異世界で俺とあいつは××を殺す。

池中 織奈

プロローグ

 恋や愛。

 初恋、恋愛、愛情―――そういう単語を聞いて大抵の人間は明るいイメージを抱くものが多いのではないだろうか。



 誰かに恋する事は良い事だ。

 誰かを愛する事は素晴らしい事だ。

 そういう人間は多い。そしてそれは大抵の場合は、正しいと言えるかもしれない。



 愛情にあふれた家族、恋人、夫婦。

 そういったものは確かに世の中には存在している。

 家族を助けるために命を捨てるような人も居る。

 大切な人を庇ってその身を犠牲にする人も居る。

 そういう綺麗で優しく見える愛情も沢山ある事を知っている。



 実際に俺の周りにもそういう綺麗な愛情が溢れてる。周りは恋や愛に目を輝かせ、青春を謳歌していたり、当たり前に家族として親愛し合っている。俺はそんな大抵の人にとって当たり前の愛情が溢れる中で育った。

 だけど俺は、恋や愛というものはどんなに綺麗に見えても、本当は真っ白ではないと思っている。少なからずそこには、執着と狂気が見え隠れしているはずだ。



 愛する人が他の人に取られたくないと執着する。

 時には純粋だった思いが歪んで、狂気が心に住み着き、事件が起きる。

 恋や愛ってのは決して人々が夢見るような綺麗で優しいだけのものではない。

 少なくとも俺はそう断言する。



 当たり前のように幸せな平凡な家庭で育ちながら、こんな考えに至っている俺は一般的に見ておかしいのかもしれない。けど、俺にとって恋や愛というのはそういうものだった。


 実際に、俺の近くに居る少女はそれに狂っていた。

 彼女を見る度に余計そういう気持ちが増した。


 これから語られるのは、愛情に狂い、たった一人の少年に依存していた一人の少女に纏わる物語だ。















「光一があの女の事好きだとか言っていたの」



 まだ中学生である幼い少女――その愛らしい顔が、踊らくほどに残忍に歪む。狂気に満ちた笑み。普通の人が見れば悲鳴をあげてしまいそうなほどの歪んだ笑み。

 その恐ろしい表情は、とてもじゃないけど今年十五歳になる子供が浮かべるものではない。




「光一は私のもので、私のヒーローなのに。幼い頃に光一とね、結婚しようねって約束したの」



 そして歪んだ表情が一転して、幸せそうな笑みが少女の顔に浮かぶ。

 花が咲くような、恋する人を思い浮かべた愛らしい笑み。

 大切な人を、愛する人を語るその姿は、つい先ほどまで酷く歪んだ表情を浮かべていた者と同一人物には見えない。



「ほらドラマとかであるような『大きくなったら結婚しようね』っていうあれをしたの。その時ね、嬉しくて嬉しくてたまらなくて頷いたの」


 少女は幼い頃の大切な思い出を口にして、笑う。

 幸せをかみしめ、その約束した未来を思い浮かべて。

 その微笑みは、見る者をほほえましい気持ちにさせ、応援しようという気持ちにさせるような年相応な笑みだった。


 


 「当たり前だよね。あの頃から私には光一だけだったから」


 でも、次に言った言葉と共に表情が変わる。

 先ほどと同じように”笑っている”のは確かだ。けど、その表情は先ほどまでの幸せな笑みとは違う。

 その丸々とした黒目は、焦点があっていない。





「私には光一だけで光一には私だけでいいのにどうして光一の周りには沢山の人が溢れているんだろうってずっと思ってた。男はまだ許せた。同性愛者でない限りだけど」


 頬を膨らませ、不満を口にする。それだけ見ればただの中学生の少女らしい嫉妬だ。

 だけども、その目は冷たい。危険だと勘の良い者ならばすぐに理解してしまうほどに、歪みしか感じられない冷酷な瞳。


 


