『それでも町は廻っている』を読んでメイド喫茶で働きはじめた女が許せない話

弥田 朋克

『それでも町は廻っている』を読んでメイド喫茶で働き始めた女が許せない話

 有栖川マカロンちゃんの好きなところ? そんなもの即答だ。メイドなところ。顔がいいところ。声がかわいいところ。その三つ。


 有栖川マカロンちゃんの嫌いなところ? そんなもの即答だ。さっき挙げた三つを除いた全て。


 メイドであることと、顔がいいことと、声がかわいいこと。


 それ以外の、彼女の全てが嫌いだ。


            〇


 そして最悪なことに、今日はそんな彼女と、たった二人きりの出勤日だった。


            〇


 オープン前の「喫茶めいどりあん」は、いつも女の匂いに満たされている。


 散らかり放題の香水やら制汗剤やらが猥雑に混じりあった、むせかえるほど甘ったるい匂いだ。


 その阿片窟を思わせる気だるい空間で、有栖川は一人だらだらとスマホをイジっていた。時折難し気に眉をひそめては、不機嫌そうにうめいている。


「ん~……」


「……」


「んんんん~……」


「……」


「んんんんんんんんんんんんんんん~……」


「……」


「……ねぇちょっと! ユメちゃんユメちゃんユメちゃーん!!」


 夢見山サキ、というのが私の源氏名だ。はぁ。このまま無視してようと思ったのに。仕方ない。


「……なに?」


「同僚が悩ましげにしてるのを見て、なんか思うことはないかな?」


「机拭くの手伝え、って思うかな」


「掃除ならさっきしたばっかじゃん大丈夫きれいだって。そんなことよりアタシの話聞いたほうが楽しいって。実はさ、彼氏のことなんだけどさ~」


 端的に言って、掃除してたほうが百倍マシだ。 


「……彼氏って、こないだ別れたって言ってたじゃん」


「だから、新しい彼氏、でもこいつたぶん浮気してるっぽいんだよね。なんかツイッターで鍵垢の女っぽいアカウントと絡んでるし。ほらこれ」


 そう言って見せられた画面には、営業マン風のイケメンアイコンのアカウントが、スクリーンネームの末尾に「@裏垢」とついているキャバ嬢アイコンの鍵アカウントに「りょうかい~、じゃあ明日の夜に(なんかキスしてるキモい絵文字)!」とリプライしている様が写っていた。


 うんこれは浮気だなというか仮に浮気じゃなくても陰でこんなことしてる彼氏自体NGだわしかも付き合ったばっかだろマジでさっさと別れたほうがいいつうか有栖川はなんでこんな男と付き合おうと思ったんだバカなのかいやバカだったわこいつは、と極めて素朴な感想しかなかった。


「ユメちゃんどう思う?」


「う~ん……憶測だしはっきりとしたことは言えないけど……まあ十中八九浮気だよね。というか、仮に浮気じゃなくても陰でこそこそこんなことしてる彼氏ってどうなの? って思うし、マジでさっさと別れたほうがいいよ、って思った」


「あ~、やっぱりそう思う?」


「絶対別れたほうがいいよ。っていうか、そんなゴミみたいな男に引っかかるのやめてマジで。私たち、一応メイドなんだし、一応彼氏いない設定なんだし、まあ有栖川ってアレだし彼氏作るのはしかたないけど、せめてもっと誠実そうな人にしようよ」


「いやでもアタシ面食いだからな~。しかも性格チャラそうなのがタイプ。逆に浮気もできないレベルのショボい男はヤダって感じ。あとユメちゃんにだけ教えてあげるけど、首絞められるのけっこう好きだから、オラついてるタイプの方がアッチの相性いいんだよね~」


「うわ、最悪じゃん。お客さんたちほんと可哀そう」


 実はこの「喫茶めいどりあん」の売り上げは、そのほとんどがこの有栖川マカロンちゃん(ちなみに、ちゃんまで含めての名前だ。私が好きでちゃん付けしてるわけじゃない)の人気によってまかわなれている。


 有栖川が出勤する日はいつもの三倍くらいの客が来るし、チェキもドリンクも十倍くらいの売り上げが出る。月に百万以上貢ぐような太客も決して珍しくない。


 でも、彼らが知ってるのは有栖川のメイドとしての顔だけだ。彼女が寝取られ物の竿役みたいな男をとっかえひっかえしてるのを知ったら、絶望のあまり死者が出てもおかしくない。


「いやうちの客の男たちがアタシにワンチャン感じてるってことのほうがありえないから。鏡見て一兆回生まれ変わってから出直して来いって感じ。今みたいなプライベートだったら、挨拶すらしないからねマジで」


