夜が明けても、君がいて(後編)
「久しぶり、だな」
俺はバンブラーの森で、彼らと再会していた。
「この間の戦いでは、協力してくれたらしいな」
「あの戦いは、俺達の戦いでもある。それに決着をつけただけだ、元リーダー」
そう、離れていってしまったワーウルフの四人と。
「やっぱりあの爆発は、元リーダーの力だったんだな」
「それにクーナも……牙を折られたのに、戦えるようになったのか」
「ああ」
ウルに、ライラに、アブラムに、ゲヒュー。俺とクーナは、その四人と今、再び向き合っているのだ。
「……帰ってくる気は、ないか?」
「元リーダー、俺達は新しい群れで、この森でやっていくと決めた。俺達は、また元リーダーが眠りについている間、きっと我慢できなくなるから」
「そう、か」
複雑な気持ちだ。
俺の強制睡眠、誰もが受け入れてくれるわけじゃない。
もっと先に歩んでいきたいと。別の道を歩みたいと。そう思う奴がいて当然だ。
「元リーダーの事は、今でも好きだ。強いし格好いいし、俺達に優しい。あんまり顔を舐めさせてくれないのは不満だけれど」
「……すまんな」
彼ら四人の新たなリーダー、ウルは、どちらかといえば狼よりな見た目でそんなことを言う。ああ、顔舐めに関しては……もう少し、譲歩してやるべきだったか。
「元リーダー。俺達には、森での暮らしがきっと似合ってる。クーナや他の皆は新しい寝床に慣れても、俺達は慣れなかった。ただ、それだけだ」
そうしてウルは、真っ直ぐに俺を見つめて。
新たなリーダーに相応しい風格と、ワーウルフの誇りをもって、告げる。
「もう、行く」
「……最後に、わがままを言ってもいいか?」
短い間だったが。
最初は、クーナに無理やりリーダーに祭り上げられただけだったが。
「撫でさせてくれ」
俺自身、お前たちの事を大切に思っていた。
抱き抱えるように引き寄せて、その頭を撫でる。ウルも、他の皆も抵抗せず、向こうからも俺の頬にすり寄ってきてくれた。
クーナも、泣きながら彼らと抱き合う。
クーナは何も言わなかった。俺と違って泣き言一つ漏らさず、けれど愛しい仲間達との、別れを惜しんで。
「森に帰る。元リーダー、クーナ。きっと、また会える」
「ああ。たまにまた、会いに行く」
「その時には、クーナとの子供を見せてくれ」
と、最後にちょっと面食らう事を、真剣な目で告げられる。
「あ、それは……約束は、できんが」
「元リーダーは、贅沢だな」
最後に、ウルはそう言って笑って。
さっと踵を返し、森の奥へと、駆けて行った。
振り返ることもせずに、颯爽と。
「……さらばだ」
俺のそんな小さな呟きに返すように、森の奥から遠吠えがする。
クーナもそれに、一度だけ、吠えて返した。
やがてそれも、木々のざわめきの中、溶けて消えていった。
「ウルは、私の事が好きだったんだ」
「えっ」
それは、初耳だ。
「カイに出会わなかったら、あいつとつがいになっていたかもな」
クーナは、そう言って俺を見た。
その目には、もう涙はない。
「……俺で、よかったのか?」
「何がだ?」
「俺との出会いが魔王軍との戦闘でなければ、俺は、お前たちのリーダーになることもなかったのに」
そう、俺は強いから彼らのリーダーになれた。
そういう巡り合わせだったから、たまたまそうなっただけだ。
なら本当は、あいつが今頃、クーナの隣にいたはずで。
「……カイ、お前何か勘違いしてないか?」
「え?」
「私がお前を選んだのは、別に強いからってわけじゃないぞ」
そんな俺の想像は、あっさりと否定された。
「え、強いからリーダーに……つがいになってくれって、お前」
「何言ってるんだ。強いだけで私のつがいになれるなら、魔王軍のオークだって今頃私のつがいだ」
あ、ああ、まあ確かに。
「私は、お前に惚れたからつがいになりたいと思ったんだ」
クーナはちょっと呆れるように、けれどどこか照れ臭そうに、頬を染めて。
「今更、何言ってるんだ」
「……お前、だって、あの時俺達は初めて出会って」
「何だ、一目惚れしちゃ悪いのか?」
クーナはつんと、そっぽ向くように顔を逸らす。
「私、容姿には自信があったんだぞ? 私がつがいになってくれって頼めば絶対断られないと思ったのに」
「お、お前、そんな自信家だったのか」
まあ、その自信に見合った容姿であることは間違いないんだが。
「カイは贅沢だ」
「それは……まあ、否定できんな」
そう言って、俺は彼女の背中に、手を回す。
「今だって、あっ」
これ以上の、言葉はいらないだろう。
この間、自分の従者にも諭されたことだしな。
「んっ」
目の前に幸せを並べるだけ並べて、噛みしめもしないなんて馬鹿げている。
ウルとの約束。ああ、そうだな……あるいは本当に……。
「ま、待てカイっ!」
「えっ」
そうして目の前の愛しい少女を噛みしめようとしたら、何か、待ったをかけられて。
「あ、その……悪い。今は……その」
「えっ!?」
今日の俺『えっ』て言ってばっかりだな! というか拒絶されるなんて思わず、結構ショックで……。
「抜け駆けは、ダメ、なんだ」
またこの流れ!?
