甘美な酔いを醒ますのは



「はっはっはっ! いいじゃねえかっ! 飯はうめえし女もいい! 気に入ったぞ!」

 ガルーヴェンはこの上なく上機嫌にそう言った。その言い草は……アレだな、何か人間達の歌にもあったなそんなの。天国の基準は人間もモンスターも同じという事か。


「あまり我々を侮られても困ります。サキュバスがいることは事前につかんでいますし、これでも魔法への抵抗は得意なのですよ。たぶらかせるなどとは思わないことです」

 一方黒い獣人の彼はコップに口を付けながら余裕の表情。ほう、魔法への耐性があるのか。現実世界あっちでは魔法耐性があるものはそこそこに希少な筈だが……。

 まあ、希少度合いで言えば俺が言えたことじゃないか。


「ふふ、まさかー。例え私がサキュバスだったとしても、お客様を弄んだりはしませんよ」

「うわっはははっ! いいぞいいぞ! サキュバスって言われても驚かねえよ、おめえほどの美人じゃな」

「あら、お上手でー」


 ミルキ・ヘーラはまさに水を得た魚のごとく。妖艶な微笑みで思うさまガルーヴェンをたぶらかしている。その手でさりげなく男の手を握り、酒を注ぐ動作で身を寄せる。柔らかな胸を両腕で押し出して、惜しげもなく見せつけて。

 その一つ一つが大魔王の高らかな笑い声になって返ってくる。


「これだけの女を抱えてるなんてなあ、羨ましい限りだぜ吸血鬼」

 この男、ガルーヴェンは俺の方を見ながらミルキ・ヘーラの肩を抱く。その手をするすると、胸の方に下げながら。


「やーん、もう、おいたしすぎですよぉ」

「へっへへ! いいじゃねえかよう」


 ……なあ、その手引きちぎってもいいか?


「か、カイ様! どうかその、お、落ち着いてください」

「ぐっ!? す、すまん」

 青筋立てる俺にアンリが動揺したように声をかける。いや、こんな光景見せられてキレない男はいないぞ? 我慢は得意といったが……撤回しようか?


「ご安心を。ミルキィやティキュラ、私が愛しているのは、カイ様だけですから」

 けれど俺の隣で、小声でそう囁くアンリに我を取り戻す。彼女は自分で口にした言葉に照れるように、その頬を赤く染めていた。

 ……ああいや、スマン。俺がお前たちを信じなくてどうするというのか。返す言葉で小さく、俺もだ、と呟くと、アンリはとびきりの笑みで応えてくれる。


「もう少しだけ御辛抱ください。そろそろ効果が出るはずですから」

 効果?