 うん。お前ならそういうことを言うだろう。そういうとこだぞ、まじで。


「……そもそも有栖川って、なんでメイド喫茶で働こうと思ったんだ?」

「え、どしたの急に」


「いやだって、あんまりメイドっぽくないタイプじゃん。むしろキャバクラとかにいそうなタイプというか」


「あー……まあキャバは結構ダルいんだよ営業とかしなくちゃだし」


「あ、一応やってはいたんだ」


「うん、確か三年くらい前かな」


 ちなみに公表されている有栖川マカロンちゃんの年齢は十七歳だ。


「そんで面倒くさくなって店辞めて、そしたら当時の彼氏が、あ、そいつホストやっててマジのクズ男だったんだけど、一応同棲してて、でもアタシから金引っ張れなくなったのわかったら家追い出しやがって、それでしばらく漫画喫茶で暮らしてたんだけど」


「……」


 いちいち情報量多いなこいつ。ウシジマくんの登場人物か?


「そんとき読んだマンガにメイド喫茶出てきて、メイドいいじゃんって思って募集したんだよね」


「へぇ、そうなんだ」


「なんで意外そうな顔してんの」


「いや、思ったよりマトモな理由だったから。いやまあ経過はマトモじゃないけど、直接の要因はマトモじゃん。正直、当時の彼氏がメイドプレイ好きだったからくらいは覚悟してたよ」


「いやさすがにそれはないわ。ユメちゃんアタシのことなんだと思ってんの」


「え、いや、まあたとえ話だって例えばの話。そ、そんなことより、その漫画の名前ってなんていうんだ?」


 漫画はそこそこ読んでるほうだけど、メイド喫茶が舞台の漫画ってあんまり聞いたことがない。ごちうさ……は別にメイドではないしだし。


「なんていったかなー、確か『それでも町はまわっている』みたいな名前」


「あー、それ町かー! あれいいよねー! 実は全部のエピソードの時系列がバラバラでさ……ってそれ町かよ!? あんなんメイド喫茶じゃねえよ!」


 それ町に出てくる「メイド喫茶 シーサイド」は七十近い婆ちゃんがカレーを押し売りしてくる魔境だ。客もマイルドヤンキーみ溢れる中年がほとんどで、現実のメイド喫茶とは似ても似つかない(というか、あの店がメイド喫茶を名乗っていること自体が一種のギャグだ)。


「ほんとそれな。実際はいってみたら、客がキモオタばっかでめっちゃビビったわ」


 そう言って、有栖川はけらけらと笑う。


「漫画と違って客も多いしさ、ミスったって思ったけど、ほかに働く当てもないしキャバよりは楽だしで、そのままずるずるーとって感じかな、アタシがメイドやってる理由」


 こんな奴が人気一位だっていうのだから世も末だ。夢を売る職業だってのに、売ってる側に夢がなさすぎる。


「まぁ、だから、ユメちゃんが怒るのもわからなくはないんだ」


「ん?」


「いや、ユメちゃんってちゃんとメイドに憧れてうち入ってきたでしょ? 仕事マジメにやってるし、結構メイドにこだわりあるっぽいし。仕事になるといきなり人格変わるからウケるんだよね」


「……有栖川も人格変わるじゃん。オタクにも優しくするし」


「いや、それはそうでしょ仕事なんだから。そもそもアタシ、彼氏にはもともと優しいからね~。でもミキちゃんって素がけっこう無愛想で冷たい子じゃん。っていうか、暗いじゃん。あんま笑わないし。でもメイドのときはめっちゃ笑顔じゃん。アタシあれわりと可愛くて好きだよ。いっつもああしてればいいのに」


「うっさいな……」


 ほんとうるせえ。こういうとこほんと嫌い。ほんとお前は、マジで。


「ほらプライべートだとすぐ怒る~。メイドの時ならもっと可愛く喜んでくれるのに」


「じゃあ金払え」


 言うだけ言い捨てて、机の拭き掃除に戻る。


 今日は長く話すぎた。こいつと話すのは二言三言がちょうどいい。それ以上はこっちの精神をかき乱してくる危険がある。


「も~怒んないでよ~。……あ、待って待って。じゃあがメイドになった理由だけ教えて。それくらいならいいでしょ?」


「……」


「無視しないで~! いいじゃんいいじゃん、さっきアタシも教えたんだから、これはちゃんと答えてよ」


「……」


「ユメちゃんユメちゃんユメちゃんユメちゃんユメちゃん!」


 あぁもう! うっさいな……!!