え、いやちょっと! 森の中でいい雰囲気で……その、どうして。
「こ、この流れでお預けなのか?」
「あ、その、スマン。カイの事は勿論好きなんだが」
そうしてちょっと俯き加減で、頬を染めたまま上目遣いで。
「……皆の事も、大好きだからな」
その様は、とんでもなく愛おしくて。
「なあ、その」
「だっ! だからダメだって言ってるだろっ! ちょっ、カイっ!」
「ちょっとだけ」
「ダメだっ! こらっ!」
五分粘ってみたけれど、ダメでした。
ああ、全く。皆の結束が強くて俺は誇らしい。思わず涙が出てしまう。
――そうしてお預けを食らってから、夜は更けて。
「兄さんにはいい薬ですね」
ふふふと楽しそうに笑う、俺の妹。
俺の部屋で二人で紅茶を楽しむ、いつもの流れ。
「誰彼構わず噛みつこうとするからですよ」
「そんなことはない。ちゃんと、噛む相手は選んでいるつもりだ」
いつの間にかクーナとの森での出来事がマリエの耳にも入っていた。勿論俺からは言っていない。全く、一体どこから漏れたのか。
ああそれと、ここでの『噛みつく』は、吸血鬼的には『食べる』とほぼ同意義だ。
具体的な意味でも比喩的な意味でも。
「でもまあ……あまりお預けするのも可哀そうですかね」
マリエはそう言っていつものように、ゆっくりとした動作で、紅茶をたしなむ。
そう、いつも通り。
いつもと違う事があるとすれば、いつもは昼過ぎのこの日課が、今は夜だということか。
「兄さん……どうか落ち着いて、聞いてくれますか?」
「……ああ」
戦いが終わってからも、ずっとお預けされていた、あの話。
俺とマリエの、血のつながりに関しての、話。
「本当は知らずにいてくれれば……いえ、今更もう遅いですね」
そうだな。お前の血の匂いを知ってしまった今ではもう。
「予想されていたと思いますが、私と兄さんには……いえ、私と
わざわざマリエは、俺のことをあなたと言いなおして。
予想していたことだったが……やっぱり、ショックだ。
「そう、か」
「はい」
それ以外に、まあ、ないだろうな。
俺の中には一滴だって流れていない、あの甘い血の理由は。
「マリエ、お前はマキエ母様の連れ子だったのか?」
考えられるのは、マリエが人間だったマキエ母様と他の吸血鬼との間に生まれた子という可能性。
父様は再婚だし、あちらも再婚だったのだろうか?
「いいえ」
けれどマリエは、そんな想像を静かに否定する。
「私は連れ子ではありませんよ」
「連れ子では……では、まさか父様が」
父様が、俺の母様でもマキエ母様でもない、他の誰かとの間に産ませた子、だというのか?
「いいえ」
だが、それも否定され……。
「私は正真正銘、ブルーダラク家前当主、カイエン・ブルーダラクと、人間のマキエとの間に生まれた娘です」
「……え?」
……それは、予想外の答えだった。
「私は、ブルーダラク家の長女。ブルーダラクの、唯一残った正統後継者です」
「……いや、待て」
なんだ、それは?
