第42話 救い

「私は、ゆきくんが好きだから」




 なにを言われたのか、俺はすぐに理解することができなかった。


 ようやく顔を上げた琴音が、俺を見据えて紡いだ言葉。


 だけどそれは、俺にとっては完全に予想外のものであり、どうしても驚きを隠せない。




(琴音が、俺のことを好きだって…?)




 突然そんなことを言われても、正直困惑するしかない。


 琴音からはそんな雰囲気をこれまで感じ取ることなんてできなかったし、そういう対象として見たこともなかったのだから。


 正しくいえば、俺にとって恋愛対象として見ていたのは天華だけだったと言ったほうが正しいのだが、琴音が俺をそんな風に見ていたなんて寝耳に水である。


 俺を和ませるための冗談だと言ってくれたほうがまだ信じられるが、そうでないことは琴音の目を見れば明らかだった。




 琴音は涙で潤ませながらも力強く、そして真っ直ぐにその綺麗な瞳で俺のことを見つめていた。


 その視線から目をそらすことなど、俺にはできない。


 告白するということがどれほど勇気がいることなのか、俺は知っているのだから。


 それが俺にとってどれほど唐突で、たとえ考える暇すら与えられないものであっても、自分の言葉で返さなくていけなかった。






 琴音の気持ちは正直嬉しい。


 幼馴染だということもあり、琴音のことはよく知っている。


 全て知り尽くしているなどとは口が裂けてもいえないが、間違いなくいい子だ。


 どれほどつまらない話題であっても笑顔で聞いてくれるし、誰かの悪口を言っている姿を見たこともない。


 趣味だって合うし、性格も穏やかだ。気立てだっていい。トドメにかなりの美少女だ。


 文句をつけるやつがいたら何様だと俺は思うだろう。


 天華が誰もが認める美少女なら、男にとって理想の女の子と言ってもいいのが琴音だった。




 この前のモールでの買い物や映画も一緒に過ごしていて楽しかったし、隣にいても肩肘を張ることもなく自然体で接することができていた。


 波長が合うというのだろうか。幼馴染としての気安さを抜きにしても、俺と琴音の相性はきっと悪くないと思う。


 琴音と付き合えば、きっと楽しい毎日がまっているのだろう。






 琴音が彼女になった未来を、なんとなく夢想した。


 悪くない。いや、むしろ俺がこうなりたいと願っていた、理想カップルの関係に近いように思える。


 そうだ。琴音と付き合えば、きっといつか天華のことだって―――!




(天、華…)




 そこまで考えた俺は、不意に赤い髪の幼馴染のことを思い出してしまった。


 別れ際のあいつの顔を思い出す。今にも泣きそうな顔をして、俺の服を掴んできた天華。


 俺を振ったくせに、必死に縋り付いてくる天華。小さい頃のあいつは、今日のようにいつも泣きそうな顔をしていた。


 あの顔を思い出すと、胸が痛む。




 少なくとも俺の心にはまだ天華がいた。当たり前だ、あんなに好きだったんだから。


 それに振られてからまだ三日と経っていない。だというのに、あっさりと琴音に乗り換えるってのか?あまりにもそれは軽すぎないだろうか。そんな自分を、自分で許せそうにない。






 頭が冷えてきた俺はようやく気付く。


 俺がやろうとしていることは、最低だ。琴音を天華の代わりにしようとしているだけじゃないか。




 琴音が好きなわけではなく、心が弱っている今、誰でもいいから優しくしてほしかっただけなんじゃないか?




 たまたまこのタイミングで告白してきたのが琴音だっただけで、そうでなかったら誰でもいいから甘えたかったんじゃないのか?




 そんな疑問が次々と浮かんでくる。


 今言えることは、琴音の想いにまだ応えることはできないということだけだ。


 ここで頷いてしまったら、不誠実だと思ったのだ。


 少なくとも今の俺には、琴音の想いにまだ向き合えるだけの余裕がない。


 琴音には申し訳ないけど、少しだけ時間が欲しかった。






 もし付き合うことを選んだとしても、天華への想いに区切りをつけてからじゃないといけないと思う。


 少なくとも、俺はまだ自分の気持ちにケジメをつけていない。


 俺にとってのケジメとは、天華の恋を見届けることだ。そう約束もしたのだから。


その時ようやくこの気持ちにも整理がつき、天華への想いも昇華できるはずだと、そう信じてる。




 だから今はまだ、ダメだった。少なくとも、今はまだ。




「琴音、俺は…」




 これを口にすることで、また琴音に泣かれるかもしれないし、離れていくかもしれない。だけど、そうしないと俺は前に進めない。


 これは理屈じゃない。男としての意地だった。




 この気持ちを理解して欲しいなどと、琴音に求めるのは酷だろう。


 俺だって当事者じゃなかったら間違いなく呆れかえる。そんな訳のわからないことにこだわるなと諭すはずだ。


 だけど俺にはそう簡単に割り切れるものではなかったのだ。まぁ簡単に言ってしまえば、俺が大馬鹿野郎だという、それだけの話だった。




 覚悟を持って謝罪の言葉を俺は吐き出そうとしたのだが、それをわかっていたかのように、琴音が穏やかな声で遮ってくる。


「今はまだいいよ」と。いつも通りの優しい声で。




「ここでゆきくんがどんな答えを出しても、それはきっと本心からのものじゃないもの。弱ってるゆきくんにつけこんでるの、分かってるから。卑怯なことをしてる自覚はあるから、今は聞きたくない」




「琴音…」




「だけど、いつか答えを聞かせてくれたら嬉しいかな。それまで私、ずっと待ってるから」




 琴音はどこまでも優しかった。


 まだ言葉にしていないのに、俺の考えを理解してくれていて、待ってくれると言ってくれた。


 なぜだろう。それだけのことが、なんだかすごく嬉しくて。


 何故か熱いものがこみ上げてくる。もう枯れたはずだったのに、どこからか湧き上がってくるその涙を、俺は止めることができなかった。






「ごめん、琴音ごめん…」




「大丈夫だから。やっぱり辛かったんだね。それに、頑張ったんだね」




 ベンチに座りながら下を向き、涙を零す俺の髪を、琴音が優しく撫でてくれた。


 その仕草は今朝の天華と全く同じものだったけど、あの時はただ恥ずかしいだけだった。


 琴音はただ撫でているだけなのに、心が少しづつ絆されていくような気がした。


 なにもかも許してくれるのではないかと思うほどに、それは優しい手つきだった。




「俺、俺ほんとに天華のことが好きでさ…なのに…なのに、なんで…っ!」




「うん、全部聞いてあげるから。全部ここで話して、少しでも楽になろう?それまでずっと側にいるから」




 その優しさがありがたかった。その優しさに救われた気がした。


 そのまま夜が訪れるまで、俺は天華への想いと内に秘めていた劣等感と悔しさ。その全てを琴音に聞いてもらうことになる。




 申し訳ないと思いながら、心の中でごめんと謝りながら。


 最後まで琴音は俺の話を静かに聞いてくれていた。


 それが心の底から嬉しいと思う。琴音への気持ちがこれからどう変化していくのか、俺にはまだ分からない。




 それでも、俺は必ず答えを出そうと思う。琴音の優しさに報いることは、それくらいしかできなかったから。






 ポケットの中で静かに震えていたスマホには、俺は最後まで気付かなかった。

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