最初の命と最後の仕上げ



「随分、残っていたんだな」

「そうみたいですね」

 ティキュラに連れられて帰ってきた八十人ほどの古ゴート族に、アンリが再会の涙を流しながら抱きついている。


 それを見て、俺とベーオウはほっと一息ついていた。


「それにしても……」

「ええ」

 見渡す限り女子ばかりだ。子供の中には男も混じっているが、それもほんの一部。

 恐らくは人間に襲われた際、男たちは皆戦う道を選んだのだろう。一族の、女や子供たちを守るために。それはどれ程の決断だったのか。


 古ゴート族の戦士たちよ、安らかに眠れ。


「潤い放題ですね、旦那」

「ああ」

「どいつもこいつもいい女でさあ。へへへっ」

 ベーオウは言葉通り下卑た、いや、うん……ベーオウは素でこういう笑い方なのだろう。もしくはオークが皆こうなのか。


 まあベーオウの言葉に嘘はない。どの娘も若々しく、健康的な美しさを放っている。吸血鬼や人間基準のいい女とは少し違うが、俺もベーオウの意見に概ね同意する。

 自然であるがままの飾らない美。そんな彼女たちをためらいもなくいい女と言ってのけるベーオウに、俺も満足だ。


「ただし襲うなよ」

「ええええっ!?」

 襲う気だったのか。

 他種族に偏見がないとはいえ、節操がないにもほどがある。


「手を出すなら、両者合意の上でだ」

「そんな殺生な! 俺みたいなレッサーオークに振り向く女なんかいやしやせんよっ!」

「それこそ愚問だ。お前を種族や外見で評価する女など、お前にはふさわしくない」

 俺の言葉にベーオウはどう思ったのか、深くため息を吐きつつも、しょうがないかと納得した笑みを浮かべているようだった。そっちの笑顔の方がいいぞ、お前。


「旦那。その……旦那の方は大丈夫なんですか?」

「ん?」

「その傷、いや、服の破れ跡しか残ってやせんが、心臓を貫かれたんですよね。薬とか、必要なものがありゃあ俺が用意しやす」

 ベーオウは先ほどとは少し違って声のトーンを落としながらそう尋ねる。

 ああ、まあ、見た目には大事に見えるよな。


「問題ない。俺には無限再生がある」

 むしろ服が破れていることの方が問題だ。この世界で同じものは手に入らないだろうし。


「そ、そりゃあまた……ははっ、流石旦那! あの馬鹿力といい、無敵ですね」

「そうでもない。痛覚はあるからな」

「……へ?」


 魔法耐性やこの無限再生、それと俺の腕力を指して俺の事を無敵だとか最強だとか簡単に言ってくれる輩はいるが……これでも苦労しているんだ。


「昔は歩くたびに骨折していた」

 かつては、力の使い方が分からずに滅茶苦茶に自分を傷つけていた。

 この無限再生は、生まれながらにそんなだった俺を生かし続けたのだ。


「痛みに悶えれば手足が千切れたし、泣けば顎が裂けた。それでも死なないのだから、周りに随分と気苦労をかけた」

 大変だっただろう。特に父様には心配をかけた。我が子が何をしても血みどろのぐちゃぐちゃになるのだから。


「強い吸血鬼ほど、その血と命が一体化していく。俺はその中でもさらに上位の存在だ。血を自在に操ることで、心臓が潰れようが脳を切り裂かれようが問題なく動くことができる。が、それで肉体が不要になるわけでもない」

 端的に言えば、俺の本体は不定形の血のスライムのようなもの。

 そいつは心臓の動きなんかに縛られず、力強く、自由に世界を動き回ろうとする。が、残念ながら体という細い血管で閉ざされたそこは、狭すぎるしもろすぎる。


 そして俺は、スライムではなく吸血鬼。


「肉体という檻に囚われていても、体は当然俺の一部だ。傷つけばしっかり痛みが返ってくる」

 俺の体も吸血鬼としては高水準の頑丈さだが、如何せん血の力は規格外。釣り合いがとれない分、一方的に体が壊れ……再生する。


「おまけに何故か魔法が効かない。敵からの攻撃を防げると思えば便利だが、神秘の力で癒してもらう事も、この呪いじみた体をどうにかしてもらう事もできない。まあおかげで痛みをこらえるのだけは上手くなったが」

「……」

「そんな時に、俺は先生から武術を教わった。体の使い方から呼吸の仕方、効率よく力を扱う技を覚えてからは随分と楽になった。歩いてもせいぜい脱臼程度で済むし、走っても手足が千切れない。俺の世界を広げてくれた先生には、感謝してもしきれない」


