第二百十七歩


 「まぁ、実際にメーを押したのは美咲っちだったけどね」


 「あら、三河君が目で”今だ”って合図したから私はそれを実行しただけだけど?」


 そりゃ反対側に座る治村さんを笹島さんが後ろから押せるはずもなく……しかも二人の間には僕という障害物もあるし。


 「仕方ないじゃん。ライブからメーのこと頼まれてたから」


 「お前ら帰る途中、二人でヒソヒソなんかやってたもんな。俺から見たらイチャイチャバカップルに見えたけど」


 なんですと!?

 三河君と笹島さんがイチャイチャしていただと?

 喫茶店へは皆で仲良く来たけれど、全然気づかなかったぞ?

 まぁ、僕は一番先頭で治村さんに後ろ腕を決められしょっ引かれる形だったから後方で何が起きようと一切知る由もないんだけれど。


 「ライブは悪いヤツなんだよ。僕に頼むって事はそーゆー事だから」


 「違いねぇ。一番荒療治だわな」


 ほぼ全員がグルか。唯一の救いと言えば……


 「お前等なんの話してんの? つか、ケーキ食わねぇの?」


 マイペースで一人だけケーキを平らげたつるりん千賀君。彼を見ていると、”自分より下の人間を見ると安心する説”は事実だったんだなと思い知らされる。

 尚、このケーキはカウンター席からこちらに向かって手を振っている古屋さんの差し入れだ。


 (相変わらずいるなぁ)


 「千賀君は平和でいいですね。見ているとホッとします」


 「なーんかバカにされた感じだなぁ? つか、お前等食わないんだったら俺が全部貰って……」


 マスターが自由にとテーブル中心へ置いた人数分のケーキへ再び手を伸ばそうとする千賀君。

 しかしそれを遮るようにどこからか伸びた手が彼の手の甲へと重なった。


 「イテェっ!」


 同時に上がる千賀君の悲鳴。

 どうやら手の甲を抓られたらしい。

 しかも相当に激しく。


 余程痛かったのか、彼は慌てて手を引っ込めると、一昔前の漫画でよく見たシーンと同様抓られた部分にフーフー息を吹きかけていた。


 「治村お前フザケンナよ! 血が出てきたじゃんか!」


 これには一同驚きを隠せない。何せ千賀君を抓った犯人が先ほどまで臥せっていたあの治村さんなのだから。


 「アンタ既に一個食べたじゃない。ずうずうしいにも程がある」


 どうやら立ち直った模様。

 逆に今度は僕が恥ずかしくなってきた。

 ほんの数分前、この人と唇を合わせたかと思うと。

 そんな治村さんはクルっと首をこちらに向けると、


 「まぁ、アンタならチューの一つや二つ別にいいわ。伊歩が選んだってことはそれなりに理由があるんだろうし」


 すると今度は再び千賀君の方へ顔を戻し、


 「しかしテメーはダメだ! ご要望なら鼻や口、いやいや耳からでも血を出させてやんぞ!?」


 「ひえっ!」


 何故か三河君が反応した。

 僕と千賀君はフーンぐらいにしか思わなかったが、どうやら彼には暴力治村への免疫がまだ無いらしい。


 治村さんは興奮も冷めやらぬ様子で再度こちらへ向くと、今度はこう言った。


 「熱田もキスしたからってあんま調子乗るんじゃないよ? じゃないとアンタも脳から血を出す事態となるから覚悟するんだね」


 殺害予告頂きました。

 警察に被害届を出してもいいレベルでは?


 「まぁまぁ芽衣ちゃん、そんなに興奮しないで」


 そしてついにここでマイ天使が口を挟む。

 船乗りをも迷走させるマーメイドの歌声以上の美声で。


 「そもそもどういうつもり? 三河にアタシの事を頼むって……っていうか、熱田に何の関係があるの?」


 治村さん、アナタの仰る通り。どうして僕が巻き込まれなければならないのか。その辺りをお願いしますよ笹島さんってば。


 「アナタも私同様久二君と仲良くなればと思って。そうすれば五平先輩に言い寄られる事も無くなるだろうし」


 「あー、なーる(成程)」


 つまりだ!

 僕はゴミ(先輩)避けに利用されたってワケだ。

 しかしある意味浮気なのに、そこは大丈夫なのだろうか?


 「そーゆー理由なら仕方ないっか」


 納得した!?

 いやいやいや、違う(暴力的な)意味で僕の体がもたないのだけれど?


 「メーもいよいよ卒業か」


 僕は三河君が口走った言葉の意味を理解できないでいた。しかし治村さんは再び僕の顔面ゼロ距離でこう言った。


 「ヤラないからね!」


 熱が僕まで伝わるほどに赤くなったその顔で。

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