第53話 泥棒猫
「ねぇ、ちょっとここに寄っていかない?」
あれから一時間ほど電車に揺られ、俺たちは繁華街から住んでいる街へと戻ってきた。
電車に乗っている間、俺たちは一言も会話を交わしてはいない。
天華は何か言いたげにこちらの様子をチラチラと伺ってきていたが、それに応えることはしなかった。
少なくとも俺から天華に言うことなど今はなにもない。肝心の琴音にはまだ天華に対して思うところがあることを知った今、余計なことはしないつもりだ。
自分の気持ちを察して欲しいなどというのは甘えだろう。
少なくとも琴音への正式な謝罪をしない限り、俺は口を挟むつもりはなかった。
そのため、帰り道でもここまで一言も発することなく俺たち三人はただ歩き続けていた。
一応両手に荷物は持ったままだし、このまま一度家まで帰るのかと思っていたのだが、そうはならないらしい。
「ここって…」
「そう、御原公園。昔は私達、よくここで遊んだよね」
琴音は懐かしそうに目を細める。小さな公園に目を向け、やがて足を踏み入れていった。
だが天華はそうは行かなかったようだ。中に入るのを躊躇しているように見える。
最もそれは俺も同様で、できれば天華とまたここに来るのは避けたい場所でもあった。
なにせこの御原公園こそ、俺が一週間前に天華に振られた場所だったからだ。
琴音に話を聞いてもらったという思い出で、多少は塗りつぶされているものの、できれば俺も遠慮したい。
だけど、そうもいかないだろう。
おそらくここで、琴音は天華と話をつけるつもりだという意図があるはずだ。
なら、俺も踏み込まなくてはいけない。過去に目を向けるのではなく、これからのために。
だから、俺も足を踏み出そうとしたのだが―――
「ゆきくんは、先に帰ってくれないかな」
俺を拒絶する琴音の声が、俺に届いた。
「え…なんでだよ、俺も一緒に…」
「ここからは、女の子同士で話がしたいの。私と天華ちゃんの、二人っきりで」
琴音の声は真剣だった。
俺であっても間に入ることは許さないと、その声が告げている。
とはいえ俺としてもそう言われて引き下がることはできないし、関与できないところで話がつくというのは許容できるものではない。
だから粘ろうとしたのだが、そんな俺を縋るように見てくる天華の視線に気が付いた。
「天華…」
「ゆ、雪斗。その…」
いつもの勝気で自信に溢れた姿は見る影もない。
今はただ怯え、俺を縋るように見てくるひとりの少女がそこにいた。
―――ゆーくん、今日も一緒に遊ぼう。ママもパパも、お仕事忙しいんだって。私、寂しいよ
その姿に、遠い過去を幻視する。昔の天華の姿が重なっていく。
あの頃の天華はとても素直な子だった。いつも俺の後ろを付いてきていたし、なんとなく妹ができたようで、嬉しくなった。
だから、俺が守ってやらないといけないと、そう思っていたのに。
(なんでこうなったんだろうな…)
心の中で、呟きが漏れていた。
本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。
いつからか天華と俺の心はすれ違い、徐々に離れていってしまった。
いや、あるいは最初からそうだったのかもしれない。
琴音と出会ったあの時から、俺たちの関係はきっと変わっていったのだ。
あの頃から天華が琴音を下に見ていたのだとしたら。
最初から俺たちの関係は、間違っていたのかもしれない。
俺はおろか、琴音でもダメだというのなら、誰が天華と対等に接することができるのだろう。
そんな天華が、とても可哀想に思えた。
今の天華は、ひとりぼっちだ。
「…荷物、家まで届けとくから。それと西野のことは、最後まで付き合う。だから、またな」
俺は最後に、天華にそんな言葉を投げかけていた。
俺に残された天華への最後の恋慕の気持ちがそうさせたのか、あるいはただの同情なのか、それは分からない。
だけど、これは最初から決めていたことでもある。ケジメだけはつけようと、そう思っていたのだから。
そうして俺は天華へと背中を向ける。
俺にはこれ以上話すことはない。あとは琴音と天華の問題だ。
「待って、ねぇ待ってよ雪斗!」
俺に助けを求める声が聞こえたとしても、俺は振り返ることなく歩き出した。
分かっているよ、天華。お前がこういう時、動けないやつだってことは。
そう言えば誰かが助けにくると思ってるんだろ?駆けつけて、慰めてくれると思ってるんだろ?