「でも女は駄目」


 愛しい者を語る幸せな目は、表情は、消えた。

 そこに居るのは、恋を語る愛らしい少女ではなく、醜い嫉妬を露わにした一人の女。





「私から光一を奪おうとするなんて事をする奴なんて許さない」



 その声は怒気を含んでる。

 低い声は、聞く者に恐怖心を与えるには充分だった。




「ねぇ、何で。光一の周りの女達は今まで私が排除してきて、ずっと光一は一緒にいるはずで」



 ぎゅっと拳を握る。それと同時に何かが折れる音がした。

 それは、彼女の手に握られていたシャーペン。何処にでも売ってあるようなそれは、二つに体を裂かれた。



「それなのに何であの女は光一の傍にまだいるの。光一の傍からあの女が離れてくれるように沢山嫌がらせしたのに」



 中学生の幼い、純粋なはずの少女が口にすべき事ではない。

 何より恐ろしいのは、彼女がそれを本気で、本心から口にしている事と言えるだろう。

 冗談でもなく、少女は本気でそれを口にしているのだ。




「どうして傍にまだいて、私の光一があの女を好きだとかいってるの」



 神無月睦月(かんなづきむつき)。



 それが俺の目の前で狂ったように、延々と言葉を発し続けている少女の名前だった。



 日本人にしては色素の薄い茶色の髪が風に靡いている。



 此処は俺と睦月の通う中学校の屋上だ。立ち入り禁止なはずのその場所に、俺たち二人はいる。

 狂ったように声を発する睦月と、その睦月の話を聞く俺。



 俺と睦月の関係はただのクラスメイトだ。

 ―――学校内以外ではほぼ交流のない友人程度と言える学園の中だけでの付き合いしかない。


 でも俺は、それだけの付き合いの中でも睦月の本性を知っていた。



 そう、だから睦月は俺に本性を隠そうとしない。俺がそれを他人に言いふらさない事を俺との付き合いの中で理解しているからだろう。

 睦月の誰に言っているかもわからない独り言のような言葉たち。それに対して、俺は何も返事を返さない。ただ、睦月の事を、じっと見ているだけ。





「あはっ、樹」



 ふと睦月が、俺の名を呼んだ。



 笑っている。

 でもその表情は、何処か歪で、壊れかけの人形か何かのようだ。



 狂っている。

 おかしい。

 歪んでいる。

 そんな風に言わしめるだけの異常性が睦月にはあった。




 睦月の黒目が真っ直ぐにこちらを見据えていた。




 俺が目の前に居る。そして睦月は俺の事を見ている。でも睦月の俺に対する関心なんて、今、この時、ほとんどゼロに近い。ただ睦月は俺に語り掛けているだけだ。



 睦月の心に、頭にあるのは、たった一人の男のことだけだ。



 その男への愛情が故に、睦月は狂っていて、おかしくて、こんなにも歪に歪んでる。

 その口は不気味に歪んでいる。

 狂ったように、何が楽しいかも謎なのに、楽しげな声をあげてる。



 俺はその表情に怖れを感じていない。

 寧ろ、他の人間が恐れるであろうその表情が俺は好きだった。

 最もそれよりも一番好きなのは睦月の目だ。

 普段は普通に擬態して、欠片も見せないその瞳。だけど時折、確かに狂気を含み、驚くほど歪に歪みを見せる瞳。俺は、その目を見るのが好きだった。



「私ねぇー、いい事思いついたんだぁー」



 そう口にする睦月は、無邪気という言葉が似合う。

 それはまるで新しい遊びを思いついた子供のようだ。

 それに俺は返事をしない。俺が答えないのなんてよくある事だ。だから睦月はとくに気にせずに相変わらず狂気を帯びた、何処か無邪気な笑みを浮かべたまま、続ける。



「消してしまおうって思うんだぁー」



 笑顔を浮かべたまま、恐ろしい事を告げた。

 消せばいいと。



 そしてそのまま、睦月の提案は続く。



「ふふ、あのねー、もう二度とあの女が光一の傍によらないように光一の視界に入らないように光一の声を聞かないように光一の姿を見ないようにするのぉー。

光一を見る目をくりぬきたいの。光一の声を聞く耳をはねたいの。光一に話しかける口を切り裂きたいの。光一の傍に近づく足をボロボロにしたいの。そしてね、光一に二度と近づけないように首を切断したいの」



 あはは、うふふ、と不気味な楽しげな声と共にそんな狂気が語られる。

 黒目が一層の狂気をおびえていた。雰囲気からして異常と言えた。

 そんな睦月を見て、俺は楽しくて面白くてたまらない(・・・・・・・・・・・・・)。




「実行するのか? やるなら手伝うぞ?」

「あは、だから樹って好きー。友人としてだけどー。もうねー、ばっちり計画してるんだー。ふふ」


 俺の言葉に睦月は満足気に笑った。ああ、狂ってる。何処までも本気で狂っている。その瞳が俺を見つめていて、俺は楽しい。

 笑った睦月は、俺を見て続けた。




「明日、あの女を殺す」



 それを言った時の睦月の顔は、それはもう俺が見た事ないってぐらい楽しそうだった。




 だけれども結局、俺と睦月はそのことを実行することは出来なかった。

 それも『勇者』と『聖女』の召喚なんていう馬鹿げたものに巻き込まれてしまったせいだった。

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