過去:7
「こーいちぃ、こーいちぃ……、私の、ヒーロー」
睦月は日に日に狂っていった。
焦点の合わない瞳を虚ろに歪ませていた。
そこは少し暑くなってきた夏になりかけの季節の屋上。
求めるように、すがるように声を上げる睦月。
その声だけ聞いていれば今にも手を差し伸べたくなるようなか弱い少女だったかもしれない。
でも睦月の行動を見れば、そんな思いを起こす者はあまりいなくなるだろう。
睦月がやっていたのは、破壊行為である。
ビリッという大きな音と共に教科書が引き裂かれる。
無残な姿になったそれは明らかな悪意を感じさせるほどだった。
バキッという何かが折れる音と共に手に持っていたシャーペンが折られた。
女の力でシャーペンを折るなんて難しいだろうに睦月はそれを怒りからやってのけた。
ドスツという何を刺す音が響き、ハサミが学生カバンに突き刺さった。
躊躇いもせずに学生カバンに突き刺されたハサミ。その光景は何処か不気味だった。
破壊されていく物達。
それは全て、矢上菜々美の私物だった。
「ねぇ……、私の、ヒーロー」
ふふっと笑って、そんな言葉が口にされた。
「私の光一。私の……、何で他の女と仲良くするの?」
それは何処か、聞く者に異常を感じさせる声色だった。
きっと俺が屋上にきているのも気づきもしていない。それだけ、夢中になっている。
睦月はただ、今はこの場にいない向井光一の事を考えて、破壊行為をしていると事実がかすむほどの弱々しい声を上げた。
睦月の体は太陽の下で震えていた。
微かに震えて、何処までも悲しげな呟き。
そんな呟きを聞いていたのもきっと俺だけだった。
「……うふ、大丈夫。排除すればいいんだ。だって光一は私のなんだもん。私のだから、他の女はいらないんだもん」
だけど、弱々しさを見せたのは一瞬だけだった。
すぐに睦月は歪な笑みを浮かべて、またビリッ、バキッ、ドスッと音を立てながら何度も何度も破壊行為に勤しみ始めた。
俺はただ睦月に声をかける事もなく、ただ見ていた。
向井光一が矢上菜々美と親しくなればなるほど歪んで、狂っていく睦月の事を。
向井光一は睦月にとってのヒーローで、どうしようもないほどの特別だった。
それでも向井光一は睦月の歪みや狂いに気づく事はない。
「うふふふふ」
そして不気味に笑う睦月の弱ささえも、向井光一は見もしないのだ。
言うなれば奴は明るい場所にしかいない人間だ。決して周りの人間が歪んでいく様なんて想像もしない。
そんな、俺からすれば陳腐なヒーローだった。
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