 先生がいなければ、俺は今頃どうなっていたか。

 強制睡眠など無くても、それこそ起きていても、一生寝たきりの人生だったかもしれない。


「まあ再生してしまえば痛みはない。だから薬もいらな……」

 と、ここでベーオウがさっきから黙りこくっているのに気付く。そういえば随分と饒舌に話してしまった。我ながら珍しい事だ。


「……ベーオウ?」

「旦那は、単なる化け物じゃねえですね」

「え?」

 何故か誇らしげに、胸を張るようにそう言って。


「俺は吸血鬼の事は分かりやせんが、もし俺が旦那だったら、どっかで腐って、何かを恨んで、全部投げ出しちまったと思いやすよ。ましてや力を自由に使えるようになったんなら、今目の前にいるこいつらだって、力づくで全員手籠めにしちまってやす」

「……相変わらずオークらしい発想だな。別に、投げ出さなかったのは大した理由じゃない」

 そもそも、そんな選択肢など思い浮かばなかったしな。


「ただ単に死ねなかっただけだ。何も成せないままではな」

「へへっ、やっぱり旦那は、すげえ奴ですよ」

 そうしてベーオウは、これまでで一番の笑みを浮かべる。


 ……何だ。やっぱりちゃんと笑えるじゃないか。


「あ、あの、カイさん」

 と、俺とベーオウの会話に、シュルシュルと音を立てて入ってくる少女が一人。

「改めて、本当に、ありがとうございました」

 足音の代わりに地面に一本の道を作り這って進むティキュラが、そうして俺の前に立つ。


「……いい笑顔だ」

「えっ!?」

 地下牢の奥にいた不安に揺れる瞳でも、絶望の淵で必死になってこらえていた瞳でもない。満面の笑みに、あどけなさを乗せたこの子本来の煌めく瞳。


 ベーオウではないが、これはもう、いい女という他ないな。


「え、えへへっ」

 褐色の肌を赤らめるようにしてティキュラは照れていたが、やがて真剣な顔で続ける。

「あ、あの、それで、皆を隠していたことを、黙っていた、事、なんですが……」

「ん? ああ……それがどうした」

 むしろほっとしたぞ。無事に逃げていた者たちがいて。


「それより、俺の方こそ間に合わなくて済まない」

「えっ」

「いや、この村に来た時には大勢殺された後だっただろう」

 あと一日、気づくのが早ければ未来は変わっていたかもしれないのだ。


「だから、約束していた残りを受け取ることはできない。ティキュラ、君は今この時をもって、自由だ」

「え……え!? えええええっ!?」

 ティキュラは何故か驚いたように、いや、期待していた結果と違ったとでもいうように声を荒げた。


「どうした? ティキュラ」

「えっ、ちょ、あのっ……え、あ、あれっ!?」

「その身を捧げる契約をしただろう。だが、俺はその契約を果たせなかった。だから俺は君を手籠めにすることもしない。好きな相手を見つけて、幸せになるといい」

 そう優しく言葉をかけ……たのだが、当の少女は、目を丸くしたまま、最終的には涙目に。

 その涙は……ああいや、うれし涙、には、見えんな?


「あ、あの……あれー? あ、その……ベ、ベーオウさん?」

「あー……たぶん、言葉通りで、それ以外の意味はねえとは思う」

 こちらも何故か呆れたように答えるベーオウ。何だ、一体何がどうした?


「あっ、あのっ! カイ様っ!」

 そうして場が混迷してきたところで、こげ茶色の光沢のある短めのポニーテールがなびく。まるで助け舟のようなタイミングで古ゴート族の少女、アンリが進み出てきた。


「私達の村を救ってくださり、ありがとうございます!」

 あの時囚われの身となっていた少女は、こちらもやはり満面の笑みで、あの時とは比べ物にならないくらいの美しい笑顔で、そう言った。


 四本の足で、小さな蹄で今はしっかりと大地を踏みしめて。


「私達からも、是非お礼をさせてくださいっ!」

「……ああ、それは助かるが」

 確かにちょうど手伝ってほしい案件は一つあるのだが、村の復興もあるだろうし、彼女たちが失ったものは大きいだろうし……。


「私達を、あなたの居城へお連れ下さい!」

「……何?」

「私達、精一杯カイ様にお仕えしますっ!」

 こ、これはまた、予想だにしなかった言葉だ。


「ここにいても、人間がいつまた再びやってくるか分かりません。私達には、もう戦う力は残されていませんから」

「それは……まあ、確かにそうだな」

 この村を襲った奴らの痕跡は概ね消したとはいえ、人間は頭も回る。何が起きたかを突き止めるかもしれない。そうなれば再びこの地が狙われることもある、かもしれないが……。


