころ。

 子ども特有の無邪気さと残虐さをもってわたしは思うまま振る舞い、彼女以外の友人を優遇して彼女に対しては徹底的に貶めていた。

 傍からは子どもの遊びにしか見えないような鬼ごっこでも、わかりやすく彼女一人を苦しませた。彼女を貶めつついかにして自分が優位に立つか工夫するのが楽しくて仕方なかった。

 事あるごとに彼女を引き合いに出して使い捨ての道具同然に扱って、毎日のように彼女で遊んでいた。

 思えば彼女以外の友人は日によって顔ぶれが変わることもあったが、わたしの所有物同然である彼女は毎日いつもそこにいた。

 そしてわたしに遊ばれている彼女はどういう心理からか、常に笑顔であった記憶しかない。もしかすると彼女なりの自己防衛だったのかもしれない。

 ある日、彼女は可愛らしい髪留めをつけていた。わたしはそれを見てどうやって彼女からその髪留めを奪い取って彼女を揺さぶろうかと考えて、公園の砂場に頭ごと埋めることを思いついた。

 しかし小学生の力ではなかなか思うようにはいかず、ただ砂に彼女の頭を擦りつけて汚す程度になってしまった。好きなようにされつつも彼女は抵抗を見せず、終始微笑みを顔に張り付かせていた。

 思い通りにならなかったことでわたしは機嫌を損ねて彼女を踏みつけ、髪留めを強引に引き剥がし、砂に埋めてその日は帰途についた。

 後日、人づてに聞いた話によると髪留めは大切なものだったらしく、彼女は彼女を探す母親が見つけるまで砂場で砂まみれのまま打ちひしがれて横たわっていたらしい。

 流石に問題として学校で取り沙汰されたが、目撃者であるはずの他の友人も誰一人としてわたしがやったと告げ口するものはいなかった。今になって思えば恐怖による支配が成功していたのかもしれない。

 その事件によって、彼女で遊ぶ事はわたしが社会的に疎外される原因になりうると知り、恐れを覚えて徐々にわたしの傍若無人な振る舞いは鳴りを潜めていった。

 そうして関わり合いの少なくなった彼女とわたしは必然的だったのだろう、同じ学校で暮らしつつも疎遠になり、しばらく交流を持たなくなっていた。


 それから年月が経ち、最近になって明るく振る舞う彼女とその取り巻きは学校ではかなり影響力をもつようになっていた。

 その彼女と取り巻きはわたしについて有る事無い事を吹聴してまわり、周囲に土塁のごとく女たちの壁を築いていった。

 そんな環境下でわたしの振る舞いは全てがマイナス方向に働き、気のおけない友人も作ることができず独りでいることが多くなっていた。

 わたしは次第に自分の存在感を薄めることを覚え、周囲のマイナス感情を呼び起こさない工夫をして生活するようになる。

 彼女以外からは薄まった印象によって消極的な感情を向けられることは少なくなったが、その事自体が彼女には気に食わなかったらしい。

 今日、このようにしてわかりやすく暴力を振るわれている。


「なんとか言ったらいいんじゃないかしら」

 踏みつけられているので彼女の表情は伺えない。彼女の声色は興奮と歪んだ快楽に揺れている。

 わたしはあの日の彼女のように微笑みつつ彼女のなすがままになっている。

 それが気に入らなかったのだろう。踏みつけていた足で顔を蹴りつけられる。わたしは怯んでうずくまる。彼女は髪を掴んでわたしの顔を引き上げる。しゃがみこんだ彼女を見上げる形で視線が合った。彼女は髪も服も雨に濡れて妙に艶っぽく見えた。

「何ヘラヘラ笑ってんのよ。なんか言うことはないの?」

 笑っていたつもりはなかった。身体の自然な反応で顔は笑みを作っていたようだ。彼女はまたわたしの顔を腐葉土の花壇に押し付ける。

 再び引き上げられると、鼻から温かい液体が唇に伝っている感覚がした。血の味がする。蹴りつけられた頬はじんじんと痛む。

「キモ」

 また自然と微笑んでしまったのだろう。彼女は歪んだ笑みを消すともう一度地面にわたしの顔を叩きつけて手を放した。

 わたしはしばらくうずくまっていたが、彼女の気配がずっとそこにはあった。

 ゆっくり体制を立て直して、身体を起こした。

 彼女は口の端に薄ら寒い微笑みを湛えている。

「今日からあんときにあたしにしたみたいにあんたで遊んでやる」

 そう言うと彼女はわたしの表情を見て無表情になり、立ち去った。

 彼女は独り言のように、キモい、キモい、と繰り返しつぶやきながら去っていった。


 雨脚が少し強くなった気がする。相変わらず鼻血は流れている。

 わたしは自分が小さく声を立てて笑っていることに気づいた。

 そうしたら意識して腹の底から声を出して笑ってみる。

 笑い声は校舎とフェンスを反響して脳を揺さぶった。


「これからはまた一緒に遊べるよね」


 少し冷めた頭に映像として浮かんだのは、立ち去る寸前の彼女の無表情だった。

 その目はあの日の、わたしに対する恐怖という名の確かな絆があったように思えた。

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