「マリエ、お前……父様の血が流れているのか? 正統後継者……あ、いや、父様、カイエン・ブルーダラクがブルーダラクの正統な血筋ではなかった?」
「いいえ」
マリエは、俺のそんな言葉も、否定して。
「違うんです、兄さ……カイさん」
「……どう、いうことだ?」
いや、聞かずとも、見えてきていた。
もし、もしも。
マリエの言っていることが、本当なのだとしたら。
「あなたは……あなたには、ブルーダラクの血は、流れていません」
それが、真実だった。
「……俺は、誰だ」
椅子に座ったままで。
けれど、何故か宙に放り出されたような、いやな浮遊感の中で、聞く。
「……それ、は」
「聞かせてくれ、頼む」
俺は、知らず知らずのうちに手に汗をかき、呼吸も乱したまま尋ねる。
「……カイさん。あなたの母親は、あなたが知っての通り、エバーソン・ブルーダラクです。旧姓エバーソン・コールロード。吸血鬼の名門であるコールロード家の令嬢でした」
ああ、それは、分かっている。
俺の母様。エバーソン母様。
「連れ子は、俺のほう、なのか……なら、父親は? 俺の、父様、は?」
「……」
マリエはうつむいたまま、けれど、意を決したように、その名を告げた。
「アレクセイ・コールロード、です」
「なっ!?」
俺は思わず、椅子から立ち上がる。
そんな……そんなバカなっ!? だ、だって、その名はっ!
「あいつがっ……お、お前を手籠めにしようと企てたあの男が、俺の父親だと!?」
そう……。
かつて父様と母様……いや、マリエの父様と母様が権力争いの中殺され、その間にマリエと婚姻を結ぼうとしていた男の、名だ。
「ば、かなっ、そんな、バカなっ!」
「にっ、か、カイさん! 落ち着いて!」
崩れ落ちそうになる俺を、マリエが咄嗟に抱きかかえる。
「お、落ち着いて、聞いてください」
「あ、ちが、違う。そんなの、何かの間違いだ」
「……」
無言で、俺を抱きかかえる少女は、俺の言葉を否定していた。
「一度、座りましょう」
マリエは椅子ではなくベッドに俺を運ぶ。俺は、もはやされるがまま、自分のベッドに腰掛けた。
「アレクセイ・コールロードは、かつてエバーソン・コールロードを使って、内部からブルーダラク家を乗っ取ろうと企みました」
それは……俺の知らない、野心家の謀略の話。
「カイエンの嫁となるコールロードの娘に自分の子種を仕込み、そうしてブルーダラク家を、根本から断とうと考えたのです」
なんと、悍ましい……。
「ですが、エバーソンはそんな身でありながら、最後にコールロード家を裏切って、ブルーダラクについたと聞いています。カイエンはエバーソンを愛し、そして彼女もまた……彼を愛した」
「かあ、さまが」
「ええ。あなたを産んで亡くなってしまいましたが、彼女の思いは、カイエンにも受け継がれます。あなたは、ちゃんと愛されて、カイエンの下で育てられました」
それは……知っている。
父様は、ちゃんと俺を愛してくれていた。それは、知っている。
「やがてカイエンは再婚し、私が生まれます。そこからは、あなたの知っている世界です」
「……教えて、くれ」
俺は、触れたくない……けれど、一番の核心に、触れる。
「父様と母様……いや、お前の父様と母様が殺されてからの事。俺が、寝ていた時の、話を。真実、を」
そうだ。俺が寝ている間に、全てが終わっていたのだ。
俺が、吸血鬼達の、君主となる前の話。
「……恐らく、カイエンとマキエを殺したのは、あの男でしょう。証拠はありませんけれどね。そうして邪魔者がいなくなった後で、ブルーダラクの正統な血筋を持つ私を嫁に迎えようとした。最終的には、折を見てあなたに出生の秘密を話し、全てを乗っ取る計画だったのだと、思われます」
そういう、事か。
ブルーダラクは事実上奴の血筋となり、俺の力も、奴のモノになる。
そうなれば誰も奴の支配に異を唱える者はいなくなっただろう。
「そんな……あんな、男がっ」
今でも覚えている。
すんでのところで、マリエをあの男の毒牙から守った時の事を。
ベッドに押し倒され、服を破かれて悲鳴をあげるマリエから、アイツを、引きはがした時のことを!
