現在1

 異世界にやってきてから、気づけばもう二年も経過していた。

 地球ではない、異世界と呼ばれる場所で俺も睦月も、今、生きている。





「あははははははははははははははははははははははははははは」


 目の前で睦月は声をあげて、笑っている。

 二年前と変わらない、狂気に歪んだ笑み。

 俺に殺人計画を持ち掛けてきた笑みと、目の前の笑みは重なっている。

 それは見る者に恐怖心を与えるには充分なほどに、歪んで、恐ろしいものだった。

 焦点のあっていない目は、虚ろに揺れている。

 口元は歪に歪んでいて、そこから笑い声が発せられるのだから、また怖い。




 そこは、一つの洞窟の中だ。

 サンティア帝国と呼ばれる国がある。この世界でも巨大な面積を誇る国だ。



 その国の南にラフスの森と呼ばれる広大な面積を持つ森があった。

 その森の中には、様々な種類の動物や魔物が住まう。色とりどりの花々や、緑に茂る木々が一面に広がる豊かな森だ。

 そして、自然豊かなその森を横断するように一つの道がある。それは、行きかう人々のために設備されたものである。




 そこから少し南に下った森の奥の方にその洞窟はあった。それは盗賊と呼ばれる男たちの拠点であった。

 その洞窟を拠点にしていた盗賊達は、道を横断する人々から財産を奪っていた。そのため、洞窟内には略奪した物々が溢れんばかりに存在している。




 洞窟の中は薄暗い。

 そこを照らしているのは、外からかろうじて入ってくる太陽の光と側面に取り付けられている蝋燭だけだ。



 さて、行きかう人々を恐怖に陥れていた盗賊たちは、見るも無残な姿へと変わっている。

 恐喝、強奪、殺人――そんな恐ろしい罪を数々犯した盗賊達が馬鹿騒ぎをしたであろうその場所は見る影もないのだ。

 幾人もの男達が、地面にひれ伏せていた。

 赤い血液がべっとりと地面を濡らしていた。その中に体を横たえている男達は既に息がなかった。



 その死体は俺が殺した盗賊達である。

 地面にあるのは死体だけではない。盗賊達が略奪して集めたであろう宝石が無造作に散らばっていた。中には破損されたものも一部見られる。

 売れば相当な価値になるものが、只のガラクタへと変わっていた。

 原型もとどめていないような木箱も視界に映る。先ほど睦月が壊してバラバラにしたのだ。

 それは睦月が暴れた結果であった。金目の物が破損されようとも睦月は欠片も興味を示さない人間だった。

 そんな洞窟の中に、この場には不釣り合いな楽しげな笑い声が響いた。




 「あはははっ」


 睦月の声が木霊する。

 笑みを浮かべる睦月と対峙する男達は正反対の表情だ。

 睦月が何処までも笑顔を浮かべているのに対し、男達は情けないまでに震えあがっている。彼らは数少ない生き残りであるこの洞窟の主たちだった。



 睦月の前に居る男達はみすぼらしい恰好をしている。盗賊という言葉がぴったり合う彼らは今にも倒れそうなほどにその顔を青く染めていた。




「ひいいいいぃいい」

「ば、化け物!」


 その厳つい顔から洩れるのは紛れもない悲鳴だ。

 その身体は可愛そうなほどに震えている。



 情けない声を口から漏らし、ガクガクと膝を震わせている彼らの目に映るのは、紛れもない恐怖心と怯えた心だ。




 それは民間人を恐怖に晒していた盗賊達とはとてもじゃないけど思えないほどの有

様である。そんな姿を奴らから引きだしたのは、この場で笑っている睦月である。




 耳に入ってくる悲鳴など俺は気にもしていなかった。そして彼らに関心もないから特に視線を向ける事さえしなかった。




 ただ、俺は睦月の事だけを見ていた。


 洞窟内に放置された木箱の上に俺は腰かけ、ただ眺めていた。木箱の中身はまだ確認していないが、恐らく盗賊達が盗んだものが入っているだろうとは予想出来る。



 俺の視線の先の睦月は、俺が身に纏っている物と同じような黒装束を着ている。


 返り血がべっとりと服や肌や髪にへばりついている俺と違い、睦月には一切の返り血はついていない。

 汚れ一つついていない黒装束を身につけ、こんな状況で笑みを浮かべている睦月はこの場で酷く異常に見える。




 睦月の戦闘スタイルは近距離で行うものではない。距離が離れていたとしても相手を蹂躙するだけの力を睦月は持っているのだ。

 俺は基本的に刃物を使って人を殺す。だから俺は返り血を浴びてしまっている。



 二年前の、中学生だった頃と比べて睦月も俺も大人と言えるほどに体は成長していた。

 この世界にやってきた時中学生だった俺達も、もう今年十七歳になる。



 最も日の数え方が地球とは異なるから、大体でしか年はわからなくなってしまったけれど。まぁ、そんな些細な事は今はどうでもいい。



 視界に映る睦月も俺同様、男達が図太い声で悲鳴を上げていても事実、無関心だった。欠片も興味を見せずに奴らを蹂躙する姿は見ていていっそ清々しいぐらいだ。



「もー、うるさーい。消えちゃえ」



 無邪気に睦月は言い放つ。

 