「だがいきなり……従者にしろ、と言われても」

「召使いでも下僕でも何でも構いません! 雑務でも家事でも、服作りでも私たちにできることは何でもいたしますのでっ! どうかお傍にっ!」


 ……ほう? 衣服の製作ができるのか。それは心強いが。


「そ、そのっ、何でしたら、私は……嫁、でもっ」

「……いや待て、何でそうなる」

 流石にほとんど何も知らない相手を嫁にするほど酔狂ではないぞ。いくら君が可愛くても……。


「では、まずはお互いを知るところから始めましょう」

 ココっと、蹄を軽快に鳴らしてアンリは俺の傍へ。


「精いっぱい、あなたにお仕えします」

 そうして彼女は、飾らない、真っ直ぐな笑みで俺を見つめた。

 ……この娘、思ったよりグイグイ来るな。


「いいんじゃねえですか? 旦那の欲しがってた潤いですぜ」

「これだけいると潤いどころか洪水だな」

 他の古ゴート族は皆、固唾を飲むように様子をうかがっている。どうやら思ったよりも真剣な話らしい。俺についていく道に、彼女たちは、一族の未来を託したのだ。


 その覚悟は……ああ、そうだな。嫌いじゃないさ。


「いいだろう」

 まあ、ここに置いていく訳にもいかないしな。

 俺の言葉に、古ゴート族の皆はほっと胸をなでおろす。


「しっかりと俺に仕えてもらうぞ」

「はいっ! カイ様っ!」

「あっ、あのっ! 私、自由になったんですよねっ!?」

 と、そこでシュルっとアンリの隣に来て、声をあげるラミアの少女。


「なら私も、ついていっていいですか!?」

「自由の身になったのに、か?」

「はいっ!」

 俺の前で胸に手を当て、ティキュラは言う。心の中の大切な部分を打ち明けるように。


「私と、私の友達を助けてくれて。でも私から何も取らないあなたに、お返しがしたいんです」


 ……やれやれ、変わった娘だ。


 鎖を解いたら自分を捧げるといったり、自由にしたらついていきたいといったり。今もキラキラと瞳に浮かぶ湖面が、そんな天邪鬼な少女の心を映すかのように美しく輝く。


「カイさんっ!」

「ん?」

「私、いい女になりますからっ!」

 ……ああ、期待している。


「えへへっ!」

 頬を染めて照れたように笑うと、ティキュラはアンリと互いに見つめあって、またちょっと可笑しそうに笑った。


 二人の間に今どんな感情があるかまでは分からないが、どうやら俺はまた一つ、この世界との確かな『繋がり』を得ることができたようだ。


「はははっ、モテモテっすね旦那!」

「そんな死ぬほど悔しそうな顔しないでくれベーオウ」


 こうして、ティキュラとの出会いから始まった一連の騒動は幕を閉じた。


 俺達は揃って帰路につく。来るときは走ってすぐだった道を、全員で日が傾くまでのんびり歩きながら。


 ちなみに俺はアンリの背に強引に乗せられて。ベーオウもちゃっかり可愛いショートカットの古ゴート族に跨っている。夕日に照らされ、ティキュラもアンリもどことなく顔が赤く見えて……。


「なんて、全部終わったみたいな雰囲気だな」

「カイ様?」

 俺が唐突に呟いたのでアンリは不思議そうに背にいる俺を振り返るが……。


「ん!? あ、あれ、旦那っ! 城に何かいやすよっ!」

「え?」

 もう城が見える距離で、ベーオウが気付いて声を荒げた。

「いや、あれは」

 ベーオウの視力ではよく見えないのだろう。

 あの灰褐色の姿、もう懐かしさすら覚える。


「あ……あーっ! お、お前らっ!」

 近づけば、やはりそう。

 ベーオウと同じ、レッサーオーク達だった。


「ベーオウ、やっぱり俺達だけ逃げられねえよっ!」

「俺達も、召使いとして使ってください、吸血鬼様っ!」

 あの時逃げたという奴らだ。

 どうやらベーオウを残してきたことを悔やみ、戻ってきたようだ。


「お、お前ら……だ、旦那! 俺からもお願えしやすっ!」

「……言っておくが、楽な道ではないぞ」

「覚悟していますっ!」

「どうぞ、俺たちを使ってくださいっ!」

 平服するレッサーオーク達を前に、ティキュラとアンリ達古ゴート族は何が何やら分からないという感じで困惑していた。


 だがこれで、役者は揃った。


「全員、命を下す」

 俺は慣れた調子で全員を見渡して、告げる。


 そう、まだ終わっていないのだ。

 やることは、ほら、まだ残っていただろう?


「へいっ!」

「は、はいっ!」

「何なりと、カイ様!」


 皆が俺にかしずき、俺の言葉を期待と緊張をもって迎えようとしている。

 形は違えど、それは懐かしい光景には違いなかった。


 そうだ、また、ここから始めよう。

 野望と理想を胸に、また、新たな世界で。


 一歩を踏み出す。


「全員で、城の掃除だ」


 きっちり、やり残しのないようにして、な。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名

従者:ベーオウ(仮)

同盟:なし

従属:なし

備考:ティキュラを加え、新たなメンバーで城の掃除に





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