過去:2
「神無月睦月さん」
「………っ」
俺と睦月が初めて会話らしい会話を交わしたのは、俺が睦月を見かけ、興味を持ってから一か月ほど経ったある日のことだった。
夏休みが終わり、始業式を終えたその日。
校長の無駄に長い話に退屈しながら過ごした式や、担任教師やクラスメイトとのつまらない掛け合いを終えた、ホームルームの後の放課後の事。
俺は立ち入り禁止とされている屋上に来ていた。
二年前までこの中学校に通っていた所謂不良と言われる悪友。そいつから受け取った屋上の鍵を使って、晴天の空の下に俺は顔を出したのだ。
そこに、睦月は居た。
夏休み前の一学期、鍵を持ってここにやってきた時に、鍵が壊されていたのは元々気になっていた。
今、屋上にいる睦月を見て俺は確信する。おそらく、睦月がカギを壊して時折この屋上に侵入していたのであろうということに。
普段の睦月の様子を見ている限り、屋上の鍵を壊すなんて大胆なことをするようには見えなかったから、それを思うと余計面白かった。
屋上にいた睦月は、俺が話しかければそれはもう驚くほどに反応を示した。
こちらを振り向いて、どうして此処にいるんだとでもいう風にその目を見開いている。
最も当たり前と言えば当たり前だったのだろう。
睦月は誰も来ないはずのその場所で、狂ったように存在していた。
屋上の影になっている部分に座り込んでいた。そしてその手には誰のものかわからない教科書が握られていた。
睦月はそれをハサミで切り裂いていた(・・・・・・・・・・・・・・)。
ザクッ、ザクッ。
と切り刻まれる音が、その場には響いていた。
その手は俺が話しかけると同時に止まる。
俺がこの場にいる事に心の底から驚いたのだろう。睦月はすぐさま行動に出た。
ハサミを持ったまま、俺に襲いかかってきたのだ。
突進。
その言葉が正に似合う勢いだった。
右手にハサミを手にし、屋上の入口付近に立っていた俺を睦月は狙っていた。
そんな睦月を視界に入れながら俺が感じたのは恐怖何かではなかった。ただ、俺は面白いと思った(・・・・・・・)。
向かってきた睦月を見て、俺は思わず笑った。
心の底から今の現状が、睦月が俺を傷つけようと襲ってくる事実が面白くて仕方なかった。
笑みを浮かべたまま、俺はすぐに反応を示す。
ハサミできりかかってこられて、重症を負うだとか、殺されるだとかそんなのごめんだった。
こんな面白い存在を発見したのだ。
それなのにそれを見る事が叶わなくなるなんて、俺には耐えられなかった。
睦月の振り下ろしたハサミは、俺の顔面を迷わずに狙っていた。
それもタチの悪い事に切っ先は俺の目玉を狙っているように見えた。
初接触の同級生の急所を躊躇わずにハサミで狙うだなんて、頭がおかしいとしか言いようがないだろう。事実、睦月は何処かおかしかった。
このまま俺が対処しなければそれは俺の目に突き刺さる事は目に見えた。致命傷を俺は負う事は予想できる。
もしそれが起これば、失明してしまうかもしれない。下手したら失明どころではなく、出血多量で死んでしまうかもしれない。
そんな状況はごめんである。
俺は右手に持っていた学生鞄で、顔をかばう。そうすればハサミはその学生鞄へと突き刺さる。
俺を黙らせられなかった事に、睦月が一瞬はっとなる。
でも、それでも睦月は止まらない。
すぐさま学生鞄から引き抜いて、またハサミで攻撃してこようとする。
このままやられっぱなしでいるつもりもなかった。
ハサミを持つ睦月の手を空いている左手でどうにか掴む。
その途中で軽くハサミの刃の部分が、俺の手をかすめて赤い血液が溢れた。小さな切り傷ができたが、とりあえず今はそれはどうでもいい。
此処で下手に警戒を緩めば睦月に本気で俺は殺される。それが理解できるからこそ、俺は躊躇いもせずに動いた。
次に睦月が驚いている間に、右手に持っていた学生鞄を手放す。そして空いた手で、もう片方の睦月の手もつかむ。
両手を掴まれた睦月はこちらに敵意を持った瞳を向けてくる。
憎しみに満ちたような、何故自分に大人しく殺されてくれないのかと、そんな思いのこもった歪な瞳が、こちらを見てる。
そのまま、身動きの取れない睦月を抑えつけるかのように地面に押しつける。この状況を誰かが見れば俺が睦月を襲っているように見えるだろう。
上から見下ろすような形で俺は睦月を見る。
その時、初めて睦月の、狂気に歪んだ黒色の瞳をあんなに間近で見た。
見た瞬間、ぞくりっとした。背筋に寒気が通った。
それと同時にどうしようもなく惹かれた。
どうにか拘束から逃れようと必死にもがいている睦月を見て、その歪さのある瞳が真っ直ぐに向けられているのを見て、俺はどうしようもなく楽しかった。
愉快な気持ちで一杯だった。
思わず口元が緩む。笑みを零しながらも俺は言った。
「神無月睦月さん。僕は貴方が此処でやっていた事を別に誰かに言うつもりはないですよ?」
猫かぶったままの、『優等生』としての俺の口調のまま睦月に笑いかけてやった。
その言葉に睦月が一瞬、驚いた顔をした。そんな睦月に、俺は続けた。
「貴方みたいな面白い存在、他の人に言わない方が僕が……いや、俺が絶対に楽しめるから」
あまりにも面白い存在を見つけた事に興奮して、楽しくて、途中で口調が素に戻った。
「寧ろ、俺はお前に協力してやってもいいぜ?」
俺は口元を緩めて笑いながらも、続ける。
「言わないか不安か? じゃあこうしよう、俺はお前がやっていた事を言わない。だから、お前も俺の素を言わない。それで五分五分だろう?」
楽しくて楽しくて、どうしようもなく俺は笑っていた。
睦月は警戒したような目を向けていたけれど、結局それに頷いた。
それが、俺と睦月の一般的に見ておかしな関係の始まりだった。
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