第93話 包囲

「イシュマール軍は捕らえた民衆をオスカントに集め、彼らを処刑すると言っています……カソロ様」


 配下からの報告を受けた若きロッドミンスター貴族、ウォルター・カソロは苦々しげな顔を浮かべた。


「罠だな。我々をおびき出し殲滅する腹だ」


「ではやはりウルフレッド様の軍が到着するのを待ってから……」


「それでは間に合わないさ。連中の狙いは行軍の自由の確保と、我々が陛下の軍に合流することを阻止することなのだから」


「しかし、オスカントは平野部にあるただの田舎町。奇襲することも忍び込むことも難しいかと……」


「まったくそのとおりだ。しかしあれを見て見過ごすことはできないよ」


「それは確かに。我が国の民草ですからな」


「それだけじゃない。侵略を受けた国家というのは想像以上に脆さを露呈するもの。民草を見捨てて国軍が撤退したとなれば、日和見をしている領主たちは敗北を確信して一気にイシュマールへなびく。そうなれば形勢は絶望的となる。だからこれは戦略的に非常に重要なことなんだ。そもそも、民を見捨てて逃げた先でウルフレッド様にお目通りすることになれば、我々の首はすぐに宙を舞うだろうな」


「……では、どのように」


「……」


 カソロには顎に右手あてて考え込む癖がある。その若い口元には髭など生え揃っていないのに、まるでそれを撫でるかのように。


 そしてこの将来有望と目された青年の目に暗い光が宿る瞬間を、周囲の者は見た。


「村を、焼く」


「な、何を言うのですか。オスカントには今はわずかとはいえ、人質がすでにいるのですぞ」


「オスカントに大勢の民衆が集められる前に少数の騎兵隊を投入し、村を焼く。同時に今オスカントで囚われている住民を解放する。火災が発生すれば村に駐留するイシュマール軍は逃げる民衆どころではなくなるはずだ」


「……では今オスカントへ向かって連行されている民衆はどうなさるのです」


「残りの全軍で救出する。敵は合流地点のオスカントに火の手があがることで混乱するはずだ。そこを各個撃破し、全ての民衆を解放する」


「……たしかにその方法ならば我ら三千でも……」


「だが村を焼くんだ。私の首は覚悟しないとな」


「民衆に被害を出さなければ陛下もご理解くださるのでは」


「どうかな。陛下はかつてマシューデル殿下との戦いの折に村を焼き、そのことをずっと悔いておられると聞く。我々がやろうとしていることはまさにあのお方の心の傷を再び開くようなものだ」


「……」


「安心しなよ。私の責任で行う。陛下もそこは理解してくださるはずだ」


 カソロは遥か先に見えるオスカント村を見据えて言った。


「だから、存分にやらせてもらう」



 カソロ軍の手際は見事というほかなかった。


 オスカント村には人質となる民衆が集められ始めたばかりで、数十人程度の小集団をわずかなイシュマール兵が囲っていただけの状態で、彼らはやがてやってくる他の兵団とさならる人質民衆を待っていた。


 そこへカソロの命を受けたロッドミンスター軍騎兵隊が強襲してきたのだからイシュマール兵は驚愕し、混乱状態となった。


 村へ突入した騎兵は、集落の家々へ火を投げ入れ、混乱するイシュマール兵を斬った。


 囚われていた民衆は恐怖に駆られるまま逃走を開始したが、少数であることが利点となってイシュマールの追撃を受けずに安全圏へとたどり着いた。


 それらの様子を、オスカントへ向かって進軍中だったイシュマール兵らは見て狼狽した。


 予定していた合流地点に火の手が上がっていたためである。


 人質を連れたイシュマールの集団は、それぞれで意見が分かれた。


 ただちにオスカントへ急行すべきだ。しかし人質を連れていては速度が出ない。ならばここで殺すか? いやそれではムガルティン様の怒りを買うぞ。ではどうする。


 そうした隙を、カソロ軍三千は見事に突いた。


 まとまりを欠いたイシュマール兵を各個に撃破、それらに囚えられていた民衆を解放することに成功したのである。


 だがそうした動きを冷静に、微笑をもって眺めていた男が存在した。選帝侯サラーム・ムガルティンである。


 彼は盤上の駒が動くのを眺めるように楽しげな顔で配下へ命じた。


 地図上に並べられた駒の内、カソロ軍を模した模型に小刀が突き立てられていた。



 ***



「……してやられました。敵は三つの部隊に分かれこちらを包囲しつつあります。その数は一万五千はいそうです、カソロ様」


「……逃げる、といっても難しいか」


「はい。歩兵が大半ですし、兵たちは連戦続きで疲労しています……こうなったなら、せめて一太刀……」


 配下らの表情に諦観が表れている。


 カソロは深呼吸するように胸をふくらませると、ふうとため息をついた。


 どうやら敵には智将がいる。


 こちらの動きをまるで獲物を狙い追跡する鷹のような目で睨んでいた者が。


 いや、それは特別なことではない。


 イシュマールという巨大な国家に、そうした人物は数多くいる。


 人材の層がまるで違うのだ。戦乱に明け暮れ他民族を支配吸収し続けてきたかの帝国は、完全なる実力主義によって構成されている。


 その矛先がいずれこちらに向くことは予想していた。だが、これほど早いとは……。


 せめてもう少し時があったなら……。


 それを考えても仕方ない。


 やれるだけのことはやったはずだ。囚えられた民衆の多くは無事西へ脱出した。


 その上自分たちも脱出……というのはどうやら虫が良すぎるらしい。


 覚悟を決めなくては。父上、私は。



 前方三方向に砂塵。


 それらが到達した時に訪れるであろう死は、何よりも明白な現実としてカソロへと覆いかぶさっていった。

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