だけどそれは無理だ。俺は王子様でもなければ主人公でもない。
俺は俺なりにケジメをつけることを決めた。だからお前も、ちゃんとケジメをつけてこい。
そうしたら話は聞いてやる。慰めはしないけど、それくらいはしてやろうと思った。
俺はただ歩き続ける。6月の風は、少しだけ暖かった。
「ここにふたりでくるなんて久しぶりだね、懐かしいなぁ」
私が公園内に入ると、琴音が声をかけてきた。
確かに懐かしいかもしれない。最後にふたりでここに来たのは、多分小学生の頃にまで遡る。
あの頃とは違い、遊具のほとんどが撤去されたこの公園には、遊んでいる子供の姿はなかった。
それを少し寂しくも思ったが、きっと琴音からすれば都合はいいのだろう。
「そう思わない?天華ちゃん?」
少なくとも、繁華街の時のように邪魔者はいないのだから。
「えっ…あ…こ、琴音?」
どうしてだろう。あんなに優しく見えた琴音の笑顔が、すごく怖い。
「やっと二人きりになれた。ゆきくんには聞かせたくない話だったから、正直助かったよ。また倒れそうになるかもしれないし、そんなの嫌だもの」
「それは、そうね。貧血だったみたいだし…」
あの時のことは、まだ思い出したくない。
雪斗の変化に、私は気付くことができなかった。ただ後ろめたいことがあるのだとばかり…
「なに言ってるの?そんなわけないじゃない」
「え…?」
後悔が篭った私の言葉を、琴音はバッサリと切り払った。
その声は明らかに呆れている。だけどいつも雪斗と橋渡しをしてくれていた時とは違って、どこか蔑みが混じっているように私には思えた。
「私もあんなことになるなんて思わなかったけど、やっぱり引きずっていたんだよ。天華ちゃんに振られたことをね。あの状況じゃ、それしか考えられないもの」
「それも、知ってるんだ…」
やっぱり私は間違ってなかった。琴音と雪斗は繋がっていた。
「ゆきくんに教えてもらったからね。というか天華ちゃん、私の言葉を聞いていうことがそれ?普通もっと他にいうことがあるんじゃないの?」
「琴音の言うことが正しいなんて、限らないじゃないの!」
あの時のことを一番否定したいのは私なんだ。
なんであんなことを言ってしまったのか、私でも分からない。
みくりに話したときだって盛大に呆れられてしまった。それでもなんとかアドバイスをお願いして、今日のデートの下調べだってバッチリだったのに。
それに今日の雪斗は、私に振られたことを引きずってる様子なんて全然なかった。
いつもよりずっと大人っぽくなってたし、どこか余裕があるようにも思えた。
そんな雪斗をかっこいいな、なんて思っちゃったし、あのままいけば、きっと全部上手くいっていた。
電車の中では失敗したけど、ほんとなら帰りにここで私から告白のやり直しだってするつもりだったのに…!
それを邪魔したのは、琴音だ。琴音が全部台無しにしたんだ。
私と雪斗の仲を邪魔しにきた子の言うことを鵜呑みにするなんて、私にはできない。
確かに今までたくさん助けてもらってきたのは事実だし、感謝もしてるけど雪斗だけは別だった。琴音には譲れない。
そうだ、雪斗は私のものなんだ。
「…はぁー、天華ちゃんは変わらないなぁ。そういうとこ、全然変わってない」
改めてそう思った私の前で、琴音はため息をついていた。
呆れとも蔑みとも違う、どこか懐かしいとでも言いたげな声。
「そんな天華ちゃんをゆきくんは好きになったと思ったから、身を引いたつもりだったんだけどね。でもダメだ。私、やっぱりもう耐えられないよ」
「なによ!なにが言いたいのよ!」
身を引いた?嘘つき。そんなつもりなかったくせに。
私は知ってるんだ。いつも雪斗のことを見てたことを。
雪斗だけを見ていたことを。
他にいい男なんていくらでもいるんだから、さっさとそっちにいけば良かったのに。
そもそも雪斗は私のことが好きなんだ。だから告白してきたんだし、今日の買い物にだってついてきてくれた。雪斗が私を選んだことは明白だ。
琴音を女の子としても見ていないと、ハッキリ言ったのも聞いていた。
だというのに、小さい頃からいつまでも付きまとって、本当に諦めが悪いと思う。だから、これから琴音が言うことだって、分かってるのだ。
「天華ちゃん。私、ゆきくんが好きなんだ。私に譲ってくれないかな?」
―――ほら、やっぱり。泥棒猫
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