ショートショート「ルイス・ヴィナン」

棗りかこ

ショートショート「ルイス・ヴィナン」(1話完結)


ルイス・ヴィナン






姑の貞江が呼んでいる。

文子(フミコ)は、ため息をついた。


「お昼ご飯は、まだ?」


面と向かうなり、貞江は言った。

顔を合わせると、文句しか言わない貞江に、

文子は、いつしか殺意を持つようになっていた。



そんな時、

書店で、「毒薬事典」と書いた本を書棚で見かけた。


トリカブト…。

シネラリア…。

セイタカアワダチソウ…。


ページを捲ると、

毒性から、致死量まで書いてある。


そう…。


文子は、面白げに、ページを捲った。



姑が、もがき苦しんで死んでいく様子が、

どのページを捲っても、

ありありと浮かんでくる。


どれを仕込もうかな?


文子は、興味深げに、ページを深々と覗き込んだ。


ハシリソウ


その文字を見た時、

これだと、文子は直感した。


熱にも強いとある。


おひたしは、どうかしら…。


文子は、毒薬事典を持参して、内川土手に行った。


内川土手には、

豊富な草が生えていた。


正解ね。


文子は、ハシリソウを、探そうと、

そこいらをくまなく歩き回った。


ぜんぜん生えてないわ…。

ガッカリしかけた時、

写真そっくりの草を見つけた。


あった!!!!!

もう、成功は目に見えていた。


文子は、はしゃいだ。

もう、あんな年寄り御免よ…。


ハシリソウを手に取ると、

文子は、飛ぶように走りだし、

家まで走って帰った。



「あなた、何処へ行ってたの?」


また、貞江が訊いてくる。


これも、もう終わり…。


早々に、どうでもいい返事で、誤魔化すと、

文子は、台所へ向かった。




流しに、ハシリソウを、入れ、

ざっと、水を掛けると、

アルミの両手鍋を取り出し、

ざっくりと、切り刻みながら、ハシリソウを入れる。


水、水…。


文子は、鍋に水を入れると、

ガスコンロに、火をつけた。


ぐらぐらと、おひたしが出来上がるのを、待つこと5分。

文子は、おいしそうかも、と思えないと、

食べないかも、と、


かつおぶしを振った。

ゴマも…。


皿に盛りつけた、おひたしに、ゴマを掛ける。


お昼の支度できました…。


今日の声が、うわずってないか、

文子は、気になった。




夫の暉雄が帰って来るまでに、

片付けなくっちゃ。


貞江の部屋に、お盆を運び込む。


あとは、食べるだけよ。


文子は、貞江の部屋のドアに、耳を着けた。


水、水…。


貞江の、苦しむような声が聞こえる。


お姑さん…。


文子は、自分の関与を誤魔化す為に、部屋に入った。

貞江は、目を剝いて苦しんでいる。


やったわ。


文子は、この表情を、一生忘れないわね、と思った。


し、死ぬ…。


貞江は、どんどんもがき苦しみながら、息も絶え絶えに、なり、

やがて、力尽きたように、宙を睨んで、息果てた。


文子は、冷たく、貞江の死体を見下ろしていた。


そして、

ハシリソウのおひたしを、片付けた。


あとは、夫を待つだけだった。


第一発見者は、夫でなくてはならない…。


文子は、そう思った。


それで、実家に電話を掛けた。




お母さん、家に遊びに行っていい?

自分が帰って来るのは、

暉雄の帰宅後だ、と計算は出来ていた。


文子が帰ってきた時、

丁度、救急車が、家の前に、止まっている時だった。



お隣りの、澤多が、

丁度良かった、と、文子に走り寄った。




驚いた振りをして、

家の中に入ると、貞江は、担架に運ばれて、

家から出てくるところだった。


暉雄が、青くなっていた。




母さん、倒れた。

暉雄は、救急車で病院まで付き添うと言い、

慌ただしく、救急車に、乗り込んでいった。

それから、間もなくして、

病院の暉雄から、電話が入った。




葬式の準備をしてくれ…。

母さんが死んだ。

文子は、はい、とだけ言うと、

喪服の置いてある部屋に、走った。


貞江の葬式は、思いの外、客が来た。


あんな婆さんなのに…。


でも、死んだわ。


あの、婆さん。


文子は、心の中で、笑った。


貞江の納骨が済むと、

暉雄には、多少の遺産が転がりこんだ。


お前にも、介護させたから…。


暉雄は、遺産の中から、少し、文子に手渡した。




文子が、その金を通帳に入れようと、した時、

テレビで、

ルイス・ヴィナンのハンドバッグのコーナーがあった。

おしゃれな、あなたに…。


そのバッグは、ブランド好きな文子に、魅惑的に映った。




そのバッグが、手許に届くまで、

心待ちにしていた、文子だった。


届いた時の、歓び。


貞江の介護から解放されて、さらに、こんなバッグが手に入った…。


文子は、

お出かけしよう…と、

タンスを開けた。


澤多と、玄関先で出会った。


あら、お出かけ?

澤多と、にこやかに話す。


ええ。


ちょっと、そこまで。




文子は、カツカツと、ヒールの音をさせて、歩き出した。


左腕に掛けた、ヴィナンが、誇らしかった。


その時、


東京シティバスが、目の前を通り過ぎようとした。




あ、待ってーーーーーーー。


慌ててバスを追った。




バスは、追いかけた文子のずいぶん前で止まった。


文子は焦った。


全速力で走らなくっちゃ…。

全速力で走った文子は、


やっとのことで、バスに間に合った。




席に御付きください…。


アナウンスが聞こえた瞬間、


突如、


猛烈に、


喉を掻き毟りたくなるような、苦しみが、文子を襲った。



水、水…。



文子が七転八倒するのを、

乗客が、恐る恐る取り囲む。



何が起きたかわからない乗客の前で、

文子は、目を剝いて、右手を宙に伸ばして、

もがき苦しんで、

苦しみ抜いて、

息絶えた。



苦悶の表情で、


左腕のルイス・ヴィナンを、


大事そうに抱えた儘で…。




-完-



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート「ルイス・ヴィナン」 棗りかこ @natumerikako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