「あんなクズが、俺のっ……そんな、なら、俺、は……俺の、せい、で、父様と母様はっ!」
「違います」
冷たくなっていく体を、温めるように。
ぎゅっと、小さな少女の体が、俺を抱きしめた。
「マリ、エ」
「あの日
燃えるような、その赤い瞳で、俺を見つめて。
「あの日……私が全てに絶望しきっていた日。私が押し倒され、抵抗も虚しく手にかけられようとしていた時に、あなたが現れたんです」
そう言ってから、頭をトスンと、俺の胸に乗せ……。
「だから、自分を責めないでください。自分を、悪し様に言わないでください。あなたは……あなたがいたから、私は、救われたんです」
マリエも、震えていた。
それは、ひょっとすれば、俺以上に傷ついているようにも見えて。
「……お願いが、あります」
「願、い?」
「はい」
マリエは顔をあげ、その凛々しい顔を、美しい顔を、真剣な色で染めて。
「私と、結婚してください」
「ッ!」
そう、申し出る。
「そうすれば、あなたは正式に、
「お、まえっ!? まさか、最初から、そのつもりで」
最初から。
俺との子供が欲しいと言っていたのも、ブルーダラク家の繁栄のためと言っていたのも、まさか、まさか……。
この、ために。
「私と、本当の家族になってください」
本当の、家族。
それは……今の、何もかもを失ってしまったかのような、この心の喪失を埋めるには、あまりに甘美な言葉だった。
「あ、お、れは……俺、は……」
すがりたくなる。手を伸ばしたくなる。
だがそれは、汚れたこの出自で、マリエに手を付けるという事。
あの男の野望を、ここで、完遂させてしまうという事。
「俺、はっ!」
俺は、どうすればいい?
俺は、どうしたらっ……。
「なんて……」
「……え?」
「兄さん、難しく考えすぎですよ」
目の前の少女は、さっきまでの張りつめた空気を抜いて、どこかいっそ気楽に笑う。
「あーあ、本当は、とっておきの口説き文句だったんですが」
「え、あ、マリエ?」
「安心してください。結婚なんてしなくても、あなたは私の兄さんです。正式に」
「えっ!?」
え、いや、何言って……。
「冷静に考えてください。確かに血のつながりはありませんが、兄さんは正式にカイエン・ブルーダラクに養子として迎えられています。ですから本当に兄さんは私の兄さんですよ」
「あ、そ、か……」
そう、だよな。
俺の母様、エバーソン・コールロードが俺の本当の父親を明かしていたのなら、それ相応の対応をしているよな。当たり前じゃないか。
「本当の家族、だなんて……その言葉に怯えていたのは、むしろ私の方です」
「え、マリエが?」
「ええ。覚えていますか? 兄さんがあの男から、私を引きはがしてくれた時の事」
「あ、ああ」
それは俺の、本当の父親、アレクセイがマリエを手籠めにしようとしていた、まさにその時だ。
俺は覆いかぶさる奴を引きはがし、マリエを、抱きしめた。
「あの時、兄さんの肩越しに、私はあの男の顔を見ていました」
「アレクセイの、顔?」
「ええ。野心家で、強欲で、悪逆の限りを尽くした男が……けれどあの時の顔に、怒りも、憎しみも、恐怖も、そんなものは何一つ、あの男の顔には宿っていませんでした」
自らの野望を砕いた俺に、怒りも、憎しみも、ましてや恐怖すら感じていなかった?
