第一章 夢から覚めた吸血鬼
寝覚めが悪い一日
深いまどろみの中で、俺はいつも思うのだ。
この暗く誰もいない海で揺蕩っている時。俺の意識の外、現実世界では皆どんな風に日々を過ごしているのかと。
ありふれた日常か、ふとした未知に出会う非日常か。なんにせよ、それは俺にはない自由だ。
晴れ渡る空の下、あるいは月夜の照らす夜闇の中、彼らは自由にそこを闊歩する。
そこには深い闇の広がる落とし穴など無い。いつこの中に落ちるかという不安もない。
少なくとも、彼らはそれを意識してはいない。
俺はどんなにその穴を避けようと思っていても、定期的にここに落ちてきてしまう。これが俺に課された吸血鬼としての弱点と分かっていても、それでも、俺は思わずにはいられない。
いつまでも、外の世界を自由に闊歩する彼らと、歩幅を揃えて歩いていければ、と。
光が差した。
この暗闇にそうやって光が差す時は、目覚めの時。
ようやくだ。
今回はどれだけ眠っていたのだろうか。ここにいる間は時間の感覚も薄れてしまうから、それは目覚めてみなければ分からない。
俺は光を手繰るように、手を伸ばして……。
「ん……う」
聞こえてくるのは、何やら話し声。
低い音が二つ。野太い声と形容してもいいような、大男ががなるような声。
ついで全身がけだるい痛みを訴える。どうやら、眠っている間優しく扱ってもらえたわけではないらしい。
目に映ったのは、下品な笑いを浮かべる、見知らぬ誰か。
人間でもなく、吸血鬼でもない。大柄で灰褐色の肌をした、半裸の何かが、二人。
「……」
そいつらが聞きなれぬ言葉で、世間話でもしているのか、実に楽しそうに……。
いや、違う……聞きなれないだけで、聞き覚えのない、言葉じゃない!?
「これ、は、伝承にある魔界の言語か!?」
「ん? んんっ!?」
「おおっ!? 何だコイツ、とうとう目覚めたのか!?」
俺に気付いた二人は信じられないモノでも見たかのように目を丸くした。そして、驚いた際の言葉も確かに魔界語と呼んでいる、現実世界では使われていない言葉だ。
となれば、ここは……。
「ここは……まさか、魔界、なのか?」
俺の言葉に二人は顔を見合わせて……。
「ぎゃはははっ! 何寝ぼけてんだお前!」
「ここはお前んちの地下牢だよっ!」
大笑いされた。
「……お前たちは、何だ」
「あん? お前俺らの事知らねえのか? っていうかお前こそ何だよ。ずっと眠りこけやがって、いくら殴っても目を覚まさねえし」
「質問に答えろ」
そう言っていくらか凄んでみせるが、この二人はひるむ様子もなくどこ吹く風。
「へへへっ、可愛く睨まれちまったぜ、おお怖い怖い」
「俺たちゃオークだよ。食い物も女もみぃーんなかっさらっちまう、あの恐ろしいオーク様だぜぇ?」
そう言って目の前の男は、威嚇なのか舌を見せながら顔を近づけてくる。腰布を巻き、ゆったり目なズボンを履いた下半身。何も着ていない上半身には、盛り上がるような筋肉の鎧。
「オーク、だと?」
「そうだぜ? おっと次はてめえの番だ。何なんだお前、ずっと寝っこけてやがって。いくら痛めつけても目を覚まさねえし、傷ができたそばから再生しやがる。それにその赤い瞳、まさかお前吸血鬼か?」
オークと名乗る生き物。そして目が赤いだけで俺が吸血鬼かと問う、か。
まるで本当にファンタジーの世界だな。いや、吸血鬼の俺が言うのも本当にあれなのだが。
「この城みてえな家も何なんだ? 外から見りゃあ細い塔にしか見えねえのに、中に入れば空間が捻じ曲げられて広げられてる。おまけにおかしな仕掛けがあちこちにありやがる。近づけば開く扉に氷の精霊もいねえのに冷えてる箱。そんな奇妙な城に居るのが、何故かてめえ一人ときた」
オークはじろりと俺を睨みつける。至近距離で、その眼光に威嚇の色を宿らせて。
というか近づけば開く扉は自動ドアで、冷えてる箱とやらは冷蔵庫か?
もしここが現実世界なら、彼のようなモンスターであろうと知識としては常識的に持っているもののはず。
となれば、ここは本当に異世界なのか?