「……昔、憧れの人に、メイドやったほうがいいって言われたから」


「えっ、なにそれキモい。どういう男なのそいつ。性癖歪みすぎじゃない」


 死ねビッチ。


「違うから。その人もメイドの人」


「あ~なるほどね~、アタシ知ってたりしないかな」


「さぁ。知っててももう覚えてないと思う」


「いやいや、アタシけっこう記憶力いいからね。元カレの好物とか覚えてたりするから」


「じゃあその自慢の記憶力で、この店のオープン時間を教えてくれ」


「え? それはもちろん……って、うわ! もうこんな時間!? ヤバ!! スマホ盗み見されないとこに隠さないと!!」


            〇


 最後の客がようやく帰り、私たちは裏の喫煙室でタバコを吸う。


「はぁ……今日の客もキモいのばっかだった……」


 有栖川の言葉に、煙をわっかにして吐いて肯定の意を示す。


「っていうかなにがキモいってさ、あいつらユメちゃんついたときにうわって顔すんのがマジでキモい!」


「まあ、あいつらは有栖川目当てで来てるんだし、それくらいは仕方ないだろ」


「いやいや、アタシの推しにそんな態度とってガチ恋面してくんのがマジ無理!!」


「推しって……」


 マイルドヤンキーのくせに難しい言葉知ってんな。


「いやいや、ほんとガチで推してるから。ユメちゃん可愛いし! あと笑ってくれたらもっと可愛い!」


「はいはい」


 チャラ男どもに囲まれて暮らしているせいか、有栖川は人を軽率に褒める。


 褒めて、褒めて、褒めまくってくれる。


 おまけに褒め上手で、的確にこちらの欲しいタイミングで、的確にこちらの欲しい言葉をくれるのだ。


 彼女と話しているのは、正直心地がいい。有栖川みたいな真似は、私には逆立ちしてもできないから、素直に羨ましく思う。


 こんな逸材が、褒められなれてないオタク共の集まる店で客商売を始めたのだ。


 人気一位になるくらいは、当然の結果だと言える。


 でも、チャラ男どもに囲まれて暮らしているせいか、有栖川の褒め言葉には重みがない。


 彼女はあくまでリップサービスとして言ってるだけであり、彼女の言葉を本気で受け取ってはいけない。


 そんなことをすれば人生がめちゃくちゃになる。


「お、ユメちゃん、顔赤くない? もしかして照れてる?」


「赤くない! うっさい! 死ね!」


            〇


 それは私がまだ客としてメイド喫茶に通っていたころ。


 そのころ私は精神的にひどく不安定で、自己肯定感も低かったから、自分がメイドとして働くなんて考えてなかった。でもメイド喫茶という空間自体は好きだったし、メイドというペルソナ超しの会話は、学校でのやり取りの百倍心地よかった。


 その中で私の一番の推しは有栖川マカロンちゃんだった。


 彼女は完璧なメイドだった。それは一切の非の打ちどころのない、空想の世界からそのまま飛び出してきたような、理想の偶像そのものだった。


 そしてある日、私の人生を決定的にぶち壊す出来事があった。


 その日、有栖川マカロンちゃんは、私のほっぺたを優しく撫でながら、私の笑顔を褒めてくれ、私なら立派なメイドになれるはずだ、と言ってくれた。


 疑う私を、有栖川マカロンちゃんは千の優しい言葉で奮い立たせてくれた。


 数日後、面接の席で、有栖川マカロンちゃんは、タバコの匂いをぷんぷんさせながら、言った。


「はじめまして。面倒なのは苦手だからさっそく面接はじめちゃうけど、志望理由から聞いていいかな?」


 そのあとのことはなにも覚えてない。


 感情が複雑骨折して、どこから整理していけばいいのかもわからなかった。ただ、採用された上でこちらから辞退してやるのが最高のシナリオだ、ということだけは理解していたから、結構頑張って面接を受けたはずだ。


 翌日、有栖川マカロンちゃんから電話がかかってきて、ぜひ私と働きたい、と言ってくれた。私なら、店のナンバーワンになることも不可能じゃない、と言ってくれた。私のような人材をずっと待っていた、と言ってくれた。


 絶対に、辞退するつもりだった、のに。


 あの日から、私の人生はずっとめちゃくちゃだ。


            〇


 有栖川マカロンちゃんの好きなところ? そんなもの即答だ。メイドなところ。顔がいいところ。声がかわいいところ。その三つ。


 有栖川マカロンちゃんの嫌いなところ? そんなもの即答だ。さっき挙げた三つを除いた全て。


 メイドであることと、顔がいいことと、声がかわいいこと。


 それ以外の、彼女の全てが嫌いだ。

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『それでも町は廻っている』を読んでメイド喫茶で働きはじめた女が許せない話 弥田 朋克 @mita_tomokatu

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