ならば、一体……。
「悲しさと、寂しさです」
「な、に?」
「自分の息子と敵対してしまった、父親の後悔の顔でした」
俺は、思わず、目を見開いた。
「意外でしょ? あの変態クソ畜生が、あのロリコンジジイが、兄さんにだけは優しい目を向けていたんですから」
「そ、その言い草は……ああいや、全力で同意するが」
「あれには、参りましたよ。あのアレクセイがそんな顔するなんて思ってもみませんでしたから。ああ、これが本当の家族の絆かあ、って。すごく、羨ましかった」
そうしてマリエは、困ったように笑って。
「私はもう、失ってしまったものだと気づきましたから」
「ッ! そんなことっ」
「だから私は兄さんとの関係に、肩書きにこだわったんです。バカですよね。そんなものなくても」
「あっ」
俺の言葉を、その唇が遮って。
「……兄さんが、私を大切に思っていてくれることなんて、知っていたのに」
「マリエ……」
「この世界で、いつまでもつまらないしがらみに捕らえられていたのは、私の方でした」
ベッドのシーツが、寄り添う二人の重さで、沈む。
「兄さん……こんな私ですが、それでも私は……兄さんと、あなたを呼び続けても、いいですか?」
「……ああ」
抱き寄せ、思いの限り、俺は彼女を、妹を抱きしめた。
「ああっ!」
こんな俺でも……。
自分を襲った男の息子だと知ってもなお、俺を愛しい兄と呼んでくれるのなら。
俺は、お前を。
「マリエ……」
「兄さん……」
互いの唇を、重ねる。
思えばマリエには前に唇を奪われているが、互いに求め合うのは、これが初めてだった。
遠慮がちに、けれど熱い、そんな少女の、愛おしくなるようなキス。
「マリエ」
「あっ、兄さ……」
「一つに、なろう」
俺は、ぱさりとベッドに優しく、妹を押し倒す。
「好きだ、マリエ」
「あっ」
もう、妹だとか、恋人だとか、家族とか、そんなものを全て超越して、ただただ、愛しい彼女と一つになりたい。
それが今、俺の心を満たす全てで……。
「ダメです」
「えっ!?」
えっ!? って、心の声が思わず本当に声に出たぞ!?
「抜け駆けは禁止ですから」
「お前もかっ!?」
う、嘘だろ!? こんなところでお預け喰らうのか!?
「全く。兄さん? ムードは最高ですけれど、他の女の血の匂いが充満した部屋でそんなこと言うのは、マイナス五十点です」
うぐあああっ! 吸血鬼的にはぐうの音も出ない正論だけどさっ!
「でも、そうですね。兄さんが私に愛を囁いて、それで私の心が動いたら、してもいいですよ?」
「あ……愛してる、マリエ」
「はい」
「お前が、好きだ」
「はい」
「今、俺の瞳には、お前しか映らない」
「ああ、もう一声」
「お前は俺の愛しい」
「もういいか?」
がちゃり、と、何の遠慮もなく、声と一緒にこの場の空気を壊していく少女。
「……クーナ?」
「カイ、お前もなかなか節操ないな」
ドアを開けて部屋に入ってきた、ちょっとこめかみのあたりをぴくぴくさせていらっしゃる、俺の愛しいワーウルフ。
「日が出ている間はあれだけ私を求めておきながら、日が暮れたら妹に愛を囁くのか? そうかそうか、なーるほどなあ」
あ、いや、その……やば、さっきとは違う意味で心が追い詰められる。
「ふふっ、そうですかそうですか、昼はクーナで夜は私。いい御身分ですね。吸血鬼の王様は」
さらにマリエの笑顔の追撃で……あ、お兄ちゃん胃に穴が開きそう。
「まあ、我慢させた分、たっぷり飢えを満たしてあげますから」
「……えっ」
「私も、その……そのために来たんだ」
クーナもちょっと恥じらいながら、顔を背けつつ、俺の傍に寄り添う。
温かな妹と、柔らかい狼少女に、俺は挟まれて。
「さ、兄さん」
「カイ……」
互いに吐息のかかる距離で、二人は甘く囁いて。今にも手を出してしまいそうになる、んだが……。
「その、す、凄く嬉しいんだが……その」
「あ、あはは。す、すみません、城主様」
この場に、もう一人いるんだが。
「リダリーン?」
「ええと、お邪魔、ですよね……わ、私なんか、その……」
クーナと一緒に実は入ってきていたもう一人の美女。
その清楚なスカートの下に、七本もの触手を隠すヒュドラーサキュバス。
