第41話 ダカン平原の会戦①

 夜明けとともに両軍はダカン平原で対峙した。


 セラステレナ軍主力一万五千の軍勢は、平原に横列を敷いて布陣する。


 総司令官である枢機卿ヨハン・クリフトアスは中央後方に本陣を構え、配下の各将軍たちに対し、いつでも決戦の火蓋を切れるよう備えを命じた。


 戦場を眺めるクリフトアスの元へ、男が一人の少女を伴ってやってきた。ナプスブルク軍中へ忍び込んでいた刺客であった。


 刺客はクリフトアスに言った。


「この娘を、このまま北へ?」


「いや、それは戦の後だ。万が一の際には重要な交渉材料になるからね」


「それでは約定と異なりますな」


「君の主、ああ”太陽の子”だったか。彼に伝えてくれ。私は約束を守る。しかし相手が約束を守ったのを確認してからでなければそうすることはできないと」


「ナプスブルク国王が兵を挙げることはないと?」


「期待はしたいけどね。太陽の子がいかにしてあの王を説得したのかはわからないが、うまくいったという確信が得られない限りこちらも万全を期したい。ただ、ブラッドフォードという男の弱点と君を派遣してくれたことについては感謝しているよ」


「……後悔なさいますな」


 刺客に凄まれ、クリフトアスは慌てて笑顔を見せ、手を顔の前で振ってみせた。


「勘違いしないでほしい、あくまで保険のためだ」


 刺客はクリフトアスの顔をじろりと見つめると、いずこかへ姿を消した。


「さて」


 クリフトアスはアビゲイルの姿を見るなり、彼女の両手を縛る縄と口を塞ぐ布を取ってやるよう兵に命じた。


「ありがとう」


 アビゲイルの第一声はそれであった。そのためクリフトアスはやや面食らったような顔をした。


「おじさん、優しいんだね」


「……君は自分がどういう状況なのか、わかっているのかな」


「人質、でしょう?」


「そうなんだけれど。まいったな、もう少し怖がるものかと思っていたよ。お嬢さんはいくつかな?」


「十一歳になったばかりだよ」


「そうかあ、おじさんはロリコンだけれど、もう少しかなあ」


「ロリ……?」


「そうそう、アビゲイルちゃん、あれを見てごらん」


 クリフトアスはそう言って目の前に展開するナプスブルク・フィアット連合軍の姿を指差した。


「君のパパはあそこにいるよ。これからおじさんたちはあれをやっつけるんだ」


 するとアビゲイルは難しい顔をして腕を組んで見せる。そして芝居がかった大げさな声で言う。


「うーん、見事な陣容。いかにして打ち崩す?」


「教えてあげようか。彼らはね、もう半分負けてるんだよ」


「どうして?」


「食べるものがないんだ。それにこの暑さの中、お外でずうっと立ったままでもうヘトヘト。おまけに小さな砦を囲んで緊張しっぱなし。アビゲイルちゃんだったら、戦えるかな?」


「お腹がすいたら私泣いちゃう」


「可愛いねえ。ほんと、可愛いねえ。食べちゃいたいねえ。ああ、昔を思い出すなあ」


 クリフトアスは教師だったころの輝かしくも麗しい生活に思いを馳せてそう言った。


「とにかくこれから君のパパをやっつけるから、そばで大人しく見ているんだよ。じゃないと怖いおじさんたちが君をまた縛っちゃうからね」


「わかった!」


 素直ないい子だ。少し頭が悪いかもしれないけれど。クリフトアスは目の前で輝くような笑みを見せる少女を見つめて微笑んだ。


「さて、動かそうか」


 クリフトアスは側近に対し、軍を前進させることを命じた。

 そして思考を巡らす。


 警戒すべきは”ナプスブルクの白鬼”ことランドルフ・フォン・ブルフミュラーの軍。


 予測通り中央に布陣。まあそうだろう。


 しかし同情するよ、ランドルフ将軍。


 あなたのその力は歩兵を連れての戦列構築では活かされない。強大な騎兵軍を束ね、戦場を縦横無尽に駆け巡ってこその将。


 そしてたとえブラッドフォード卿がそれをわかっていたとしても、そうはできないのがナプスブルクの悲哀だ。

 

 人材の層の薄さ。それが君たちの大きな欠点。


 対して我々セラステレナは違う。

 完全実力主義が生んだこの軍は、上の無能と未熟を許さない。


 だからこうして正面からぶつかり合うのなら君たちに勝機はない。


 壺の底に一つの穴が空いたのなら支えることもできよう。


 だが同時に十の穴が空いたならば、君たちは成すすべがないのだ。


 それを存分に教えてあげようではないか。



  ***


 一方、ナプスブルク・フィアット連合軍の布陣はこのようになっていた。


 戦場左方担当はフィアット軍。最左翼から順に、エリオ・ジラルディーノ、レツィア・デ・ルカ、その後方にバルディーニ大公の布陣。


 そして戦場右方にはナプスブルク軍が布陣している。その最右翼からホランド・ガスケイン、ジュリアン・ダルシアク、ランドルフ・フォン・ブルフミュラー、そしてその後方にロイの本陣である。


 ロイの本陣には降将であるフランク・ド・カルティエ将軍とその配下二千名の兵士が加わっている。


 ライルがロイへ耳打ちする。


「セラステレナ軍、動きます。まずはランドルフ将軍とレツィア将軍の部隊がぶつかりそうです」


「ランドルフならば簡単には崩されまい。だがどうやって敵へ攻勢をかける」


「我軍の両翼が優勢であれば、敵を半包囲することが可能です」


「つまりはジュリアンとホランド、そしてフィアット軍か……」


「夜襲の戦いぶりからバルディーニ大公は信頼ができます。あとはホランド殿がダルシアク殿をうまく導ければ可能性はあります。それでもうまく行かない場合は本陣を前進させ、ランドルフ将軍と共に中央を押し上げるべきです」


「わかった。しかしライル、その足でここにいて大丈夫か」


 ライルの左足はその生命を失っている。騎乗しているが、それも従卒の介助あってようやくといったところだった。


「乗り降りさえしなければ問題ありません。それに、私が以前申し上げた言葉をお忘れではないはず」


 権力。復讐のために権力がほしい。そのためならば全てを捨てる覚悟がある。


「そうか、ならば好きにしろ」


 そうしてロイは戦場を見渡す。


 ランドルフの部隊に敵が襲いかかる様子が見えた。

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