第84話 決断
オタリアが動いた。その報せは攻城塔部隊の指揮を執っていたライルをわずかに動揺させた。
オタリアは当初から帝国と反帝国連盟、そのどちらに与するか態度を明白にしていなかった。
原因は重臣らで意見が分かれており、それを国王の優柔不断によって御することができないでいることだった。
ライルはすでにこの状況に対し一石を投じていた。すなわちオタリアに対する懐柔と、そして恫喝である。
帝国に与するのであればシグルーン、エッセンラント占領後に領土の一部をオタリアへ割譲する。
この忠告に従わわず、もし反帝国に与するのであればその全土を併合。オタリアの王族は粛清する。
このライルの布告はオタリア王国陣営を震え上がらせていた。
なのに、という思いがライルの胸をざわめかせる。
現れたのはオタリア軍およそ八千。戦局を変えられるほどではないにしろ、被害が増えるのはまずい。
いったいあの優柔不断なオタリア王がなぜ。
決まっている。ライルはわかりきった結論へ思いを馳せる。
アイザック・アディンセルに出し抜かれた。ただそれだけのことだ。
この嫉妬のような不快感をもたらす憎悪をライルは遠くの地にいる敵へと向けた。
さて、感傷に浸るのはここまでにしないと。
攻城塔部隊は目下のところジュリアン・ダルシアク率いるパッシェンデール勢が担当している。彼らは動かせない。
手元にいる兵はわずか。八千を迎え撃つことはできない。
となると他の部隊が対応せざるを得ない。すなわち攻囲に歪みが出る。
それでも両脇に布陣するフィアット軍とキュフリー・ド・ランルザック将軍の第二軍団ならば的確にこちらへ必要な援兵を送り対応することだろう。
だがそれではだめなのだ。
この戦いはそれではいけない。
ライルは右方を向き、自軍本陣を見た。
あのオタリア国王が決断したというなら、あなたにできないはずがない。
それができないのであれば全ては夢のまた夢。そういうことなのだろう。
ライルは自らの命を初めて他者に委ねる心地をただ平坦に受け入れていた。
騎兵を動かすか否か。
左方に展開するライルの部隊がざわめきだっていたそのとき、ロイはその一点を思考していた。
想定外の敵の到来。いや、それこそが想定内。
ここを乗り切って見せなければならない。
オタリア軍は今まさにライルの部隊の後背を突こうとしている。
ライル隊の主力であるパッシェンデール勢は城壁に向かって進軍中。急の襲撃に対応はできない。
するとライルの旗本のみが動くことができるが、数が足りない。
つまりライル隊は自力では生き延びられない。
こちらの手持ち部隊の状況はこうだ。
血鳥団は城門に向け進軍中。今から退かせるには進みすぎている。
砲兵団は継続戦闘不能。そもそも乱戦には向かない。
となると残るはランドルフ率いる騎兵軍ということになる。
その軍勢の全てを騎兵で揃えたランドルフ軍は虎の子中の虎の子。これを超える切り札は帝国に存在しない。
その切り札は今、血鳥団が破壊する”かもしれない”城門から敵城内へ突入する機会を待っている。
というのは建前。実際血鳥団の破城鎚は囮であるため、それに備えるランドルフ軍の存在はあくまで体裁。実際はその兵力の温存が目的だった。
しかしグレボルト率いる血鳥団が予想外の粘り強さを見せた。
ロイはこう考えていた。”グレボルトは程よいところで敗走してくれる”と。
そうやって敵の注意を引きつけ、その隙に城壁を攻略するのが作戦だったからだ。
だがグレボルトは存外愚直な男だった。
もちろんこの状況はより好ましい事態であり、これでランドルフ軍の存在がこの戦の決定打を握るものと変わった。
が、ここにきてオタリアが来たことでさらに状況が変わった。
オタリアを迎撃可能な部隊はランドルフらしかいない。
隣接する他軍団もおそらく援兵を出してくるだろうが、それをただ待つのは下策の極みである。
そんなことをすれば敵に討たれる前に味方に討たれることになるだろう。ロイは己の立場をそう分析している。
この時代、この伝統なき帝国において、無能な王というものは存在するだけで大罪人であるからだ。
だからこそ迷う。ランドルフを動かして良いのかと。
彼らを動かせば予想外の奮戦中であるグレボルト隊もその意義を失う。彼らが血の上に開いた城門へ向かってなだれ込む機動部隊がいなくなるからだ。
であるから迷うのだ。
しかしロイはその迷いをわずかな時間で振り払った。
答えは決まっているのだ。
「本陣を動かす。私の直隷隊とライルの旗本でオタリアを迎撃するぞ」
そうだ。ロイは自らの心に訴えかえた。
勝ち取るのだ。何よりもまして得たいものがあるのなら。
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