「ほら兄さん」
「カイ、どうした」
「えっ!? い、いや、この場をどうしろと」
何故か二人にも促されるような空気で。
「私達もう約束しちゃったんですよ。抜け駆け禁止って」
「だからリダリーンも混ぜないと始められないぞ」
「……前から思っていたが、そのルール何なんだ?」
俺は複雑な思いを抱えつつも、一人ポツンと自信なさげに佇む彼女を放っておくわけにもいかず、声をかける。
「リダリーンも、その……混ざりに?」
「えっ!? い、いえそのっ! そ、それは出来ればそうしたいんですが……あの、それとは別と言いますか、一緒と言いますか」
何やら歯切れ悪く、自分の亜麻色の髪をいじりながら言いよどむ彼女。
「城主様……その、申し上げにくいのですが、城主様の吸血行為について、言っておかなければならないことが」
どうやら、彼女は医者の立場でここにいるらしい。
「城主様の吸血行為で、ティキュラが少し、体調を崩すかもしれません」
「ッ!?」
それは思いがけない……いや、予想できる結果だった。
「あ、ええと、城主様が吸いすぎという事はありません。城主様がティキュラや他の二人をよく気遣っていることは分かっていますので」
「兄さん、これは、私がティキュラの血を吸って分かった事なんですよ」
俺の隣から、マリエもそれに続く。
「ティキュラは血の量も多いですし、特別血を失ってすぐに体調を崩すということもありません。ただ、血の量が元に戻るのが少し遅いみたいです」
「血の戻りが遅い……長く不調が続くという事なのか?」
「いえ城主様。彼女は血を失っている時間が長くても体調を崩すことはありません。ですがそれを考慮しておかないと、血を吸いすぎてしまうと思いましたので」
ふむ、血を吸うのは問題ないが、失った血が戻るのは遅いので、噛む頻度を抑えなければいけない、という事か。
「分かった、肝に銘じておこう。よく知らせてくれたな」
「あ、い、いえ。ですがその、まだありまして」
な、何だ? やはりその、吸血行為が他の二人の体にも悪影響を与えているのか?
「城主様、吸血行為が足りなさすぎます」
「……え? 俺か?」
「はい……城主様、この間血の圧縮術で荒野を薙ぎ払われましたよね? あれで、これまで城主様があの三人から吸い上げた以上の血を、放出なさってますよね?」
あー……いや、それは。
「城主様、我慢が過ぎます! 医者の立場から言わせてもらえば、あなたは自分の体調をもっともっと気遣ってください!」
「だ、そうですよ」
「だ、そうだぞ」
ああ、その、いや……まあ、医者にはばれてしまうか。
俺の血を操る術。アレにも体の血を使う訳だが、威力をあげるには当然、量が必要になる。
そして放出した分は、補給しなければ釣り合いは取れない。
俺は無限再生のおかげなのか、これで体を壊したことはない。だが普通の吸血鬼は、血を放出しすぎれば最悪死の危険がある。
そして俺の体は、もっともっと、大量の血を欲している……。
「それで、その……私の来た目的は、城主様に血をお捧げしようと」
リダリーンはそう言って、彼女の服を、首筋が見えるようにはだける。彼女の美しい鎖骨と、胸に至る綺麗なラインが、はっきりと見て取れて……。
「だがリダリーン、それは」
「あっ! わ、分かってますっ! お二人の邪魔はしませんからっ!」
「えっ」
「吸血鬼にとって、血を吸うという行為は心の大切な部分をしめていると知っています! な、なので、私のことはただの血液提供者だと思って下さい! 決してそのっ、厚かましくそのポジションに滑り込もうだなんて思っておりませんのでっ!」
……成程、妙に後ろめたそうだったのは、そのためか。
医者として、医療行為として申し出ていたとしても、俺の女になるために近づいたと疑われてしまうと。そんな風に思ったらしい。
やれやれ。
「あまり俺の仲間を侮らないでくれ」
「えっ、じょ、城主様!?」
俺は立ち上がって、ささっとリダリーンの前まで進み出て。
「きゃっ!? え! 何をっ!?」
「俺の仲間は、仲間の訴えを疑うような連中じゃない。無論、俺もだ」
「ッ!」
俺は美しいサキュバスを、お姫様抱っこで抱えながら、続ける。