「ささっ、お酒どうぞー!」

「これはこれは、ラミアのお嬢さん。ありがとう」

「えへへー」

 黒い獣人の彼にも、ティキュラや数人の古ゴート族達が休む間もなく接待していく。

 ティキュラは子供っぽい笑みを浮かべ、古ゴート族もいつものように草を差し出すわけじゃなく、肉料理を差し出して。


「ふうむ、これはなかなかの酒だ。この城の名産品かな?」

「そんなにおいしいですか? 嬉しいです!」

 ティキュラが無邪気な笑みを浮かべる中で、獣人は再びコップに口を付ける。

 あれは以前ティキュラが差し出してくれた酒だ。ピリリとした辛さと驚くほどののど越し。城の名産、と評されるのも納得の味だろう。


 そしてそれを作っているのは……。


「ああ、美味しいね。君には……まだ少し早い味かな」

「えへへー」

 今無邪気に笑っている少女がこの酒造りの張本人だとは、流石の彼も気づかなかった。


「はっはっ! 気に入ったぜ! 同盟結んだらこの酒もたんまりいただこうぜ!」

「はしたないですよ大魔王。まあ勿論、それで構いませんが」

 二匹のケモノが獲物を前に舌なめずり、か。いい気なものだ。


 ――さあて、それから十数分後。


「ぐっ、そんな……何故っ! いや、何、がっ……」

「はっははははっはあああー! いいぞいいぞおー! ほらもっとこっちに寄れ」

「あーん」

 そこはもはや会談の場、などとはとても呼べないような様相を呈していた。


「へへへっ、こぉーんないい女を囲って毎日全裸で宴なんざあ、羨ましい限りだ、なあ? 吸血鬼」

「全裸は誤解だ」

 俺は抗議の声を……ああいや、酔っぱらいに言っても無駄だな。


「うへへへぇー、一人ぐらい俺の所にも寄越せよ。特にこの姉ちゃん……あー、名前は?」

「ミルキ・ヘーラと申しますー。ささ、お酒のおかわりを」

「おー悪い悪い」

 肩を抱き寄せられていたミルキ・ヘーラは、そう言ってさっと身をかわして酒を注ぐ。大魔王の視線がそれた一瞬、俺の方に顔を向けてウィンクまでして余裕を見せる。


 ああ、うん、嫉妬してたのを見抜かれたようでちょっと恥ずかしい。

 ……後で俺も、色々やってもらおう。


「ば、バカなっ!? ……サキュバスの、魅惑の魔法は……レジストし、て……っ!」

「大丈夫ですか? お酒飲みます?」

「あ、ああ、すまないお嬢さん」

 おいおいおい、完全に判断が狂っているぞ?

 回らない頭をさらに重くするその酒を、ジャギュアは何の抵抗もなく口にする。


 その隣で幼い少女が笑みを浮かべるのも気づかずに。


「だ、大魔王っ!? ……何か、おか、しいっ!」

「なぁーにがだよ! おめえも最近仕事ばっかで疲れてんだろ? 俺が許すから破目外していいぞお!」

「ま、またあなたは……いつもそれで私が……い、いや、今はそれどころでは」

 一瞬この奔放な上司に振り回される苦労人の顔が見えた気がしたが……まあ、見なかったことにしてやろう。


「出来上がりやしたね」

「……どういう仕込みをしたんだ?」

 そばに寄ってきたベーオウに、俺はそっと耳打ちする。


「大魔王の方はともかく、あの獣人の男は最後まで警戒していたようだが」

「ええ、姉御の魅惑の魔法はあいつが完全に防いでたみてえですね。けどその分ティキュラの嬢ちゃんの方はおろそかってわけでさあ」

 ははあ、成程。

 ミルキ・ヘーラは囮か。


「嬢ちゃんは、既に酒に呪いを『仕込んで』まさあ。直接魔法を使う訳じゃねえんで気づかれにくいって寸法ですぜ」

 そんなことができるのか?

「酒に何か仕込まれている、なんて真っ先に疑われそうなものだが」

「へえ。なんで効き目を薄くして、何杯も飲まねえと効果が出ねえらしいんですが……味は本物ですから」

 ベーオウはそう言って不敵に笑う。まあ俺も納得だ。あれは、何杯でも欲しくなる。


「合わせて酒が進むように肉には……何でしたっけ? 食糧庫にあった、ああ『コショー』と『ショーガ』で味付けしてありやす。姉御がアイデアを出して、古ゴート族の連中が特に品のいいのを見分けて作った特製でさあ。呪いなんかなくっても、いくらでも食い進めやすぜ」

 それはいい、聞くだけでよだれが出そうだ。

 ついでに言えば、それはお前たちレッサーオークが狩ってきた獲物でもあるな。


「それに、旦那もようく知ってるでしょう」

「何をだ?」

「呪いだの、魔法だの、そんなもんなくったって」

 ベーオウの視線は、文字通りの酒池肉林の宴の渦中にいる、彼女達に。


「あいつらが死ぬほどいい女だってえのは。あいつらにキャッキャ言われて浮かれねえ男なんかいやしませんぜ」

「……同感だ」

 ああ、大したものだ。ベーオウ、皆。あんなに強そうだった二人がもうへべれけだ。俺の力なんかなくたって、お前らだけで充分やれるじゃないか。


 俺達は彼らに見えない位置で互いの拳を突き合わせる。がしっと大きさの違う手がかみ合ったように、小気味いい音を立てて。


「だがああしたはいいが、ここからどうするつもりだ? 酔わせて打ち取れとでも言うのか」

「まあまあ。あとは俺が口八丁で誘導しますんで、最後は旦那に」

 ……自分で口八丁言うのか。まあ、お前の口が達者な事はよく知ってるがな。


「あー、お楽しみの所で申し訳ねえんですが、そろそろちょいと『余興』を見せてえと思うんですが」

「あー? 何だぁ? まだなんかあるってえのか?」

 もうすっかり出来上がったガルーヴェンは上機嫌で聞き返す。


「へえ、これから同盟を結ぶにあたって、決めなきゃなんねえことで。大魔王様はあの魔王候補の一角だったってえ話ですし、兵も大勢従えておられるでしょう。それに引き換え俺達はできたばかりの新興勢力でさあ」