「俺以外に、誰もいなかっただと?」
「そうだぜ。てめえ以外には……っておい、質問してるのはこっちなんだよ」
オークはそう言って人差し指を、乱暴に俺の胸に突き立てる。その固い皮膚で、まるで木刀の先を突きさすように、俺の素肌に浅く沈ませて。
「てめえを生かしてやってるのはその仕掛けの使い方を聞き出すためなんだよ! ありゃあ使いこなせれば便利だからな。さあ、聞かせて」
「言いたいことはそれだけか?」
「……あ?」
「その汚い指をどけろ」
俺は頭上を見上げる。
天井からは太い鎖が伸び、それが俺の両腕を、吊りあげるように縛り付けていた。
ここは地下牢と奴らは言ったが、その通りここは城の地下牢。罪人を繋ぎとめるための場所だ。そこに備え付けの手枷と鎖で、俺は拘束されていたのだ。
こいつらがやたら強気なのもそれが理由なのだろう。
俺を吸血鬼と知ってなお侮る、その命知らずな態度は。
「二度は言わん。俺に触れるな」
「おーおー怖いねえ。じゃあ教えてくれよ」
オークはにたりと笑うと、その手を俺の胸に直に、這わせるように触れてきて……。
「これ以上触れていたら、どうなっちゃうんだぁー?」
からかうような言葉に、もう一人のオークが声をあげて笑った。どうやら揃って死にたいらしいな。
まあ、遠慮する理由もないか。
「教えてやる」
「はっ、へ?」
鎖が千切れる音が、オークの間抜けな声と重なって……。
「ぶぎゃっ!?」
「なっ!?」
俺は文字通り、拳で目の前のオークの体をぶっちぎってやった。
「なっ、なあっ!? てめえどうやって鎖をっ!」
「見ていただろ」
「ごぶべっ!?」
もう一人は足の裏で蹴りを入れ、牢の扉に叩きつけて絶命させる。
「普通にちぎっただけだ」
別に種も仕掛けもない。ただ力を入れて引っ張っただけだ。
いや、拘束具が簡単に壊れてしまうのも問題といえば問題だが。
「へへ、久しぶりの女で、ってなんだおい隣の牢……っておいっ! どうしたこりゃあっ!?」
「あいつ起きてるじゃねえかっ! 畜生っ! 二人
オークを叩きつけた扉は衝撃で壊れ、扉の向こうからがやがやと騒がしい声が響いてくる。あの不快な連中は、まだまだいるらしい。
「全く、最悪の目覚めだ」
起きた直後に害獣の駆除をさせられるとは。
「まだ着替えてもいな……」
い、という言葉は、何故か途切れた。
いや、何故かというか、何故、あいつは俺に直接触れられたのだろうか?
指の感触。手で触れられたぬくもり。それは、直接素肌に……。
「……」
今度は上ではなく、下を見る。
起きたばかりだからか、俺の息子も元気におはようございますしていた。
「………………………」
なんで?
「なんではだかなのん?」
「てめえっ! 仲間をよくもっ!」
扉からなだれ込むようにオークが入ってくる。どれも大柄で、二メートル近い図体が次々と。俺の身の丈ほどもある、武骨なこん棒を手に。
「囲んで袋にしちまえっ!」
「気を付けろ! 何してくるか分からねえぞっ!」
「お前ら……まさかそういう趣味が?」
「あんっ!?」
オークにそんな……いや、実際でも人間の創作話でも聞いたことはないが。
「男でも構わないのか?」
「何勘違いしてやがる!?」
「ちげえよバーカ! おめえの着てたもんを欲しがるやつがいたんだよ!」
「……何?」
「ちょっと綺麗な顔してるからって勘違いしてんじゃねえ!」
欲しがるやつ? というか最後のやつだけ発言に違和感が……ああいや、いい。
「へへっ、起きたならたっぷり身の程って奴を、ぐべっ!?」
「俺のセリフをとるな」
全く、この様子じゃ城の中も荒れ放題か?
俺は近くにいたオークの顔面を拳で貫く。
「なっ、なああっ!?」
「コイツヤベえぞっ! つええっ!」
「怯むなっ! 一斉にかかっ! ごぶべっ!?」
スッと懐に潜り込み、蹴りでその体を両断する。
「勘違いするなよ」
「ちっ、ちくしょうっ! こいぐぶばっ!?」
「くそっ! コイツげびゅっ!?」
「何でっ!? 何でコイツ俺達より力がっ、がはっ!?」
俺は静かな怒りの波に身を任せ、こいつらの頭を、胴体を、全身を、拳で蹴りで斬り刻んでいく。奴らの振るうこん棒の一つでさえ、かすらせずに。
「身の程を教えてやるのは、俺の方だ」
「あっ……あ、がぶああっ!」
最後の一匹を背骨ごと手刀で貫き、血の海へと沈めていく。楽勝だ。
「全く、騒がしく……っ!」
が、ズキリと走った痛みに、俺は言葉を途切れさせる。
「……この、程度で済んで良かったか」
俺は薄暗い牢の中、自分の体を触って確かめる。少なくとも傷はない。それどころか打撲のような痣も、恐らくは骨折や内出血の類もない。
全て、治っている。だが、頭に残る痛みは……。
「身の程は、徹底して教えてやらなければな」
「くそっ! あいつ目覚めてやがるっ! 結構な数がやられた!」
「全員呼び集めろっ! こうなったらタダじゃおかねえっ!」
牢の外からがやがやと声が響く。やれやれ、既にこの城を我が物顔で闊歩しているわけか。
俺が寝ている間に、世界はまたもや一変してしまっていた。
ここは本当に何処なのか、城に居た俺の部下たちは、従者は、仲間は、果たしてどこに行ったのか。
今は何も分からない。けれど、ああ、そうだ。
何をすべきかは分かり切っている。
「まずは、俺の城を取り戻そうか」
吸血鬼の逆鱗に触れたこと、たっぷりと後悔させてや……。
「よくもやりやがったなこの全裸野郎っ!」
「誰のせいだ誰のっ!」
……ああ、城と合わせて、服も取り戻さなければ。
俺の人生で、二番目に目覚めの悪い朝がこうして始まったのだった。
<現在の勢力状況>
部下:???
従者:???
同盟:???
従属:???
備考:謎のオークの集団が城を占拠中
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