「それに言葉を返すようだが、君の体だって同じじゃないのか?」
「あっ、い、いえそのっ、そ、それは……その……」
「医者の不養生、だな」
同じサキュバスのミルキ・ヘーラから聞いているぞ。
吸血鬼にとっての血のように、サキュバスにとっての精は、欠かせないものらしいじゃないか。
「俺と、取引しないか?」
「えっ?」
「君が血液提供者を名乗り出るのなら、俺が君の精の提供者に名乗りを上げる。お互い知りあってまだ間もない間柄だが……互いに心の大切な部分を、互いの心で満たしあおう」
そうして俺は彼女を、ベッドに運ぶ。顔を真っ赤にさせ、借りてきた猫みたいに、俺の腕の中で手足をぎゅっと縮めて丸くなっている彼女を。
「君が俺の仲間を助けてくれたように、俺は君を助ける。そして……いや、それ以上に。俺が君を愛おしいと思う気持ちを、ここで受け取って欲しい」
彼女は抱かれながら、火照った顔で、俺を見上げて。
「それで、どうだ?」
「……は、はいっ、不束者、ですが」
「ああ、よろしくな」
とびきりの、亜麻色の髪の美女にキスをして。
そうしてベッドに、横たえる。
「……相変わらず、鮮やかなお手並みで」
「カイ、お前今までどれだけ女を口説いてきたんだ?」
さあ、百から先は数えていない。
「というか今更だが……三人一緒で、いいのか?」
「ホントに今更だな。私はいいぞ。リダリーンもマリエも、私は好きだ」
ワーウルフのクーナは、そう言って二人のほっぺたを舐めて。
「わ、私は……あ、あの、私……本当に、いいん、ですか?」
「リダリーン、君は君が思っている以上に、魅力的だよ」
言っておくが、本気で君には感謝しているんだぞ? 君がいなければ今頃、俺達は全滅していただろうし。
誰かを助けたいという、彼女が思う当たり前が、どれだけ俺達を救ってくれたか。
それこそ俺が神に感謝してもいいくらいには。
「やれやれ、こんな風にあちこち手を出しておいて言う事じゃ……いえ、私も、ティキュラ達の仲に割って入ったんですから同罪ですね」
マリエは、ふっとそう言って苦笑して。
「権力争いなんてもう御免です。醜い正妻争いをするよりは皆で平等に……いいえ」
俺に、キスをして。
「私も、ティキュラとアンリとミルキィの事、好きですから。勿論クーナに、リダリーンもね」
そうして二人にも、キスを。
「人にはキスするなと言っておいて、お前だってやってくるじゃないか」
「ふふ、すいません。一番のキス魔の前だと、忘れてしまって」
「一番?」
そうしてクーナは、ああ、と言葉を繋いで。
リダリーンは、まあ確かに、とこっちを振り向いて。
「ねえ、キス魔の兄さん」
ああ……そうだな。
「あっ! にい、さっ! んっ!」
俺はマリエの首筋に、マリエは俺の首筋に噛みついて、互いを貪りあって。
「ああっ! カイっ! んああっ! カイっ! 好きっ!」
クーナは俺が噛んでいる間、俺のうなじをぺろぺろと愛おしそうに舐め続け。
「あああっ! 城主様っ! あああっ! 城主様あああああっ!」
リダリーンは、何故か泣きながら、いつの間にか伸ばしていた七本の触手で、俺の全身をからめとって。
「ああっ、兄さんっ! ああっ!」
「カイッ! も、もう、我慢できないっ!」
「城主様。どうか、私の思いも……受け取ってください」
三者三葉に燃え上がり、この日の夜も、更けていくのだった。
――
……で、夜が更けて終わり、ではなく。
「兄さん」
甘いまどろむ空気の中。俺の愛しい妹は、俺の手をそっと握り。
「ありがとう、ございます」
何が、とは、聞かなかった。
「俺も、同じ気持ちだ」
「ええ」
手を握り合って、優しく、キスをする。
家族の絆。それは、とても大事なモノなのだろう。
だが、それ以上のものだって、それと同じように価値のあるものだって、きっとあるのだ。
今俺とマリエが、互いに手を繋いで、噛みしめているもののように。
「カイ、私も」
「ああ」
ぺろりと、俺の顔を舐めてから、少女は琥珀色の瞳で俺を見つめてキスをする。
「お前は、ずっと一緒だ。離れ離れになんか、なったりしないからな」
短い間に多くの別れを経験した彼女は、けれど悲壮感ではなく、笑顔で、そう口にした。
