第10話

「そんなの全然水瀬先輩の気持ち考えてないよ!」


 私は思わず立ち上がる。


「お、おい柚希、どうしたんだよ?」

「うるさぁいっ! どんな気持ちでお兄ちゃんにキスしたと思ってるの? 好きで好きで堪らなくて、でもお兄ちゃんには新島先輩という彼女が居てずっと気持ちを抑えてたと思う。

それでもやっぱり好きって感情が止まらなくてキスしちゃったんだと思う。そんな水瀬先輩の気持ちを考えずに勝負が始まる前から否定しないで! ちゃんと向き合ってあげて!」


 私は一息にありったけの感情をお兄ちゃんにぶつけた。

 涙がこみ上げて今にも溢れ出しそうになる。


「でも……」

「でもじゃないよ! お兄ちゃんは水瀬先輩から逃げてるだけだよ。水瀬先輩の気持ちと向き合うのが怖いんでしょ? 新島先輩への気持ちが揺らいじゃうんじゃないかって!」

「……」


 お兄ちゃんは黙って聞いていた。

 私は涙を拭う事すら忘れ、ただ立ち尽くしていた。


「分かった、分かったからとりあえず座れよ……な?」


 お兄ちゃんは立ち上がり、嗚咽の止まらない私の肩にそっと手を置く。

 私はその手を握り返しながら、縋るように呟いた。


「お願いだからちゃんと向き合ってあげて? 同じ女としてのお願いだよ……」

「……わかったよ、ミナミとちゃんと向き合う」


 私の思いがどれだけ伝わったかは分からない。

 だけど、お兄ちゃんのその言葉が気休めでない事だけはハッキリと感じた。


「ありがとう、お兄ちゃん」

「あ、ああ」


 しばらくして、落ち着きを取り戻した私を確認すると、お兄ちゃんは


「……じゃあ、そろそろ俺は部屋に戻るよ」


 と言ってドアノブに手を掛ける。


「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「水瀬先輩とちゃんと向き合うって約束忘れないでね」

「ああ、約束は守るよ」


 私が少し不安そうに念押しすると、お兄ちゃんは優しく微笑んでそう答えた。





 電気を消しベッドにもぐりこむ。

 そして今日の事を思い返す。


 水瀬先輩の事を想うと悲しくて、何とかしてあげたくて、気づいたら自分の事のように胸が苦しかった。

 無意識に自分と水瀬先輩を重ねていた。

 水瀬先輩の気持ちを否定される度に、私の気持ちも否定されているように感じた。


 でもお兄ちゃんは最後に、ちゃんと向き合うと約束してくれた。

 偽りのないその言葉を聞くだけで、えも言えない安堵感に包まれた。


 きっと伝わらない、どうせ見向きもされない。

 そう思って胸の奥にずっと押し込めていた気持ち。

 もう、我慢しなくてもいいんだ。


 最近ずっと抱えていた胸のモヤモヤも今はすっかり晴れている。

 そのモヤの先に隠れて見えなかった私自身の本当の気持ちに、私はようやく気付いた。



 私は、佐藤友也が好きだ。




 翌朝、私はいつもより遅く目が覚めた。

 きっと泣きつかれて長く眠ってしまったんだろう。

 

 顔を洗おうと洗面所に行くとお兄ちゃんと鉢合わせた。

 

「お、おはよう」

「お、おう」

「……」

「……」


 それ以上の会話は特に無く、二人並んで歯を磨く。

 鏡越しに目が合うと、どちらともなく目をそらす。


 ……ちょっと気まずい。


 それからの数日間、お兄ちゃんとの会話が少し減った。



 ある日、休み時間にめぐと談笑していると、クラスの男子が


「なぁ、知ってるか? 新島先輩たち別れてないみたいだぞ!」

「ああ、俺も聞いたよ。っていうか普通に仲良くしてるの見かけたし」


 そんな会話が聞こえてきた。


「え? どういう事なんだろう? 友也先輩は別れたって言ってたんだよね?」

「……知らない。そんな事よりさ、そこの喫茶店行ってみない?」

「え? う、うん。そうだね」


 私は無理矢理話題を戻した。

 めぐにはちょっと悪いことしちゃったな。あとで謝ろう。


 SHRの時に担任の先生から


「佐藤、テニス部の白井先生が職員室に来る様に言ってたぞ」

「はい、わかりました」


 SHRが終わり、帰り支度をしていると


「ゆず、これから職員室に行くんだよね?」

「うん、だからめぐは先に帰ってて」

「わかった。じゃあまた明日ね」


 そう言ってめぐと別れる。

 職員室に向かう間、二人についての噂を思い出し、居ても立ってもいられなかった。

 帰ったらお兄ちゃんを問いたださないと!


「失礼しまーす」


 と言って職員室に入ると、白井先生と新島先輩が話をしていた。

 

「あ、柚木ちゃん!」

「新島先輩? なんで新島先輩まで?」

「おお、佐藤も来たか。二人は今回ダブルスを組んでただろ――」


 白井先生からインターハイの連絡事項を聞かされた私たちは職員室を後にする。


「あと少しでインターハイだね~。頑張ろうね!」

「……そうですね」


 夜にお兄ちゃんを問いただそうと思っていたけど、新島先輩と二人きりな状況はチャンスだ。

 仮にも私と新島先輩は協力関係にある。

 そんな私に相談無くお兄ちゃんと別れた事に少し位は罪悪感がある筈。

 それを利用して今回の事を聞き出そう!


 と考えていると、新島先輩が私の顔を覗いてきた。

 

「どうかしたの?」

「新島先輩、ちょっとお時間いいですか?」

「う~ん、これから皆で勉強する予定なんだけど」

「お兄ちゃんの事でお話があります。


 お兄ちゃんの名前を出すと、新島先輩の顔つきが変わった。


「わかった。皆には今日は参加できないって連絡しとくわ」

「わざわざすみません」

「ううん、気にしないで。それより、じっくり話したいから、今から私の家に来れるかな?」

「はい、大丈夫です」


 こうして私たちは学校を後にした。

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