 ベーオウはそう言って、周りを囲うレッサーオーク達に合図する。


「ですんで、そんな俺達が大魔王さま達とってえのを、一つ、占ってみやせんか?」

「あー? まどろっこしいな、何すんだよ?」

「へえ、ここは分かりやすく『力比べ』なんてどうです?」


 レッサーオークの人垣が割れ、引きずられるように、太く束ねられた鎖が運び込まれた。

 そう、俺やティキュラを繋ぎとめていた、あの地下牢の鎖が。


「これでどれだけ張り合えるかで、互いの差し出す兵と物資の比率を決めるんでさあ」

「……おもしれえ、いいぜ、乗った」

 そう言ってガルーヴェンは、迷いのない足取りで、立ち上がる。


「言っておくけどよお、俺を酔わせて弱くできたなんて思わねえこったな。こんなのまだ迎え酒よ」

 言葉の通り、その姿勢に、視線に、覇気に、いささかの迷いも見られない。凶悪な顔で、口角を釣り上げにたりと笑う。

「甘かったんじゃねえか? ああ? 吸血鬼」

「いや」


 俺の方に渡された鎖を、片手で握り締める。

 要するにこれから行われるのは綱引きだ。この長さ十メートルを超える鎖を互いに引っ張り、引っ張られた方が負け。文字通りの『力比べ』という訳だ。


 ふむ、平和的な力比べに持っていきたかったということか? まだベーオウの意図は俺にもはっきりと読めないが……。


「酔いを理由に拒否されたらどうしようと思っていたところだ」

「ホントに口の減らねえ奴だな」

 ガルーヴェンは半ば呆れたようにため息を吐き、その太い鎖を腕に巻き付けていく。


「だ、大魔王っ! ……待ってくださ……罠、やもっ」

「ああー? 心配すんなよジャギュア。そもそも最初から力を見せつけるつもりだったろ?」

「そう、ですがっ……いや、特に、妙な力は、感じま、せんが」

 獣人の……今ジャギュア、と呼ばれていたか? 彼はそう言って、体の自由を取り戻すのを諦めて、鎖をじっと凝視して何かないかと探っているようだ。


「頑丈な鎖……見た、ところ、それだけの……ようです、が」

「当然だ、不正など無い」

「だ、そうだぜ?」

 黒い獣人、ジャギュアもこの流れで諦めたのか、それともガルーヴェンに対する信頼か、それ以上口は挟まなかった。


 これで、この場に異を唱える者はいなくなった。

 準備は全て、整ったのだ。


「全員離れていろ。誰か、ジャギュア殿も運んでやれ」

「なあ吸血鬼。三つ数えるまで耐えたら褒めてやるよ」

 周りが慌ただしく、俺達の闘気にピリピリとあてられて離れていく中、奴はそう言った。


「三つか、分かった」

 大勢のレッサーオークと古ゴート族、ティキュラやアンリにミルキ・ヘーラが、そしてジャギュアが固唾を飲んで勝負の行方を見守る。


 荒野に、そこだけぽっかりモンスター達が囲った穴の中で。


「ベーオウ、合図を」

 俺の赤い瞳と、奴の凶悪な笑みが、交差する。


「では……はじめっ!」

「おらあああああああっうぐおぉっ!?」

 バギン、と。

 大地がけたたましい音を立てて、ひび割れていく。


「きゃあっ!?」

「ゆっ、揺れてるっ!? ウッソだろおいっ!?」

「ひいいっ!? 地面がっ! バキバキに割れてっ!」

「だ、大魔王っ!?」

 俺達の足から出る衝撃で、空気が震え、地が騒ぎ、そこを混乱のるつぼに変えて。


「ぐっ!? ぐあああっ!? なんっ、だ、とおおっ!?」

「酔いは醒めたか?」

「ッ!?」


 力を調整し、その凶悪な面を、こちらにじりじりと引っ張りながら。


 さて、こっちは随分と我慢させられたんだ。

 いい加減、ひと暴れしたってかまわないだろう?


「三つ数えたが……何と言って褒めるつもりだ?」

 ギガントオーク達をやられた分、俺達を揃って侮られた分、ミルキ・ヘーラといちゃつく様を見せられた分……。


 たっぷりと教えてやろう、肉食獣ども。


 果たして獲物がどちらなのか、をな。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名

従者:ベーオウ

同盟:なし

従属:なし

備考:『大魔王』が来訪中





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