ああ、俺も、お前とずっと一緒に居たい。頭を撫でてやると、クーナは嬉しそうに、とろんとした目を浮かべる。
「ああ、城主様……好き、好きぃ……」
「リダリーン。俺もだ」
「あはあぁー」
幸せそうに、俺の胸板に頭を預けた美女が言う。彼女は夜更けまで、何度も泣いていた。嬉しいから、と本人は言っていたが、その涙の理由は、俺にはまだ分からない。
分かるようになりたい。彼女の体から伝わる温もりが、そう、思わせてくれる。
「愛して、います」
ちゅっ、と、俺の顔に伸びてきた触手でキスをする。
変わっているが、それが彼女の愛情表現の一つだ。俺は彼女を受け入れたように、それも当たり前のように受け入れた。すると彼女はまた嬉しそうに、笑ってくれるのだ。
「ああ、城主様」
「カイ」
「兄さん」
とろんと、こんな甘いまどろみをさらに甘くする空気に、俺もまた、溺れるように浸って……。
「ってこらあああああああああっ! いつまでやってんですかあああああああっ!」
バアン! と、勢いよくそんな空気は消し飛ぶのだった。
「ちょっと、ティキュラ何よ。今回は私達で兄さん貸し切りにしていいって言ったじゃない」
「もうお昼なんですけどっ!? ホントにいつまでやってんですか!?」
「だってねえ? 兄さん絶倫だし」
「関係なあああああいっ!」
ぷんすかという擬音が聞こえてくるくらい真っ赤な顔で怒るティキュラに、ちょっと顔を赤らめて困った感じのアンリ。そしてふふふとほほ笑むミルキ・ヘーラが。
「い、いやあその……私達も、ね? こう見せつけられちゃうと」
「混ざりに来ましたー」
アンリは長々と、ミルキ・ヘーラはサクッとここに来たわけを説明していく。ああ、成程。俺にとっての天国続行か。
「ってちょっとミルキィ! だ、だから私はっ……あ、え、えと、カイさん。その、あの、ですね……」
「あ、ええと、その……ま、まだ、体の方は、大丈夫ですか?」
顔を真っ赤にするティキュラとアンリ。
そうやって初々しく照れてくれると、みるみるうちに元気になりますとも、ほら。
「あ、城主様。適度に水分の補給と休憩を入れてください。いくらたくましい城主様でも無理は禁物ですから」
と、突然医者の顔になるリダリーン。さっきまでの蕩け切った顔を一瞬で引き締めるあたり、やっぱりプロだな。
「私の触手から、お飲みください」
そんなこと思っているとちょっと斜め上の事言われる。今の表情は……ええっと、これはそういうプレイなのか医療行為なのか、判断つきにくい。
「ふふふー。御当主様、簡単に食べられる携帯食もありますよ。それで私にも、お食事させていただけると嬉しいのですが」
こっちのサキュバスさんも、目にハートをしっかり入れて舌なめずり。ああ、いいぞミルキ・ヘーラ。俺にも食べさせてくれ。
「全くはしたない。もうちょっと慎みを持って欲しいものです」
「マリエ、お前も十分あんあん鳴いてただろ」
「なっ!? そ、そういうクーナこそっ!」
そうして二人は言い争いながら、俺の両サイドから迫ってくる。そこのポジションを動くつもりはないと言った感じで。
「だーかーらー! もう交代っ! っていうかマリエっ! あんなシリアスしてたのはどうしたのよっ!?」
「見てわかるでしょ?」
「あーもー良かったねっ!」
ティキュラ、お前……マリエの抱えていたこと、多少なりとも知ってたのか?
もしそうだとしたら……。
「お前が、こんなに心を許せる仲間を持ってくれたようで、嬉しい」
「な、何ですか兄さん……それを言うなら、兄さんにだって、そっくり返します」
俺がマリエに兄の顔をしていると、マリエは妹の顔で、俺に返す。
「兄さんがこの世界で幸せそうで、何よりです」
ああ、それについては全く、反論の余地なく……その通りだな。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名、ワーウルフ21名、ワーダイル60名
従者:ベーオウ
同盟:大魔王ガルーヴェン
従属:なし
備考:魔王軍との戦闘、決着
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