 その目はゴキブリか何かを見るような、嫌悪に満ちた表情が浮かんでいた。

 無垢な子供が嫌いなものに対して浮かべるような嫌悪――睦月の顔に表れているのはそれだった。



 純粋で。

 無垢で。

 だけれども残酷。



 不機嫌そうに笑ったかと思えば、睦月が右手を男達に向かって振りかざす。



 その手に、突如それが出現した。

 それは巨大な炎だ。

 それはおどろおどろしい色を持っている。

 それはとぐろを巻いてそこに存在している。

 不気味な輝きを持つそれを見て男達は益々その顔を青ざめさせる。

 それが今から自分達の命を奪う事が状況的に理解出来ているのだろう。彼らの形相はそれはもう必死だった。



「な、何でもするから命だけは助けてくれ!」


 無様に懇願する男が居た。




「や、やめてくれ!」


 情けないまでに体を震わせて媚びるような目を向ける男が居た。




「死にたくない!」



 死にたくないという思いを前面に出した男が居た。



 だけど男達の懇願など、俺や睦月の耳には入ってこない。そ悲痛に満ちた叫び声は俺と睦月に何の意味もなさない。



 睦月は無情だった。

 そして俺は睦月を見るのに夢中で、男たちに興味さえもなかった。




 睦月は、その炎を男達に向かって躊躇いもせずに向けた。

 悲鳴を上げる暇さえ彼らにはない。

 睦月のそれは男達がそうする一瞬さえも与えなかった。



 不気味な、黒を纏った炎がとぐろを巻いている。

 それは男達を覆い尽くした。

 苦しみにもがく声が微かに聞こえたがそれもすぐに、消えていく。



 そんな光景には俺は欠片も興味はわからない。

 俺が真っ直ぐに見ていたのは睦月だけだった。



 自分の力によって命を失っていく男達に無邪気で、無垢な笑顔を向けている睦月だけをただ見つめていた。


「あははは」




 睦月は笑っていた。

 たった今、人を殺したとはとてもじゃないが思えないような楽しそうな笑みだった。

 それがその場に響いていた。



 まるで人を殺すという行為をなんとも思っていないような声だった。

 事実、睦月はそんな事どうでもいいと思っているだろう。

 二年前より歪さの増した睦月。

 俺の好きだった瞳が益々狂気を映しだすのが俺はたまらなく楽しかった。

 同時に俺が睦月と出会った頃望んでいたように、睦月がどんどん狂って言っている様を見れるのがどうしようもなく嬉しかった。

 俺は睦月が狂う事を望んでならない。



 


 俺は地面に落ちている死体―――俺が殺した人間の体を踏みながら、笑っている睦月に近づく。

 自分達が殺した人々になんて俺も睦月も欠片も興味を示しちゃいない。事実、人が死のうが俺達にとってどうでもよかった。




「睦月、終わったし帰るぞ」

「えー、もう? 折角遊んでたのに? もっともっと遊びたいのにー?」



 俺の言葉に睦月は無邪気に答えた。

 無邪気で、子供のような笑み。

 壊す事を楽しんでいる様に俺は思わず口元を緩ませてしまう。



 睦月が楽しそうにしている様子を見ているのは好きだ。こんな状況で心の底から楽しんでいる睦月を見るとどうしようもなく興奮する。

 だけどこれ以上暴れても良い事は何もない。



 そう思った俺は睦月に向かって告げる。



「ああ。もうやる事はやったしな。遊びたいなら帰ってからまた仕事もらえばいい」

「えー…」

「ほら、これやるから機嫌直せ」



 俺は不機嫌そうに頬を膨らませた睦月を一瞥して、腰にかけていた袋に手を入れる。そして中に入っていたチョコレートを取りだして渡す。

 俺の手にあるそれを見た瞬間、睦月は黒目を嬉しそうに輝かせた。

チョコレートは地球にいた頃から、睦月の大好物である。その後、すぐに受け取って口の中へと放り込む。



「おいしい」



 チョコレートを口にした睦月は、はにかんだ笑みを見せる。



 狂ったように人を壊す事を楽しんでいた睦月と今の睦月はとてもじゃないけど同一人物に見える人の方が少ないだろう。

 それだけ睦月は豹変するのだ。



 不思議な事にこの世界は地球との共通点が多かった。チョコレートもそうだ。

 地球と全く同じ物が此処では出回っている。

 この世界では高級品だが、睦月の異常性を知る上司が万が一の場合、睦月の機嫌を直すためにと仕事の度に渡してくる。

 俺としては睦月が暴れてくれても別に構わない。



 寧ろ制限なしに睦月が暴れて、それを見る事が出来るなんて想像しただけでも楽しくて仕方がない。

 それでも俺と睦月は、現状は面倒な事が起こらないようにあまり暴れすぎるべきではない。



「睦月、行くぞ」

「うん」




 口一杯にチョコレートを含んで、幸せそうに食べている睦月は俺の言葉に今度は素直に頷いた。




 睦月と並んで洞窟の外へと出る。

 洞窟の外には沢山の木々が立ち並んでいる。

 空はもう暗い。

 自分達の存在を主張するかのように鳴く虫達の鳴き声が耳に届いてくる。時折響く獣の遠吠えはその場所の不気味性を強調していた。



 そして星の煌めく空には三つの月が輝いている。

 大きさは三つとも異なっている。

 一番巨大な月の色は赤。

 三日月の形をした赤よりも小さな月は黄色だ。

 そして一番小さなものは青色に煌めいていた。




 地球の一つだけだった月とは違う。

 共通点は多いのに、こうやって所々違いがあって面白いと思う。



 俺と睦月が異世界に巻き込まれる形でやってきて二年、俺達はまだ召喚直前に話していた殺人計画を実行出来ていない。

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